■同年代の友人へ送るLetter。――

人と月とNewton

 

おはようございます。

先日の五十嵐さんの電話で偶然知ったことですが、昭和16年7月14日の深夜誕生した五十嵐さんは、占星術でいえば、《水星人のマイナス》という運命星を背負っていることがわかりました。ぼくは《木星人プラス》です。

マイナスもプラスも特に意味はないようです。水星人にも二種類の人がいるので、プラスとかマイナスとかに区別しているのでしょう。

――ちょっと話は長くなりそうですが、聞いてください。

いつでしたか、ぼくは中国の2000年以上むかしに活躍した曹操(そうそう)という人物についておしゃべりしたことがありますが、彼は、「孫子の兵法」をだれもが読める本にまとめた人として有名です。

「三国志」のなかで曹操の活躍する姿が描かれています。

その彼が戦いの戦略にたいへん強かったのは、現在、当時を振り返ってみますと、あたりまえのような気がします。なぜなら、会ったこともない敵の大将の人物像、――どういう性格の人物か、部下にたいしてきびしい人なのか、優しい人なのか、人望の厚い人なのか、そうでないのか、などなど、敵の司令官の個人情報をあらかじめ知ることができれば、戦略を有利に立てることができます。

このときに曹操が考えたのは、当時、学問のひとつとして成立していた「占星術」を、戦いの戦略・戦術に用いることでした。

曹操は、占星術を戦いの戦略に使った最初の人物です。

 

 

ニュートン。――1689年のニュートン(ゴドフリー・ネラー画)

 

中国に仏教が伝来され、最初に仏教を認め、それを国の宗教にしたのは、ほかでもないこの曹操です。仏教との出会いが、曹操にとって最大の幸運をもたらしました。

で、曹操は、竹菅に書かれた「孫子の兵法」を勉強し、だれもが読める一冊の本にまとめ、最も効果的な攻め方、守り方を研究し、占星術で敵の司令官の人物像を割り出そうとしてそれに成功します。――それがいまいわれている「占星術」です。

現在では、単なる「占い」に堕ちてしまった感がありますが、西洋――特に古代ギリシャ――でも春秋時代の中国でも、ちゃんとした学問として発達していたわけです。日本ではそういうことはありませんでした。

ぼくは人と交わる仕事をやるようになって、「三国志」、「孫子の兵法」を読み、占星術を読み、人相・骨相・手相・面相学をひそかに勉強しました。相手に出会った瞬間に、その人のだいたいのことが分かると実にこころ楽しいものです。

これは心の鍛錬のたまものなんかじゃなくて、前もって、テキストがちゃんとあるのでおもしろいのです。それは剣道・柔道をやるようになって、少しは感じていました。

相手はどのような手を打ってくるだろうか、いま何をどうしようと考えているのだろうか、そういうことが、相手と立ち会った瞬間から、手に取るように、じわりと分かってくるとおもしろいとおもいます。

ぼくが最もおもしろいと思ったのは、クリエーティブ部門から営業部に転じたとき、ひどく落ち込んでいました。

 

 

 

 

そのようなときでしたから、とても興味があったのです。

人の気質や性格は、一朝一夕には変えられません。それを知ると、この人にはただじっと待っているだけでいいとか、あの手この手で毎日お伺いしなくちゃならない人物だとかが分かるようになります。

あるいは、自分の昇進に一喜一憂しているだけの、ただの薄っぺらい人物だとか、まじめだけれど、仕事に汚点がなくて、つつがなくその日その日の勤務がつづけられることだけに汲々としている詰まらない人物だとか、新しい仕事を次々につくって、この上なく忙しくしている人物だとか、いうことはりっぱだけれど、自分では何ひとつ行動したがらない、不精者を絵に画いたようなくだらない人物だとか、挑戦なんて真っ平! と思っている役人気質の男だとか、上には弱くて下には強く出る、口先だけが達者な人物だとか、――まるで、小説に登場する人物の典型像がいたるところにいることが分かります。

