映画「浅田家」を家族で見てきました。
某大人気の作品が映画館を席捲していて
上映時間が朝と夜に限定されている映画館が多いので
少し足を延ばしてようやく見ることができました。
家族のステキさを伝える前半と
悲しみを抱えた家族と出会うことで
成長主人公を描いた後半。
関東に住む私たちは大震災の現地の様子を
テレビでしか見たことがなかったので
現場の悲しみや嵐の真っただ中のような緊張感が伝わってきて
思わず前のめりに見てしまう作品でした。
映画のワンシーンで自分なりに言語化したいと思ったこと。
「悲しみを抱えた人と接するときの心構え」
病気を抱えたご本人、そのご家族と接するとき
何気ない言葉や笑顔の後ろに悲しみが隠れています。
どうせ...
なんで私だけ...
もう終わった...
この感情を手放すお手伝いをしようとすると
どこかに同情の感情が入り込んだり
「自分が何とかしてあげたい」という謎の正義感が生まれて
事態がこじれた方向に進みます。
誰でも一度は経験がありますよね。
人は誰しも常に前向きに生きたいと思っているので
辛い出来事が起こって 一度は立ち止まったとしても
どこかで自分の感情に折り合いをつけて
また前に進み始めます。
悲しみの感情を手放すお手伝いなんて
実は他人ができることではありません。
サポートする側に必要なことは
相手の前進を信じて
感情を共有する相手であり続けること。
たとえ余命を宣告されたとしても
本人が「2年生きたい」と言ったら
2年生きることを信じて
必要なことを一緒に探し回ればいいんです。
悲しい時は一緒に泣き
検査結果が改善したら一緒に喜び
弱気になったら背中をバンバン押す
サポートする側の本気度が相手に伝わって
一歩を踏み出すヒントになる...
そんな瞬間に何度も立ち会いました。
「浅田家」は私に初心を文字にしたくさせてくれるほど
ステキな映画でした。
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