36人が死亡し、33人重軽傷を負った戦後類を見ない放火殺人の初公判が京都地方裁判所で行われました。

 

 

 

 

 

悲しい裁判

弁護側は青葉被告の無罪を主張しています。

 

弁護側の立場上仕方ないのは分かりますが、事件に対する向き合い方としておかしいですね。

 

青葉被告が罪を認識し遺族に償っていくために、大量の時間、マンパワー、お金を投入して彼を生かしたのは被告と原告の共通認識でしょう。

 

にもかかわらず弁護側はその前提をすっ飛ばして無罪を主張するのは事件に対する理解が足りないでしょう。

 

「とんでもないことをした。反省している。

 

みんなに生かしてもらった人生。残された時間は遺族へ償うために使っていきたい。」

 

くらいの姿勢で裁判に臨むのが道理と思いますが。

 

変な話そのほうが青葉被告の命が助かる可能性が高いように思いますけど。

 

 

こんな裁判じゃ開く意味はないよね。時間は有限だし無駄なやりとりは悲しみを深くするだけだと思うよ。

 

裁判が終わった後、この事件に関わった人が少しでも楽になればいいな。

 

 

事件の概要

青葉被告が京アニに盗作されたとの思い込みが犯行の動機。

 

青葉被告が京アニスタジオに侵入して10~15リットルのガソリンを撒いて着火。

 

従業員70人のうち36人が死亡、33人が負傷。

 

高温の煙がごく短時間で上層階まで回ったため避難は困難な状況だった。

 

 

 
青葉被告の凶行を予見するのはほぼ不可能。
 
罪のない人がなぜ辛い目に遭わなければならないのか。

 

 
このような犯罪を生まない社会づくりが必要ですが、難しい問題です。