こういうぼくにも、人の描くぼく自身の人物像がたくさんあると思います。

それはお互いさまで、欠点も長所も、あるときは逆転して、欠点が長所になり、長所が欠点になったりします。1000人と出会えば、1000通りもの違いがあるでしょう。

それが人間です。

しかし共通していることは、これまたたくさんあります。

人間と病気について考えを深めていきますと、どういう人物がどういう病気になりやすいかが分かるといわれています。1955年、アメリカの思想家ロン・ハバードという人は、「病気の70パーセントは心因性による」といいました。心因性なのだから、人間は病気を克服できる、と考えたのです。

で、ロン・ハバードは、「ダイアネティックス療法」を開発しました。ぼくがその本を読んだのは、1980年代の初頭でした。

いっぽう占星術は、個体の誕生日から起算して、現在、あるいは将来、どのような心身の変化が起こるかを教えます。心身の変化には、いい変化と悪い変化があります。

人は悪い変化を受けないようにすればいいわけです。月の運行との関係で潮の満ちひきがあるように、天地の運行や、重力の変化にどうしても影響されます。それを避けることのできた人はひとりもいません。

地球は引力の影響で、赤道付近が盛り上がって楕円形に膨らんでいます。月の引力が最も受けやすいのは赤道付近です。引力が最も受けにくいのは、南極と北極です。そこは引力がほとんどないので、重力だけがあり、あらゆるものが赤道よりも重くなります。

振り子時計ならば、2分以上も狂ってしまいます。

振り子時計は、重力が小さくなるほど遅れます。

反対に重力が大きくなるほど早くなります。地球が引力と、自転する遠心力とによって楕円に膨らんでいると説いた人がいます。その人の名はニュートンです。重力というのは、正確には、「引力」と「遠心力」を合わせた力をいいます。

これをニュートンは、「回転楕円」といいました。このように、厳然とした宇宙と天地自然の運行は、人間が生きている以上、避けることができません。占星術はその運行から割り出された冷酷無比な確率的データに基づいています。

そういう、宇宙の運行に基づいた占星術は、なんと紀元前に成立しています。人類が宇宙を知るはるかむかしに、宇宙の運行がもたらす人間の運勢を説いているというのは驚くべきことです。宇宙のことは何ひとつ知らない時代に、「いかにして」人間は自分の運命が決められているかを経験的に知ることができるわけです。

科学は、「いかにして」を問いますが、現在の近代科学の命題は、「いかにして」ではなく、「何ゆえに」です。

宇宙のビッグバンはいかにして起こったかについては、およそ80年ほど前、エドウィン・ハッブルによって突き止められました。ただし、ビッグバンが起こってからの3分間はまだ分かっていません。

いかにしてビッグバンは起こったかについては、だいたいのことは分かっています。しかし、何ゆえに起こったかについては、いまだに分かっていません。それが科学の限界、といわれています。

ちょっと蛇足になりますが、ニュートンの名が出てきたので、「ニュートンのリンゴ」について少しおしゃべりします。

ニュートンは落ちるリンゴを見て引力を発見したとよくいわれます。いかにもニュートンの伝記作家の書きそうなエピソードです。事実、ニュートンの伝記にはちゃんと彼のリンゴが書かれています。

事実は、違います。1666年、――この数字は覚えやすい数字で、いまでもちゃんと覚えていますが、この年、ニュートンはペストの流行で、やむなくケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジを去り、いなかで暮らしていました。彼は学生で、24歳のときです。

月について、彼はこういうふうに考えていました。

空間を高速度で動いている巨大な惑星のようなものだと思っていました。それがなぜ高速移動しているのか。ニュートンは月の大きさと地球からの距離は知っていました。偶然にも月と太陽との見かけのサイズはほとんど同じで、ほぼ2分の1度を占めます。

太陽の皆既食が、あれほど完全な壮観を繰り広げるのは、この偶然のおかげです。月の大きさと、太陽の大きさがぴたりと合致するからです。

しかし、大きさの規模が何桁もちがう巨大な大宇宙と、日常の現実世界を結びつけるつながりを脳裡に浮かべたとき、ニュートンは、あることを自分の家の裏庭で偶然発見します。

