散歩の途中に寄るワインレストランは、明治時代からつづく老舗料亭を結婚式・披露宴会場に改造した5階建てのビルの中にあつて、
 
1階の玄関をはいると、古手の女性スタッフから「いつもごひいき頂いて」などと声がかかり、ぼくは格別ひいきしてゐるつもりはないけれど、
 
ほぼ毎日顔を出すからさういふことになるかと思ひ直すのですが、元来、「ひいき」といへば、多くの選択肢の中からこちらの自由意思で引き立てる、
 
ことを意味するはずで、ぼくがもう10年ほどここへ通ふのは、ただ自宅に近く、散歩ルートの終点にあり、
 
かつ、ここの女社長の弟がフランスワインの輸入会社を経営してゐるためか、値段のわりに上等なワインを出すから、といふに過ぎず、
 
やはり「多くの選択肢」のなかから「自由意思」で選んでゐるとは言へない、などと考へながら、さういへば、これは間違ひなく「いつもごひいき」の読売ジャイアンツは、
 
今季、賭博問題をかかへながらも意外に好調な滑り出しで、ぼくがこのチームのファンなのは、気がついたときには家が読売新聞を購読してゐて、警察官だつた父親もなんとなくジャイアンツ派だつたからで、
 
これもたぶん朝晩目にしてゐた新聞の影響で、新聞記者になるならここと決めて入社してみると、当時、読売は九州へ進出した直後で、
 
西部本社の膨大な赤字を後楽園の稼ぎで埋め合はせてゐたほど野球チームと表裏一体、夜になると、吹き抜けの編集局の政治、社会、経済、国際部など、
 
終日付けつ放しのすべてのテレビがジャイアンツ戦の中継を流し、ジャイアンツがホームランを打てば局内のあちこちから拍手が湧き起こるお祭り気分、
 
といふ異様な雰囲気のなかで41年を過ごした影響が大きく、つまり、わがジャイアンツびいきも「多くの選択肢」から「自由意思」でかうなつたとは言ひ難く、
 
しかし落ち着いて考へてみれば、いはゆる「ひいき」といふものの本質は、私は美容室ならあそこ タレントならあの人、ケーキならあの店、映画監督なら彼、海外旅行ならあそこ、などといふ具合に、
 
誰にも「ひいき筋」が存在するものの、それがその人の完全な自由意思の所産かといへば案外さうではなくて、その人の家庭環境とか地域など、
 
いはば本人の意思とはあまり関係のない、本人の力だけでは回避し難い、ちよつとした機縁で決まつてゐるやうな気がして、
 
すると、ここから話は急に硬くなるのだけれど、人間の信条とか思想、政治理念などといふものも、本人は後からあれこれ理屈をつけて、自分がそこに至る必然性や正当性を理論武装するけれど、
 
実はほとんどの場合、「多くの選択肢」から「自由意思」でそこに到達したのではなくて、ほんの些細な、自分ではいかんともしがたい偶然や過去といふやうな、限局された制約のなかで、
 
大河が「自然の摂理」にしたがひ、悠久の時間に造成された曲折のすゑ、やがてそれぞれの海につながるやうに、神秘なる「自然の摂理」のやうなものが、人を現在の思想信条に追ひ込んでゐるのではないかと……
  関東では花見の季節はをはつたが、ことしはこの時季、寒暖相半ばする日和が長引いて、桜も散るのを惜しんだのか、なんのかんのと半月も楽しめた。
 
 花の名所の公園へ行つてみると、近ごろはアキバやギンザや観光地だけでなく、ここでもいくつかの中国人のグループが大きな車座を作つてゐた。
 
 中国人といへば、叫び声のやうなトーンで仲間と話したり、喧嘩でも始まつたかといふやうな激越な口吻が普通だと思つてゐたら、これがあんがい大人しい。
 
 むしろ隣りの日本人の老人グループの席のほうが大声を上げたり、わざとらしい笑ひ声を立てたりしている。
 
  電化製品や化粧品などの「爆買」も下火になつてきたといふし、中国経済の不調に比例して、中国人旅行者の鼻息も沈静化してきたのだらうか。
 
   中国人観光客が日本で目立ち始めたころ、つまり四十年くらゐ前の中国人ツアーの振る舞ひは日本人をびつくりさせた。
 
 国会議事堂のある永田町に近い平河町に、東京でも四川料理では五指に入る有名な店がある。当時、四十日抗争と呼ばれた「角福戦争」の主戦場となつた田中角栄陣営の砂防会館と、福田赳夫陣営のプリンスホテルの中間に位置する。
 
  他社の記者とその店でランチを食べてゐた。テーブルとテーブルの間隔はゆつたりとしてゐるが、隣りの客の話し声も聞こえてくるほど静かだつた。
 
 突然、中央の丸テーブルに十人ほどの客がなだれ込んで来た。やくざの殴りこみかと思はず身構へるほど騒がしくおしやべりしながら、椅子をガタガタいはせながら着席した。
 
 予約してあつたのか、すぐにマーボドーフとお櫃に入つた飯と茶が運ばれてきた。みんな先を争つて飯を碗に盛り、その上に真つ赤な唐辛子が点々と光る豆腐料理をスプーンで掬つて掛ける。
 
