店長が一見困つたふりをしつつ、その底に喜色満面を隠して、黒い制服の内ポケットから一枚のはがきを取り出しカウンターに置いた。
「いま、こんな客の集め方が流行つてゐるのですかねえ」
はがきの差出人は銀座五丁目のバーのママである。
「『令和』を祝つて乾杯!」といふ表題があり、四月三十日の閉店後、「ごく限られた常連客だけで」、会費一万円、飲み放題の会をひらき、「令和元年五月一日午前零時を期して、みなさんで祝杯を挙げませんか」とある。
大晦日深夜のニュー・イヤー乾杯と同じで、元号切り替へに便乗した客寄せらしい。
「へえ、さすがに銀座は抜け目がないねえ。元号も商売に結び付けるのか。で、行くの?」
ぼくはいつものドライなマティーニを口にしながら、もはや問ふまでもないことを訊く。
「どうしやうか迷つてゐるんです。四月三十日はここもお休みぢやないし」
「折角ママから声がかかつたのだから行かなくちやあ。『ごく限られた常連客』としては」
と彼の心をくすぐる。
三十過ぎのこのママは、三年ほど前に銀座の店を居抜きで買つた。
背後にスポンサーがゐるのか、どんな男なのかなどは店長の情報だけでは不明。それまで七、八年、郊外で安直な飲み屋をやつてゐて、飲兵衛の店長がぶらりと立ち寄り、美人のママに一目惚れした。
銀座に進出してからは、一介の雇はれ店長の財布では足しげく通ふこともできず、それでも年に一回、ママの誕生日だけは律儀に覚えてゐて、花束を提げて店に行く。
ことし一月の誕生日にも、店を休んで顔を出した。以下は店長の報告――。
古くからの客の来店に、ママは五十男の顔に白い頬を寄せてよろこんだ。
「前の店からのお客さまが誕生日祝ひに来てくれるなんて、ほんと嬉しいわ。けふは私の特別な日。店を閉めたらその辺のお寿司屋さんででもじつくり昔話をしませうよ。ゆつくりなさつて」
ところが、ママは他の客ばかり相手にしてゐて、店長の相手をするのは女子大生のアルバイトみたいな女。愛想もなく、世間話もできないわりに商売熱心で、しきりに飲み物やつまみを注文したがる。
フルーツの盛り合はせをねだられて、店長は腕時計に目をやつた。
帰るのかと勘違ひした若い女は、手をあげてママに目知らせする。
ママが飛んできて、
「あら、放つておいてご免なさい。彼女、ニューフェースなの。まだ何も知らないから、水商売のヴェテランとしていろいろ教へてあげて。でも、ヘンなことまで教へないでよ、私を差し置いてそんなことしたらメッよ」
と妖艶に笑ひ、またほかの客に戻る。
若い女はフルーツに続いてブランデーがベースの甘口のカクテルを二杯も注文した。ひたすら店が閉まるのを待つ五十男は、女の言ひなりである。
次にママが席にやつてきたのは、もう閉店の刻限間近で、若い女が「時間なので」と素つ気なく立ち去つてからやや間があつた。
「ひとりにしてご免なさいね。――ところで、そろそろ終電の時間だけど大丈夫?」
寿司屋の約束が頭にある店長は思はずママの顔を見返す。
ママは店の奥にゐる一人客に目をやり、
「このビルのオーナーさん。毎日のやうに見えるのですけど、けふは大事なお話があるとかで」
この展開なら、「ビルのオーナーさん」とママの関係を疑ふのが普通だが、店長は「家賃の値上げの話ぢやないの。ママにとっては死活問題だね」とまた腕時計に目をやり、サラリーマンのやうな黒い鞄を肩にかけて腰を上げた。
ぼくと店長とは十年に近い付き合ひだが、彼は上に何かが付くほど正直な男で、他人に対する警戒心が薄く、何でもどこでも洗ひざらひしやべりすぎるのが難点といへば難点。
決して同僚や上司から尊敬されるタイプではないけれど、かういふ人間がゐるから世の中は面白い。