夜空に浮かぶ月が、果樹園のリンゴの樹の、あるひとつのリンゴの大きさと偶然にも合致します。リンゴが球体だったことも幸いしたのかも知れません。幾何学を考えつづけるニュートンの目には、別の球体が枝からぶら下がっているのが分かりました。

資料によれば、――20フィート(6メートル)離れたところにある直径2インチ(約5センチメートル)ほどのリンゴが、空を背に、月と同じ2分の1度を占めていたと書かれています。この角度は、ニュートンにとって第2の天性のようなもので、ユークリッド幾何学の合同三角形は、心の目にしっかりと刻みつけられていたわけです。

物体の大きさを考えるとき、ひとりでに浮かんでくるもうひとつの図は、「逆二乗則」です。

たとえば円盤の明るさは、距離が2倍離れれば、半分ではなくて、4分の1になるということと同じです。この「逆二乗則」はニュートンによって発見されまた。

リンゴはもちろん球体ではありませんが、くるくるまわりながら毎日2万5000マイル(4万2000キロメートル)を旅する地球上の他のものといっしょに、空間を飛んでいることになります。

それならば、なぜ紐に吊るしてぐるぐる振りまわした石ころのように外向きに振れず、おとなしく下向きにぶらさがっているのだろう? 

この疑問は月にも当てはまります。

月はなぜ、同じ面を見せながら、地球のまわりをぐるぐるまわっているのだろうか? 何に押されて、あるいは引っ張られて、真っ直ぐな進路からずれていくのだろうか? という疑問です。

このときニュートンは、「わたしは月まで及ぶ重力のことを考えはじめた」と述懐しています。

つまり、この現象は、月が地球のまわりを飛んでいるというのではなく、地球のまわりを、地球の引っ張る引力によって、地球の方向に落下しつづけているためであると考えました。

かんたんにいえば、リンゴも月も地球に向けて落ちつづける、ということです。万有引力の発見の謎は、そういうふうにして説明されています。

この発見は偉大ですが、困ったことに、ニュートンにはなぜ引力が存在するのかについてはとうとう分かりませんでした。しかし、いかにして落下しつづけるかについては、その謎がニュートンによって解明されたわけです。

占星術という学問は、りっぱな学問であり、科学も何の尺度もない時代に、満潮時になると人は死ぬことを覚えます。潮の干満はなぜ起こるかについては知らなくても、それが起こったとき、人間はどういう影響を受けるか、それを知り、膨大なデータを蓄積し、占星術が誕生しました。

ぼくは、この学問をたんなる占いというふうには考えていません。

占い的な利用の便を持ちながら、じつは万古不易に変わらない真実を衝く科学のひとつであると思っています。

ですから、これをもってわれわれは「占い」といっているに過ぎず、当たる、当たらないの、「占い」ではないことが分かります。――当たる、当たらないという側面は否定できませんが、われわれは厳然とした宇宙運行の変化のなかに生かされているわけです。からだのなかにある60兆もの細胞は、敏感にそれを察知しているという事実は、否定できません。ニュートンの引力とおなじです。この影響を避けることはできません。

ドイツ医学の精神療法のひとつに、そうした引力や重力に抑圧された患者たちを真空ドラムのなかに入れて、重力に反作用を起こして治す新療法が開発されています。わが国にもそういう施設があります。

それは銀座4丁目にあり、ぼくは一度だけ体験してみました。たちまち気分爽快になります。

ただし、1回の費用は、1万5000円でした。水のなかに入ったように、からだがふわりと浮きあがります。無重力とはいきませんが、それに近い感覚をおぼえます。

ここでいう引力というのは、月の引力のことで、地球や人を引っ張りつづけます。重力は、地球の中心部に引っ張られるパワーのことで、重力から引力を差し引いたものがほんとうの重さです。

