「ドクター、寂しさうでしたよ」
毎夕立ち寄るワインレストランの店長が、少々非難がましい目で言ふ。
非難される謂(いは)れはない。この店で週に一度ご一緒する74歳の現役ドクターがきのう来店、いつもぼくがゐるテーブルにひとりで掛けて、「けふはお休みかなあ」とぼくを待つてゐたといふ。
「ぼくだつて、たまには休むよ。きのうは四谷で飲み会があつてね」
「あれ、お約束だつたんぢやないのですか。いつもおふたりがここで飲まれるときは連絡しあつて来られるのだと思つてゐました」
「ぼくたちは約束はしないよ」
ワインレストランに行くのは、毎日午後4時と決めてゐる。赤ワインで始めて2杯目は白、調子がでると赤に戻つてもう一杯飲む。5時半か6時になると店を出る。散歩の途中に寄るのだが、会合や仕事がある日以外は休まない。
入口からかぞへて窓ぞひ5番目のテーブル(店の呼び名では「5卓」)がぼくの定席になつてゐて、奥の窓側に腰かけると右手に太い柱があるので妙に落ち着く。ボーイによつては、「ここは年間シートですから」と、午後3時ごろから「予約席」の札を置いて確保しておいてくれる。
もう10年近く、毎日決まつた時間ここにゐると、いつの間にか自宅外の応接室のやうになり、近所の老舗割烹の、店の仕切りは奥さん任せで旅行と病院通ひにあけくれる大旦那や、104歳の母親を介護してゐる小学校の同級生や、小説を書いてボケ防止につとめてゐる80翁など、この店を仲介にした友人も増えた。
しかし、「話の続きは来週のけふ、またお会ひしませう」などと約束したことは一度もない。向うから約束しようとする人がゐても、笑つて曖昧に別れる。
サラリーマンを辞めてから、約束をするのが億劫になつた。約束といふのは相手と自分を拘束する。約束した以上、守らなければならないから、日々の行動や日程がハンダ付けされる。
コレステロールの薬をもらひに行く近所の内科医院も、2か月に一回程度の美容室も、予約はしないでぶらりと出かける。
「要予約」のところはこちらから敬遠する。もちろん講演会とかカルチャーセンターの講師や、昔の仲間との会合は別で、「12月2日(金)午後6時」と忘年会の連絡があればハンダ付けに従ふけれど、それらは任意の「約束」といふよりも、生活していく上の、やや公的な「決め」だと諦めてゐる。
約束なしに生活ができるのが老後の特権である。思想信条、言ふこと書くことの制約だけでなく、あらゆる約束ごとから自由になれる日を、41年におよぶ新聞社勤めのあひだ、冬の夜空にかがやく月をまぶしく仰ぐやうに憧れてゐた。
お陰でこのところ、約束を失念したり破つたりする懼れはなくなつた。いま、何か忘れてゐないか、何かやるべきことがあるのでは――といふ、あの恐怖から解き放たれた。
庭の蜜柑が色づいてきた。こんどの日曜日に蜜柑狩りでもやるか。蜜柑は毎年この時季、庭に動的な彩りを演出してくれる。約束もしないのに――。これがいい。
