田中トシオのあったかぁい元気 -27ページ目

幸せの古宇利島?

久しぶりの沖縄、

真っ白な長い橋を渡ると 古宇利島、テレビコマーシャルで一躍人気になった奇岩ハートロック

周りはコバルトブルーやエメラルドグリーンの海、そしてロマンチックな夕陽

ここはいつの間にかカップルには幸せの島だそうだ

 

釣り以外興味は無いが 少し足を延ばして、北にある古宇利島まで行ったが、、、。

 

中国人とカップルだらけで混雑   縁の無くなった私は、。、、、、、。  ここは止めよぅ、、。

今は戻れない若かりし独身の頃、沖縄行きは夢だった。

 

台風の余波、暴風雨警報のど真ん中なのに 青空、晴れ男だけは健在

 

相変わらず きれいな熱帯魚が釣れる未知の島

ここは、一つ手前の 屋我地島

ハリセンボンに珍しいイットウダイにエサ取りのオヤビッチャ、チョウチョウウオやハタタテダイなど

ずっと退屈せず釣れるがリリース

 

地元の人が隣で見ていて、グルクンやブダイなど美味しい魚は興味なく放流

なんでそんな食えない魚釣って楽しいのか??と聞いてきたが

「はいとっても楽しいのです。」

 

不思議なくらい 何時間でも元気でいられる。

ゆったり流れる 島時間に身をまかせ心からリラックスしているひとときはこの上ない。

 

田中トシオ

 

 

 

 

つづれ折りの歴史

しぶりの 箱根

髪ingも来年で60年、免許取り立ての姉が初代「理容ロビン」を開業 ここから髪ingの歴史が始まった

母は免許取ったら一人前と勘違いして無謀にも姉は18才でだった。

 

そして私が免許取ったら 姉は結婚して出て行き  何もできない18才の私が店の責任者になった。

その後妹も理容師となり私を支えて、長く助けてくれた

その歴史が今ある 私の原点である

私は母にも姉妹にも この原点に感謝を忘れたことはない

 

家内の姉も 当初19才での妹の結婚に反対してたが最後は応援してくれた。

みんな高齢となり 体調のこと考えて、感謝の気持ちで来年をまたず箱根旅行をプレゼントした。

 

ホテル「天悠」  懐石料理と温泉三昧は せっかちの私は 間延びの時間に少し戸惑いもあったが

みんなが喜んでくれたので  ゆったりとした中身の濃いひと時の旅行は 私を素直にもしてくれた

折しも 箱根美術館は 印象派の特集

ルノワール モネ ドガ ゴッホ マチス  初期のピカソもあり 私にとって ここが一番の見どころだったかも、、。

 

 

また、58年前卒業した、理容学校のクラス会が今年もあった

毎年人数がすくなくなるが本人ばかりでなく連れ添いの事情もある

 

理容学校は私にとっては 一番濃い1年だった気がする

中学1年の時  15人の山古志村から 学年400人全部で1700人近いマンモス校に転入した

負けず嫌いも災いし 常に数人相手に一歩も引かない喧嘩の毎日、「田舎っぺ」とイジメに怪我だらけだった

 

それが理容学校は みんなが田舎っぺで 貧しさで進学できない人が多く

上京依頼 コンプレックスの塊だった私が初めて心許せる時間と仲間がいた

今だ現役で店に立ってる   みんな天職を全うしている

満身創痍でも 鋏を握り 理容人生も楽しんでいる。

翌日 私の大好きな サンシャイン水族館へ  もちろん私の発案だがチケット売り場で

全員73才以上だから  シニア割引の交渉したが 軽くお断りされてしまった。(笑)

 

来年の再会を約束するが 、、、、元気で会おうねがいつもの合言葉 

私も必ず会いに来るからねと約束した そして 遠く北海道や青森、それぞれ各地に戻っていった

 

田中トシオ

 

ps。 このパソコンも年寄り化  何度もフリーズしてしまい もう根気負けしてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

弟子が全理連講師に

弟子の濱野雄一がこのたび全理連中央講師になり、祝賀会が新宿ハイアットリージェーシーホテルで開催された

髪ingでは3人目になった

19才で入社し その時は蚊トンボみたいに細く 引っ込み思案で「いらっしゃいませ」も聞こえなかった

何か月持つかと心配するくらいだったが  胸の奥に抱えてた夢はは大きかった

それから努力して 東京大会、関東大会、連覇して全国に臨んだが  二年連続で微差で準優勝で終った

 

来年こそはと期待したが濱野は 信じられない言葉が出た、「この10年 日本一を目指したが、

その間 先生やお店やスタッフに迷惑をかけ続けた、これからは店の為、スタッフの指導で恩返ししたいと言ってきた。

 

目の前の日本一をあきらめ、髪ingの為にと聞いた時 「本当に 良くここまで大人に成長してくれた」と感動した

そして技術指導や頑張る大切さを後輩に伝え 自ら勉強して新しい経営に磨きをかけた

 

私も それに報いるため、本店についで大切にしてた 新宿店を譲ることにした。

今も髪ing で職業訓練校 校長として指導して 一方でオーナーとして繁盛させている。

 

こんな弟子も私の誇りでもある。

二輪草

半鐘に梨の花

 

福島で独立してる 弟子が山菜採りに行きましょう、運転手をするからと 店を三日間臨時休業して迎えに来た

もう山古志はシーズンが過ぎて諦めていたが  温泉を兼ねて松之山から日本一豪雪の切明まで足を延ばした

 

ここは山古志と違ってウドやワラビは取れないが素晴らしい山峡の景色と 温泉そして少しだけ釣りを楽しんだ

渓流釣りの険しい山登りは 腕の筋力が衰え難しく 無難なとこだったが25センチの岩魚が釣れた

 

実はそれ以前に 今年は北海道の友人や山形の弟子の実家からも 山菜が届いて

夫婦二人では食べきれないほど 雪国のアクの強い濃い味の楽しめた

 

本当にありがたい    おかげさまです。

 

田中トシオ