「仕事をする際、自分の能力を認識・把握しておくことは大切か?」という問いかけをフェイスブック上でしたら、コメント、メッセージを含め多く人が貴重な意見を寄せてくれた。
また、直接会って、話をきかせてくれた人もけっこういた。
そのなかで多かったのは「能力とは、初めから把握、認識するものではなく、仕事をするなかで身につけたり、認識できるようになったりするものだ」という意見。
やってみる前から「自分にはこんな能力がある」と思い込むのは過信、奢りにつながる危険性があり、「自分にこんな能力はない」と決めつけてしまうのは、自身の可能性を損ない、活動の幅を狭める枷になるという意見も多かった。
あるいは、そもそも能力というものは、見る人、評価する人によって異なるため、自分の視点だけで「こんな能力がある」と判断することはできないし、意味がないという意見も聞かれた。
その一方で「プロとして仕事をするからには、自分にできること、できないことの切り分けがしっかりできていなければならない」という意見も多数あった。
できるか、できないかの判断ができていないと、仕事を引き受けてから「やっぱりダメでした」なんてことになりかねないし、そんなことは仕事の現場では許されない、というわけだ。
なるほど、とてもプロフェッショナルらしい意見だ。
さらには、「能力を認識・把握する」という点に限らず、「自分を知る」ということ自体がとても大事だと主張する人もいた。
仕事をするにしても、目の前の課題をクリアするにしても、「自分なりに効率のいいやり方」というものがある。
もちろん人は「自分なりのやり方」というものを無意識的に選択しているのだろうが、「自分」というものをより深く、精密に理解していれば、それだけ効率がよくなり、精度も高まるという意見だ。
これはまたこれで非常に説得力のある意見だし、個人的には、とてもしっくりくるものだった。
もっとも、これらの意見の差異を生んでいるのは「能力」を、どのように捉え、定義しているかに寄るところも大きいのだろう。
一つの仕事が目の前にあって、それに必要な技能、知識などを「能力」と呼ぶのなら、「やってみなければわからない」「誰だって、最初は初心者」という思いでまずはやってみて、必要な能力をその過程で身につけたり、後になってから、能力の有無やレベルを判断すればいい、という発想はとても大事だと思う。
そもそも、その発想がなければ、誰も、何も始められない。
あるいは、その仕事ができる、できない(あるいは、チャレンジするか、しないか)という段階はすでに通り過ぎていて、「どのようにアプローチするか」というステージにいるなら、自分の能力、性格、素養などを考慮し、可能なスタイルを選択することが必要となってくるだろう。
極端な言い方をすれば、「自分の能力」を知らなければ、何もうまくいかないでしょ、という立場だ。
私の問いかけがあいまいだったのかもしれないが、一言で「能力」と言っても、いろいろあるわけだ。
そんなふうに、いろいろあるのは理解しつつも、私はやはり「自分にはどんな能力があるだろう」ひいては「自分ってどんなタイプだろう」と考えるのは、大事なことだと思っている。
もしかしたら私は「自分の能力を(正確に)認識、把握すること」より、「その問いかけ自体」に大きな価値を感じているのかもしれない。
もちろん、「自分にどんな能力があるのか」という問いかけをして、一応の結論を導き出したとしても、それがどれほど正しいのかはわからないし、他人や環境によって修正を余儀なくされるケースは多く、自分の結論を修正する柔軟性は常に求められるだろう。
だからこそ、「自分にはどんな能力があるだろう」「自分ってどんなタイプだろう」「どんな強みがあるのだろう」と自問し続け、修正し続けることが大事なのだと、私は思う。
自分の能力っていったい何だろう。
仕事として成立しているのは、自分のなかの、どの部分なのだろう。
この問いかけに対しては、クリアで、正しい答えなど存在しないのだろうけれど、少なくとも、考えてみる価値はあると私は思っている。
仕事がうまくいっているときは、まだいい。
でももし、自分の仕事が評価されなくなったり、リストラされたり、転職先が見つからなかったりしたときには、どうしたって自分と(自分の能力と)向き合わざるを得ないのではないだろうか。
でもどうせなら、そんなキツイ状況になってから考え始めるのではなく、「仕事がうまくいっているとき」だって、「就職する前の、何にもわからないとき」にだって「考えてみたらいいんじゃないの」と私は思う。
そして、そんなテーマについて、真剣かつ楽しく話せる場があったらけっこういいのになぁ、と私は思っている。
