私は歴史学専攻の大学院(修士課程)に進みました。

 

しかしながら、研究が上手くいかず、半年間の休学(留年)を経て、最終的には退学することになりました。

 

従来から理系学生の大学院進学率は高いものがありました。

昨今では文系の学生の中にも、大学院に進学する人がそれなりの人数いると思います。

 

しかしながら、その全ての学生が充実した学生生活を過ごし、大学院を修了できるわけではありません。

休学・留年・退学。

様々な理由で迷っている大学院生が、それなりの数いると思います。

なにせ、私もその内の1人でしたから。

 

そんな時、「大学院休学」「大学院退学」などとよく検索したものです。

意外と多くの記事がヒットし、自分の進路を決める上で大変参考になりました。

 

この記事もそれらの記事の一端に属するものです。

この記事には私の経験を書きとどめてあります。

 

特に「大学院生の休学・留年・退学」に関する記事の多くは、理系大学院生によるものが多かったように記憶しています。

文系大学院生の立場による「大学院生の休学・留年・退学」に関する記事は、そういった意味でも多少は意義あるものではないかと、勝手に期待している次第です。

 

この記事の内容が、私と同じような迷い・悩みに直面している人々の役に立てばうれしい限りです。

 

なぜ大学院に進学したのか

そもそも、なぜ私は大学院進学をしようと思ったのか。

それは、学部時代の研究では物足りないと思ったからです。

 

私の所属していた大学では、学部1年時は一般教養を学びます。

2年時になりやっと研究室に配属され、専門的な研究を始めるのです。

そんな環境の中、私のターニングポイントが学部2年の春休み、学部3年に進級する直前におとずれました。

 

それは、学内で行われる公務員対策講座の締め切りでした。

 

当時の私は公務員志望でした。

その時の私は、公務員試験を受験する際には、学内の公務員試験対策講座を利用したいと考えていました。

(結局、のちに私は独学で公務員試験対策をすることになるんですけどね...。)

 

一方で、本格的に研究を始めてからまだ1年足らず。

もっと自分の専門(=歴史学)を研究をしたい、という強い願望がありました。

 

そこで私は、学内の公務員対策講座の受講を断念し、大学院に進学することを決意しました。

公務員試験対策と受験を先送りし、大学院に進学し、研究を深めることを決心したのです。

 

一般に、文系大学生の大学院進学率は理系と比べて高くありません。

せいぜい10~20%といったところでしょう。

 

ところが、私の同期の内のそれなりの人数が大学院進学を志していました。

幸か不幸か、私が大学院進学を決意するのに、心理的障壁は低かったと言えます。

(別に、同期がいなくても大学院に進学していたでしょうが...。)

 

その後、私は他大学の大学院も受験しつつ、結局は学部時代にお世話になった研究室に内部進学することになりました。

同期の多くは、私が大学院を受験しているさなか、民間企業の就活をしたり公務員試験を受験したりして、社会人として羽ばたいていきました。

やはり、一抹の寂しさを覚えずにはいられませんでした。

 

研究に対する違和感と満足感

さて、私は無事に大学院進学を果たしました。

しかし、白状すると、大学3年生の2学期ごろから研究に対する違和感を感じ始めていました。

 

歴史学とは何か?

歴史学は何を明らかにできるのか?

歴史学が歴史「学」であるための条件とは何なのか?

 

そういった疑問を懐きつつも、何とか卒業論文を書き上げ、大学院受験をこなしていました。

 

そんなこんなで大学院に進学したわけですが、事態は快方には向かいませんでした。

むしろ、卒業論文をまがいなりにも完成させてしまったことで、歴史学研究に対しある種の「満足感」をいだいてしまいました。

 

学部2年時の春休みの時点では、私は「まだまだ研究をしたい」と思っていました。

それが、大学院1年の時点、より正確に言うならば卒業論文を書き終えた直後の学部4年の時点では、私はもう「研究に満足していた」のです。

これは、学部2年の春休みというかなり早い時点で、その後の進路を決めてしまったことに起因する弊害だったと思います。

 

片や「違和感」、片や「満足感」。

大学院入学以降の私は研究が全く手につかず、修士論文どころか毎学期の進捗報告すら満足にできない状態でした。

 

もちろん、研究に飽きつつあった学部4年の時点で、大学院進学を断念し、就職をするという選択肢もありました。

しかし、それは3つの点で現実的ではありませんでした。

 

まず1つ目として、公務員試験を受験することはできない状態でした。

大学院進学を前提にしていたので、公務員試験の対策をしていなかったからです。

 

2つ目として、民間企業への就職も厳しい状態でした。

そもそも民間企業への就職は考えていなかったので、こちらも未対策だったのです。

 

3つ目として、修士課程であればみんな修了できているという事実に対する甘えがありました。

これまで、大学院修士課程に進学した先輩方はみな論文を書けているし、修了も出来ている。

「みんな」そうであるならば、自分もなんだかんだ修士論文を書けるし、修了もできると思っていたのです。

 

留年と休学

先述したように、大学院進学以降、研究は全く捗りませんでした。

 

一方で、私は修士課程1年時から、公務員試験の対策を独学で始めました。

学部時代にとらなかった以上、学内講座を受講するのは癪だと感じたからです。

また、ウン十万という金を払って公務員対策講座を受講しているヤツらに対する、反骨心のようなものもありました。

 