一般には引力も重力もごっちゃにして、単なる地上の重さを測っているに過ぎません。ほんとうに正確無比な重さは、重力から引力を差し引いたものです。素粒子の質量を測るには、引力を差し引いて算出されます。それは正確な数値を求めるためです。

さて、前置きがながくなりましたが、五十嵐さんの病いは、占星術でいえば、他人との相性の悪さに起因していると出ています。相性とは、両親・兄弟をはじめ、他人――男女の違いによらない、――相性です。すべて対人関係の問題が予測されます。もしかして家庭運に問題があり、親子の愛情に恵まれず、データによれば、この星の生まれの人は、家庭的なあたたかさに恵まれないとあります。

もしそうならば、生まれて以来、80年間に蓄積されたある種のトラウマを、完全に取り除くことが大事でしょう。そうでないならば、ほかに原因があるのかも知れません。原因が分かれば、それを改善する方法はいくらでもありますから、必要ならばいくらでも申し上げることができます。

記憶が大きな原因になっていることは、すでに申し上げました。

ぼくは思います。健康を保つには、バランスをよくする。交換神経と副交感神経とのバランス、ホルモンのバランス、地上と地下の食物のバランス。――たとえば、人間のヘソを起点にして、ヘソより上を地上といい、ヘソより下を地下といい、ヘソより上にある臓器に問題があるときは、地上に生るモノを食べる。反対に、ヘソより下の下半身に問題があるときは、地下で生る野菜や、球根類などを食べる、というわけです。

――複雑な現代社会を絶妙なバランスを保って、自分の足で歩く。

これがぼくの考えです。

ぼくは人の書いた人生論なるものは大嫌いでした。いまも嫌いです。

人生とはこういうものだ。人生とは切ないものだ。人生とは悲しいものだ。人生とは苦しいものだ。――だいたい宗教家が唱える教説は、こういう話が多いのではないでしょうか。「くだらない!」と思ってしまいます。

でも、宗教家のいうことはくだらいように見えても、お経本にじっさいに当たってみると、そうでないことが分かります。今ここに、お経本ではありませんが、吉田兼好によって書かれた「徒然草」があります。まるでお経本みたいな本です。

この人は出家僧です。僧の手になる厭世的な、懐疑的な、「もののあわれ」や「無常観」をベースにしていると若いころに教わりました。そのせいがありまして、ぼくは「徒然草」のよき読者になれないまま現在にいたっています。

吉田兼好は、世にもめずらしい合理的で論理的な思考の持ち主であることが分かります。人生とはこういうもだという「決めつけ」は、若いころには反撥心しか抱かず、ながいあいだ誤解していました。

世間の移りゆく様相、日々の生活、人間関係、そういった話題から、心理、教養、哲学、宗教といった学術的な話題にいたるまでその視線はひろくて深く、いちいちの指摘や意見は、簡潔明瞭で、まことに鋭いものがあります。

ローマの到来とともに、イギリス史の古代がはじまったのです。

ローマの将軍カエサルは、紀元前55年、一万あまりの軍を率いて海峡をわたります。彼の「ガリア戦記」によると、ブリタニアの遠浅の海岸はローマの大きな船には接岸を阻み、重装備の兵が船から水中に飛びおりて敵と戦ったとあります。

翌年カエサルは、3万7000の軍によってふたたびブリタニアを侵攻し、内陸まで攻めこみ、諸部族らを服従させました。

しかし間もなく属州ガリアにおける不穏な動きが伝えられ、彼は軍団とともに引き返さざるをえなくなります。ブリタニアを領土としたわけではありませんが、すみやかに決断し、困難に対応する武将としての名声は高まったのですから、カエサルの野心は達成されたといえましょう。

グレートブリテン島のゲルマン諸部族の共通語であり、英語学でいうところの古英語(Old English)が出現します。英雄詩「ベオウルフ」がこのころの英雄の力、知恵、忠誠心、生と死を歌いあげています。

そのころの表現を借りれば、英国人とはいわず、部族をこえて英語を話す人という意味のイギリス人(English)と記録しています。――歴史も、結構おもしろいなと思います。