『カシスウー論』 ~今回は特別編です~


 こんにちは イイダテツヤです。 
 第52回『カシスウー論』は、いつもとちょっと違う特別編です。

 店の紹介もせずに、ちょっと(というか、かなり)真面目な話をしようと思っています。
 このメルマガで書くような内容かどうかはわかりませんが、
 まあ、もともと、これといって決まった内容を書いているわけでもないので・・・・

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 先日、ある一冊の本を読んだ。

 『あの時、バスは止まっていた ~高知「白バイ衝突死」の闇~』というタイトルで、
 山下洋平というKBS瀬戸内海放送の記者が書いたものだ。

 この本は、高知県で起こった一つの交通事故を綴ったドキュメンタリーである。   
 いまここで、その一部を紹介しようとしているのだが、
 これから私が語ることのすべてを真実だとは思わないで欲しい。

 というのも、この事故(あるいは、事件と呼ぶべきもの)は、いまなお真実を探求中だし、
 この本に書かれていることも、それを読んで私が感じることも、
 すべては「一つのスタンス」という域を出ないからだ。

 それだけはくれぐれも承知しておいて欲しい。


 ことの始まりは、2006年3月3日。
 高知県春野町の国道で、スクールバスと白バイが衝突する事故が起こり、
 白バイを運転してた巡査長は死亡、バスの運転手は業務上過失致死の容疑で逮捕された。

 現場は、片側三車線の大通りで、スクールバスは道路脇の大型レストランから国道に進入し、
 右折するために、中央分離帯のところで停止していた。

 中央分離帯のところで待っていたとはいえ、かなり大型のバスなので、
 中央に届いていたのはバスの前方部分だけで、車輌のほとんどは、
 手前の三車線(バスから見れば左折方向へと進む道路)を塞ぐように停車している格好だった。

 そこに白バイが猛スピードで走行してきて、バスの右前方に衝突してしまったのだ。
 バスの右前方に衝突したところからすると、
 白バイは三車線のなかでも中央分離帯の近くを走行していたみられる。

 事故の状況がイメージできただろうか。
 ちょっとでも図があるとわかりやすいのだが、まあ、それは仕方がない。

 ここに説明した事故の状況は、バスの運転手、バスに乗っていた約20名の中学生、
 バスの後ろから国道に出ようとした乗用車のドライバー(引率者の一人である中学校の校長)が、
 ほぼ同じように証言している。

 この三者の誰もが、これを事実だと認識し、警察の事情聴取でも「その事実」を語った。

 ところが、警察の発表した「事故の真実」まるで違っていた。

 警察発表によれば、「事故の瞬間、バスは時速5キロから10キロ程度でゆっくりと動いていた」らしい。
 そして、「白バイは法定速度の60キロ程度で走行し、動いているバスと衝突した」と言うのだ。

 バスの運転手の責任は、道路を塞ぎ、交通を妨げたことでなく、
 「右方向の安全確認を怠ったまま、バスを進行させていたことにある」と主張する内容だ。
 その結果、法定速度内で走っていた白バイが避けきれず、衝突したという言うのだ。

 その証拠として、警察はバスがつけたとされる「ブレーキ跡」の存在をあげる。
 後に警察は、道路に残る約1メートルのブレーキ跡の写真を証拠として法廷に提出するのだが、
 この「証拠」にねつ造の疑いが持たれた。

 そもそも、バスがゆっくりと国道内に進入し、右折待ちで停車していたならば、ブレーキ跡などつくはずがない。
 まして、1メートルのブレーキ跡となると、それなりの急停車が必要だろう。

 ところが、車内にいた中学生のなかで急停車を感じた生徒はおらず、
 話を聞けたすべての生徒が「バスは止まっていた」と証言している。

 彼らが感じたのは、停車中に白バイがぶつかったときの衝撃だけだ。

 そして、事故の瞬間を目撃した生徒、あるいは近づいていく白バイを目撃した生徒は、
 一様に「ものすごいスピードで近づいてきた」と話している。

 これだけの情報を並べてみると、「警察の言っていることは、どこかおかしい」と感じざるを得ない。
 しかし、私の(おそらくは多くの人の)違和感とは無縁のところで、裁判は進んでいく。