修士2課程年なっても、相変わらず研究の方ははかどりません。

 

他方、同時並行で受験していた公務員試験についても、徐々に違和感を強めていました。

私は独学ながらも、また第一志望ではありませんが、複数の官公庁から内定をいただきました。

しかし、公務員試験を受験する中で、自分がなりたいのは公務員ではないのではないかという気持ちが強くなっていったのです。

 

そうして運命の時が来ました。

 

修士論文の提出期限です。

当然私は提出できませんでした。

これで留年確定です。

 

次に考えるべきは、内定を受諾するか否か、受諾しなかった場合大学院を退学するか否かです。

 

ここで、私は友人に救われました。

というのも当時の私は、研究の失敗や就活での悩みなどを抱え、その旨を友人に話していたのです。

そしたらその友人は、「だったら休学して、少し休んでみたら?」と言ってくれました。

なぜかは分かりませんが、当時の私にはこの一言が刺さったのです。

 

思い返せば、私は長い間努力を続けて来たことに気づきました。

高校受験や大学受験、卒業論文に修士論文、さらには部活やサークル活動など。

10年近くもの間、その時々においては「頑張っていた」とは思っていませんでしたが、間違いなく努力をしていたのです。

「金属疲労」のようなものがたまっていたのです。

 

友人の進言は、これを慮ってのものだったわけです。

 

私は決断しました。

長らく私の内定受諾を待ってもらっていた官公庁に、辞退の旨を伝えました。

そして、大学院を留年し半年間休学することにしました。

 

休学・復学から退学へ

休学期間中は、意図的に研究から離れました。

嫌いになってしまっていた研究から、距離をとりたいと考えたからです。

疑うべくもなく、当時の私には休養が必要だったのです。

 

一方で、民間企業への就活を始めました。

公務員試験を受験する中で感じた違和感から、民間就職へ変更したわけです。

これは上手くいきました。

夏ごろになんとか内定をもらうことが出来ました。

 

また、時間があったので、資格の勉強をしました。

TOEIC、簿記2級などを取得しました。

多少は就活の役に立ったかもしれません。

 

そんなこんなで時間が過ぎていき、休学期間が終わりました。

私は復学しました。

 

そして、再びのターニングポイントは復学直後にやってきました。

 

私は修士論文執筆の前提となるゼミ報告ができませんでした。

歴史学に対する違和感を消し去ることが出来なかったのです。

もちろん、私の力量不足も大きな原因でした。

 

私は退学を決意します。

2度目の休学はあり得ません。

期間を延長しても修士論文を完成させられないだろう、との見込みがあったからです。

 

また、私は既に「大卒」ではあるので、大学院を中退したとしても何とかなるとの計算もありました。

 

とはいえ、私は「院卒見込み」で就活をしていたので、その点は内定取り消しの不安がありました。

幸い内定先からは「大卒」として採用していただくことが出来ました。

 

こうして、私の大学院生活は幕を閉じることになったのです。

 

大学院中退を今から振り返ってみて

結局私は、大学院修士課程に3年在籍しつつも修了できませんでした。

経歴上は「修士課程中退」となるわけです。

しかも、私は半年間休学しその後復学しているので、学部4年で就職した同期たち比較すると、3年もの時間をビハインドとして背負っていることになります。

 

確かに、人よりも多くの時間とお金を使ってしまいました。

しかも、修士号を取得できていません。

その意味で、無駄といえば無駄な3年間でした。

 

しかしながら、個人的にはこの3年間を「無駄だった」とは思っていません。

4つほど理由を挙げておきましょう。

 

まず1つ目は、自分の専門分野の知見を一層深めることが出来ました。

そもそも、私は歴史学が好きだから大学院に進んだわけです。

そんな自分が好きだった「歴史学」を、まさしく嫌いになるまでつきつめられました。

「好き」なものが「嫌い」になる。

これほどまでに何か一つのことに集中するという経験は、なかなか出来ないのではないでしょうか。

 

次に2つ目として、友人が増えました。

私は内部進学だったので、人間関係が大きく変わることはありませんでした。

それでも、学部時代にはさほど仲が良いわけではなかった人物と、親交を深めることが出来ました。

これは、私の大きな財産です。

 

3つ目として、あまり好きな表現ではありませんが、学生という比較的自由な時間を延長することが出来ました。

今まで行ったことのない場所に行ったり、今までやったことのないバイトをやったりしました。

また、自分の専門ではない他分野の書籍を読んだりできました。

要するに、自分の視野を広げることが出来たわけです。

 

そして4つ目として、特に休学して以降の最後の1年間は、休息をとりつつ自分を見つめ直すことが出来ました。

私の体に蓄積した金属疲労を取り除くことが出来ました。

そして、私が何を好むか・好まないか、何を軸にしてこれまでの人生を生きてきたのかを省みることが出来ました。

その上で、今後の人生をどう歩んでいきたいのかという方向性を定めることが出来ました。

 

以上、私が大学院修士課程を修了できなかったことについて書いてきました。

ここ数年間の私に起こった出来事をただ書いただけの駄文です。

 

読んでくれてありがとう。

おしまい。

 

※ちなみに

私がなぜ文学部に進学したのかについては、以下の記事に詳しく書いてあります。

ご覧ください。

 

 

※ちなみに②

大学院時代の就活や未経験エンジニア就職については、以下の記事に詳しく書いてあります。