松前町外溝工事進捗画像。 | 小さな工務店の大工の日記(旦那のブログ)

小さな工務店の大工の日記(旦那のブログ)

愛媛県松山市にある小さな工務店の大工の日常を

書いてみようと思います。

仕事半分、色々な思った事や起きた事を日記風で

表現?してみようと考えています。

 

 

犬走りのコンクリート打設。(基礎境界兼)

 

まわりの土地から お家の敷地を30センチ程 高くしています。

 

将来の 浸水等の 予防の為となります。

 

 

盛土は ダンプで30車程 入れています。

 

外構工事と 兼ね合わせて行うと (前もって段取りをしています)

 

数百万円程は差が付きますので (条件がございますが。。)

 

段取りを組んで 行うことは 大事でございます。

 

(土木、建築を自社施工できることが条件の一つでございます。)

 

本来の工務店(施工工務店)なら 普通の事です。

 

この現場は 既存の建物を解体して 新築を建てたお家です。

 

解体後に 提案があり 土地の嵩上げ工事(造成工事)を

 

他業者が 見積を出してきましたが、

 

それだけで 300万円超でございました。

 

(3年前の大洲の工事も規模が違いますが 価格の水準は同等

 

でしたので 高いわけではございません。)

 

総合的な 段取りで 数百万円の価格差が出るのは

 

普通の事でございます。

 

お仕事は 段取りが 大事だという事の 一例でございます。

 

 

 

境界部分のベースのコンクリートの画像。

 

もうすぐ、 外構工事も ほぼ完成いたしますので(月末位)

 

また そのときに 画像を 載せようと。。。。

 

基礎工事も外構工事も 造成工事も 大工の仕事が本来。

 

土木工事とは 大工が 棟梁だった頃はそれほど昔では

 

ございません。

 

(現在は 建築と土木は 基本的には分かれています。)

 

土木業の方が 建築(大工造作)はできませんが

 

建築(大工工務店)業は 土木工事は できるのは当たり前の事。

 

松山の土建屋さんの中で 元をたどれば 大工(工務店)だった

 

所は 結構 ございます。

 

大手のゼネコンさんにも ルーツが大工工務店だったところが

 

ございます。(関西が発祥の所)

 

私の父は そこで 若い頃に 可愛がられて 成長?したとの事。

 

そこから 仕事をもらい 吹田の市役所や 大学等も

 

建てたと 子供の頃、聞かされています。

 

なので、 私の父は 大工から 土建業に なった

 

高度成長期時代の 人でございます。

 

愛媛の 小学校の木造校舎を建てたのも 私の父でしたが

 

それが 木造校舎の最後だと 思っていましたが、

 

ここ最近は 結構、木造校舎が建っています。(温故知新なのかも)

 

父は 木造から ビルなどの鉄筋コンクリート造に変わり、

 

最後は 土木業で 引退いたしました。

 

大手(ゼネコン)の下請け業者でしたが

 

規模的には (最盛期) 私の 数十倍の大きさまで

 

行っていた 強者(つわもの)でした。

 

ですが 職人を捨てることなく、

 

最後は (引退してから) 知り合いの 土建業者のところで

 

一職人として 勤め上げた 方でございます。

 

過去の栄光?等、関係なく 職人が好きだったのだと 思います。

 

楽隠居するより、 健康的でもあるし。。。。にひひ

 

現在は 高齢ですので (持病もあるので)

 

楽隠居でございます。

 

働ける間は ずっと働いた 父に 敬意パー

 

裸一貫で 父は お仕事を 始めましたが、

 

(母も相当苦労したと聞いています。)

 

そこだけは 私も 同じでございます。おねがい

 

最後も 同じで ありたいと。。。。パー

 

甲斐性が 私はございませんので (父ほど)

 

中間は 許してもらいます。爆笑

 

なぜ? こんな話に 反れたのか

 

それは 現在の私の 愛車(タント)が父の お下がりなので

 

それに乗っていると 想うように。。。。

 

今年の春、 透析の帰り道 自分で運転していて

 

バスに おかまを掘り、 (透析後は意識が遠くなるらしい。)

 

これは 大変だと 車に 乗るな と伝えたのですが

 

高齢者の講習(70以上は毎年)にすんなり 通り、

 

危ないので 今時の軽(安全装置の付いた)を

 

買ったのですが、(伸びに伸びてやっと9月に発売)

 

車いすの装置のついた父の車(タント)は 下取りが

 

二束三文だったので 私が 乗ることに。。。。

 

(まだ、そこそこ新しい車だったので。)

 

その車に 乗り換えた私は 父の匂い?がするので

 

こんな話になったようでございます。

 

ちなみにその車の 番号は 7 32 でございます。

 

昭和7年 3月2日。

 

母の 生まれた(誕生日)番号にしていた 父は。。。。おねがい

 

それでは 。。。。。

 

オヤスミナサイクマパー

 

追伸

 

現在、父は 透析の行き返りは タクシーを利用しています。パー

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 松山情報へ
にほんブログ村


人気ブログランキング