 実際の裁判では、警察の主張するほとんどすべてが「説得力がある」と判断され、
 運転手側が主張する内容のほとんどが「説得力に欠ける」と退けられた。

 その結果、高知地裁での判決は禁固一年四ヶ月。執行猶予はつかなかった。

 その後の紆余曲折は省略するが、ことの次第は次の通りに展開していく。

 運転手側は即日控訴するが、続く高松高裁では「一審の判決に疑わしいところはない」と棄却。
 当然、運転手側は即日上告するが、最高裁の判断も変わることはなく、上告棄却となった。

 事実上、この問題が繰り返し審議されることはなかったのだ。
 普通に考えれば、どうにも不可解な展開だ。

 「それで三審制と呼べるのか」と私は単純に思ったし、
 「三審制といっても、その程度のものでしかないのか」という驚きやある種の落胆もあった。

 私たちは中学や高校で三審制を学んだが、
 この本を読む限り、「一つの問題について、慎重を期すために三度の審議を行う」という姿はどこにもない。

 高裁では、ほとんど書面のやりとりだけで、あっけなく棄却が決まり、
 最高裁は、「裁判をする必要」すら認めてはくれなかった。

 私は法律のことも、審議の進め方についても、詳しいことは何も知らない。
 きっと、私には窺い知れない、諸処の事情があるのだろう。

 そうは言っても、「そこに、もう少し詳しく調べるべき問題」があるはずなのに、
 すんなりと素通りしてしまう制度、やり方には、大きな疑問と不安を覚える。


 表現の仕方、感じ方によるところも少なくはないが、あきらかに警察は何かを隠し、何かを守ろうとしている。

 事故のあった大通りでは、白バイが猛スピード(時速100キロ程度)で走行する姿が何度も目撃されており、
 「一般道を使って、訓練をしているのではないか」という憶測も数多くささやかれていたという。

 これが本当なら、もちろん道交法違反にあたる。
 そして事故後、この道路で(法定速度を超えて)高速走行する警察車輌を見かけることはなくなったと言う。

 これはいったい何を意味しているのだろうか。
 警察が守ろうとしている「何か」が、透けて見える気がしてならない。

 私の表現が、一つの結論をリードしていることは認識しているし、
 それがフェアでないことも理解している。

 しかし、そう表現したくなるほど、警察のやり方には不審な点が多いし、
 裁判の制度、進め方については、あまりにも納得感がなさ過ぎる。


 2010年2月23日、スクールバスの運転手だった片岡晴彦さんは刑期を終えて出所した。

 二つの出来事を並べてはいけないのかもしれないが、
 それから約一か月後の3月26日には、足利事件の菅谷利和さんの無罪が確定した。
 
 「それでもボクはやってない」という痴漢冤罪を扱った映画を観たときにも感じたのだが、
 もし私やあなたの身に問題が起こり、対処のしようがないほど大きなうねりに飲み込まれたとき、
 いったい私たちはどうしたらいいのだろうか。

 これと言って妙案があるわけではないのだけれど、そんな不安や恐怖があるからこそ、
 せめて、私は「世の中とはそういうものさ」と訳知り顔で語るのだけはやめようと思う。
 
 たとえそれがものすごく小さな声だとしても、ときにそれが心のなかだけだったとしても、
 「それって、おかしいじゃないか」と普通に言える感覚を失いたくはない。

 それを正義感とか、道義心と呼んで、変に高いところへ持ち上げるのではなく、
 ごく普通の感覚として、みんなが持ち得たらいいのにと、本当に思う。

 高知で起こったこの問題についても、そのほかの多くの問題についても、
 私にできることはものすごく限られているし、その限られていることさえ、すべて実行しているわけではないが、
 せめて「これって、おかしいよね」と誰かに話したいし、「ホント、それっておかしいよ」と誰かに言ってもらいたい。

 うまく言えないけれど、そういうことで救われる部分もあるような気がするからだ。

 そんなふうに思ったので、今回はメルマガを特別編にしてしまいました。 
 どこかの店を紹介することもなく、カシスウーロンを飲みもしないで、すみませんでした。




 

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