 だれもがご飯をお代はりし、またスプーンを碗の縁にがちがちとぶつけながらマーボドーフを盛りつけた。食べてゐる間は口をきかない。黙々と食べる。口いつぱいに押し込んだご飯と料理を、全員で激しく咀嚼する音だけが店内にひびく。
 
 食べ終はると、我先にと茶の急須を奪ひ合つて、いま空になつた碗に目一杯そそいで音たてて飲む。
 
  ふいに真ん中あたりにゐた一人が立ち上がつた。それを合図に、全員が荷物を持つて席を立ち、がやがやと出口に向かつて移動する。
 
 白いテーブルクロスの上には、桜の花びらが散つたやうにマーボドーフが飛び散り、床の上の絨毯にもこぼれた豆腐が靴で踏まれた跡が無数に残つた。
 
 近くの永田町では、派閥同士の争ひで、日夜、カネとポストの話が吹き荒れてゐたが、凄惨といふ点ではよく似てゐた。
 
 いま、花見をする中国人の意外な静かさを見て、あのマーボドーフ集団のエネルギーが懐かしくなつた。いま、無風の永田町を見て、あの四十日抗争が懐かしい。
 人間といふのは、下品なほうがエネルギーが横溢するものらしい。
 
 
 
 
 電池容量が少なくなつてゐるのは前の晩に気づいてゐたが、充電するのを忘れて、翌朝スマホの電源を入れると、「ギギイーッ」とガラスに爪を立てるやうな異音を発した。
 
 あわてて充電し、すこし経つてから画面をのぞくと、明らかに異常を起こしてゐる。真つ暗で、ときどき「ナウ チャージング」といふマークは点滅するものの、電池を見るとまるきりチャージされてゐない。
 
 デパートの8階にある大型のドコモショップに相談に行く。20ほどあるボックスの女性職員は、揃ひの制服に、揃つて白いマスクを着けてゐる。インフルエンザに罹つたか、客からうつされるのが怖いのか、いづれにせよ失礼な話だと思ひながら、故障の顛末を告げると、その応対はもつと失礼だつた。
 
 一度スマホ本体を奥に持つて行き、戻つてくると、「お客さま、7年お使ひいただきましたが、充電する接続部分が故障したやうですね」と、「7年」に妙なアクセントを置く。
 
 「修理できますか」
 ぼくの問ひに、制服の女はマスクの横から微笑をのぞかせて、
 「7年前の、機械だものですから……」
 とスマホをこちらに返してよこした。
 
 「ぢやあ、どうしたらいいですか」
 このまま引き返すわけにもいかない。
 「どのやうな機種がお好みですか」
 「この機種です」
 とぼくは持参したスマホを指す。
 
 こちらはあくまで修理を望んでゐるのだが、制服は即座に
 「承知しました。同じ機種を手配いたします」
 「無料交換ですか」
 制服はまた笑つて、
 「同じ機種をお買ひ上げ頂くことになります。電話番号などは変はりません」
 
 「修理はできないといふことですか」
 制服は無言でうなづくと同時に、デスクの脇の電話を取り上げた。
 「ただいま、工場の方へ在庫の有無を確認いたします。3月一杯、サービス月間でお安くなつてをります」
 
 年度末で各ショップごとの販売競争でもあるのだらうか。ろくに修理の可否を確かめもせずに、「7年」だからと一方的に新品購入に誘導されてしまつた。
 
 二日後、注文の商品が届いたといふので、ふたたびデパートの8階に行く。こんどのマスクも要領を得ない女性だつた。なにより困惑したのは、電話帳、メールの送受信記録などデータの一切が消滅してゐて、新しいスマホに移せないといふのである。
 
 「古いスマホの内部のどこかに保存されてゐるのではないですか」
 「それがーー故障したのと一緒に消えたやうです。どこにも保存されてゐないのです」
 
 そんなことあるの、と素人のぼくはあれこれ質問する。そのたびに女性はカーテンの奥へ飛んでいき、帰つてきて返答する。新人なのだらうが、なんとも頼りない。マスク越しだから、ことばも鮮明でない。
 
 結論からいふと、世の中に携帯電話が流行りはじめた平成初期から、六台のケータイに引き継がれてきた数百人の電話番号、メールアドレス、住所のデータはすべて失はれ、遺しておきたいメールなども消えてしまつた。
 
 家に帰り、自宅のパソコンの住所録から、当面、最低限必要な個人、会社などの電話番号、アドレスをぽつぽつと新しいスマホに登録しはじめた。
 
 そこで気が付いたのは、これは過去との清算のチャンスだといふことだ。
 二十年も引きずつてきた電話帳には、過去何年も電話もメールもしたことのない名前がかなりある。名前を見て思ひ出せない飲食店も女性もゐる。
 
 二度と接触する必要も機会もないであらう個人、会社、お店などのデータは、これを機にスマホには登録しないことにした。すると、「名簿」は50項目ほどに縮小、箒目をつけた早朝の石の庭のやうにすつきりした。
 
 これからここに新たにどんな名前が登録されるだらうか、といふ秘かな楽しみもある。