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ページを1枚1枚めくるように、日々を1日1日生きていく

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もう大分長いこと こうして沈みつづけている

陽が昇っては沈み 星々は毎夜瞬いた

いつの間にか光は届かなくなり 昼夜の区別さえもつかなくなった

自分がどんな姿形をしていたか それすらも忘れてしまった

生温かい滑らかな感覚のみが それでも自らの存在を裏付けている


深い深いこの世界で 何の畏れもなく沈んでゆける

”何故”と考えることは ずいぶん昔にもう やめた

私であったものが崩れ溶け出し この世界と混ざり合って一緒になってゆくことが

ただただ嬉しくてどうしようもない


<補足>
手塚治虫の火の鳥と、友人がみたという夢と、某ボーカロイドの曲(分かる人には分かるかも?)に着想を得てできたものです。
ここ最近、しごとで横浜に行くことが多いです。
仕事場の近くではイベントが催されていることが多く、空き時間に覗くのがここ数週間の楽しみになりました。
先日は日本大通りで、東北復興まつりというお祭りが開かれていました。
 
左右にフラフラ歩きながらお店を隈なく見てまわりました。
そのなかで気になったのがこちら。
 
瓦Re:キーホルダー。
震災の瓦礫ひとつひとつを洗い、切ってキーホルダーにしたものです。
それぞれ質感も色の組合せも異なり、どれにしようかかなり悩みました。
その中で、唯一柄のついたプラスチックが使われている ものに決めました。
上の写真では解りづらいですが、淡いピンクとエメラルドグリーンと白の、レトロメルヘンな素敵な色の組合せです。

丁寧に洗われたとはいうものの、よく見ると生々しい傷痕もついています。

プラスチック片は切ったそのままの状態でトゲトゲのささくれが少し気になり、軽くやすりでもかければもっと良いのにとも思ったのですが、それも使っていくうちに丸くなっていくのでしょう。
こちらも何とか携帯電話に付けました。

浜のミサンガと瓦Re:キーホルダーとグレンファイヤー。笑
瓦Re:キーホルダーの売上は被災地の方達の収入になり、このキーホルダーを買うことで瓦礫の処理にも役立つらしいです。

お祭りでは他に姫りんごを購入。
  
岩手県産で3個で100円。
普段はなかなか果物を食べられないけれど、このサイズなら皮ごとまるっと食べられそう。
美味しそうなものを3つ選んで、他のお客さんの接客を終えたおじさんにお願いしますと渡したら
「納得のいくものが見つかった?!」とガハハとわらわれました。笑
あと、気になったのがここのあきたこまち。

販売方法が変わっていて面白そうでした。
3人の若手農家の作ったあきたこまちに、それぞれ面白いキャッチフレーズが付いていました。
値段は少し高めのようでしたが、パッケージがお洒落で、食べ比べしてみたくなる感じです。
トラクター男、略してトラ男と呼ぶそうです。
惜しむらくはトラ男がもう少しイケメンなry・・。
いや、皆さん素敵な笑顔です!ホームページも面白いです。口癖を紹介しているのが良いですね。


瓦Re:キーホルダーの販売者ブログ
http://11shokunin.com/blog_g/

トラ男
http://www.torao.jp/index.html

東北復興まつり主催 かながわ11
http://www.kanagawa11.com/

twitterで知り、直後に注文してしまいました。

東北の漁港の女性達が、漁業用の網を切って編んだミサンガです。


Turn The Pages-t01    Turn The Pages


今時ミサンガ、などと侮れない、なかなかお洒落なつくりです。

木製のビーズをスライドさせて簡単に取り付けできるようになっています。


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両端は金属っぽい部品が使われていて丁寧に作られています。
これも漁網の一部なのでしょうか?


