ある日、『ブルース研究所』の所員だと名乗る男から電話がかかってきた。

 

「お宅では、もうすぐ二人目の子が産まれますよね? しかも、それは男の子ですね?」男は唐突にそう言った。

 

「それはそうですが、それがブルース研究所となにか関係が?」

「ほかでもありません。その産まれてくる赤ちゃんに『ブルース』という名前をつけて頂きたいのです」

「なぜです?」と私が尋ねると、男は聞き取るのに苦労するほどの早口で説明を開始した。

 

「私たちブルース研究所では、ブルース・ウィリスとブルース・リーからはじまった『ブルース』の持つパワーについて研究を進めているのです。

 この二人に共通する、人間としてのあふれ出るパワー、人を惹きつけてやまない魅力、不屈の精神と肉体。その最大の要因は『ブルース』という名にあるのではないか、という研究です。わかりますね?」

 

 わかりますね?と言われても、私にはなんと答えていいのかまったくわからなかった。

 しかし、男は構わずに続けた。

 

「まだ世界でも一部の人にしか、このパワーについては知られていないのでピンとこないかもしれませんが、『ブルース』には強靱な肉体と精神を生み出す力が秘められているのです。

 これ以上は極秘事項なので、詳しくは説明できませんが、その研究の最終段階として、『乳児ブルース』のフィジカルデータがどうしても必要なのです。そしてその後、『三歳ブルース』と『五歳ブルース』のデータもとりたいと思っています。

 世代別ブルースデータを、総括的ブルースデータとして、ブルース研究に役立てることができれば、確証的ブルース価値として、広く世間に認知していただくことも可能になります。

 そこであなたにも是非協力して頂きたいのです」

 

 男の口調には、協力するのが当然だと言わんばかりの確信めいた響きがあり、何かにとりつかれているような薄気味悪い熱っぽさがあった。

 

「しかし、ブルースという名前はちょっと・・・」と私が言いよどむと、男は予測されたことのように平然と答えた。

 

「お悩みになるのはわかります。多くはありませんが、まだ少しだけ時間の猶予があります。まずは考えてみてください。強靱な肉体と精神。こんな素晴らしい素養を自分の子に与えたいというのは、親の常というものでしょう。また電話します」

 そう言うと、男は一方的に電話を切った。

 

 私はしばらく呆然としていたが、子どもの名前となると私一人で決めるわけにはいかないと思い、隣の部屋で昼寝をしている妻を起こしに行った。

 隣の部屋では、百キロを超える巨体を畳の上に投げ出すようにして、妻が眠っている。

 私はぐわんぐわんと体を揺さぶって、妻を起こした。

 

「なによ!」

 

 昼寝を中断させられた妻はとんでもなく不機嫌な目で私を睨んだ。悪魔さえすくみ上がってしまう恐ろしい目だ。

 

「子どもの名前のことなんだけど・・・」

 

 恐る恐る私が言うと、「そんなこと、わざわざ今話さなくたって、いいでしょ!」と妻は凄まじい声で怒鳴った。

 大げさでなく、妻の怒鳴り声で窓ガラスがビリビリと震えるほどの大きさだ。

 

 そして彼女は寝返りを打つために体をくねらせ、その反動で私の顔面に強烈なパンチを食らわせた。

 その瞬間、鼻骨が粉々に砕けてしまったのではないかという衝撃が私の脳天を貫き、両方の鼻の穴から血がポタポタと滴り落ちた。

 

 私は鼻をおさえ、急いで洗面所へ向かった。

 そして顔を洗おうとしたそのとき、鼻血を垂らした情けない男の姿が鏡に映った。

 それは、男としての人生がむなしくなるような、あまりに悲しい姿だった。

 

 そのとき私は決心した。

 何としても産まれてくる子どもには『強靱な肉体と精神』を持たせてやろうと。