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セットのミサンガは刺繍糸で編まれたもの。

紫から青へのグラデーションが綺麗に編みこまれています。

浜ごとの製造番号が付けられているそうです。

私のミサンガは、釜石で4502番目に作られたものでした。


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私は恐ろしく腕もののアクセサリが似合わないので、細いほうのミサンガは足首に、漁網のミサンガは携帯電話に付けてみました。



自分は、長くはない人生経験のなかで既に何度か無職期間を経験しています。

毎日やるべきことがないのは本当に辛いです。

震災後自分は、少ない募金や物資の支援でしか協力できず、実際に被災地へ赴く人や行動を起こす人にただただ敬意を覚えるばかりでした。


けれど、こういう支援のかたちでなら自分でも僅かながら協力できます。

仕事が欲しい という想いに共感します。

漁業の大切な道具である網を切る想いは量り知ることは難しいですが、それでも、ビーズやミサンガに使われている綺麗な青に心を洗われる想いがします。




三陸に仕事を!プロジェクト

http://www.sanriku-shigoto-project.com/


悪夢をみた


多次元世界を走っていた


ブレーキの効かない自転車に乗って



夜であった


星の光が弱々しかった



暗闇のなかを進んでいった


店々の くすんだ灯を目指して



とても暗い夜であった


星々は光りを失いかけて



闇がとても恐ろしかった


私はひどく不安だった



日々の出来事を書いていくつもりが、3ヶ月以上空いて2つ目の記事です。


11日当日、バイト先で休憩をとり終わり、4階の駐車上へ出た瞬間でした。

最初は目眩かと思うような揺れ、間もなく立っていられない程の容赦の無い揺れがきました。

長い揺れの間、あまり多くのことは考えていませんでした。

目の前に停めてある大型ワゴンが前後に激しく動き、タイヤ止めに何度もぶつかっていました。

近くに建っている高層ビルが、僅かにうねって揺れていました。

傍の手摺りにしがみつきながら、おそらく人生で初めて、死を覚悟しました。

それでも矢張り、被災地の被害状況を知ると、あの揺れで死だなどと、甘い思いだったかも知れません。


その日は職場で一夜を過ごしました。

多くの職場仲間が一緒だったのが、本当に救いでした。


何不自由無かった怠惰な生活が一変しました。

今回の地震で、ほとんどの人が色々なことを考えさせられたことと思います。


私がまず最初に感じたのは、食べられる幸せでした。

当日夜、非常食を配給され、職場にあった食料をみんなで分け合い、食べ物ひとつひとつが本当に大切なものと思えました。


大切な人達と一緒にいることの大切さも痛感しました。

11日以降数日間は、心身が本当に不安定で、昼間も1人で家にいられず夜は尚更で、ずっと出歩いていました。

テレビを見たり、当日夜仲間と一緒にいたことを思い出したり、電力不足などのことも相まって、家族や友人等と一所にいることが、物理的にも精神的にも効率的で、とても幸せなことなのだと気付かされました。


何よりも1番痛感したのは、自分が生かされているという事実でした。

食べ物を食べるにしても、電車で移動するにしても、全ての日常生活に於いて、自分はただ生かされていました。


バイトも暫らく休みになり、実家に一時的に帰省して、かなり落ち着いてきました。

姉には、感傷的になるな と怒られましたが、矢張り想わずにはいられません。


とは言うものの、多くの人は日常をとりもどしつつあります。

それでも矢張り、店には商品が少ないし、照明は薄暗いです。

計画停電、必要なところに電気が供給されないのはとても問題と思いますが、節電の意識は有りだと思えます。

”生活様式の変化”というのは、不安もありますが、期待できるものもあるのではないでしょうか。


自分が今も安全であること、

飢えていないこと、

電気を使えること、

凍えていないこと、

電話で話す相手がいること、

明日だけでなく、少し未来のことを考えられること、

太陽の光を浴びられたこと、

ほかにももっとたくさん、

すべてのことに感謝を忘れないように、毎日を過ごしていきたいと思います。