走り出してすぐ、このタクシーはやけに飛ばすなあと感じてゐました。

 十字路での一時停止はちやんと守るし、若者のやうにタイヤを軋ませて急発進するわけでもないのですが、直線道路になると急にスピードを上げる。

 周囲の風景が矯激な速さで、ほとんど線になつて飛び去つて行きます。
 
 最初に思つたのは、白髪混じりの五十年配の運転手は、何か個人的な問題をかかへ、けふは朝からいらいらしてゐて、車を飛ばすことで憂さ晴らしをしてゐるのではないかといふことです。

 プロの運転手が客を乗せながらそんな発散をするのは許されないことですが、人間ですからありえないことではない。
 
 次に思つたのは、この尋常ならぬスピードは、運転手の体内で病的な発作が起きてゐて、速さの感覚が一時的に麻痺してゐるのかもしれないといふ推測です。いづれにしても危険です。
 
 「運転手さん、特に急いでゐませんから」
 
 ぼくがさう告げた後も、スピードは変はりません。市街地の片側一車線の道だといふのに、まるで高速道路を走るやうなスピードです。
 
 「済みません。その先で止めてください」
 
 逃げるが勝ち。まだ一区間も走つてゐないけれど下車しました。走り去るタクシーを見送つて、大きくため息をつきました。

五十年余も使つた免許証を自主返納し、ハンドルを握らなくなつて二か月ほどだといふのに、このところタクシーに限らず、家人の運転する車でも、駅で電車に乗つても、物の速さが恐ろしいと感じるやうになりました。

日常生活ではありえない速さに怯えるやうになつたのです。

新幹線や飛行機に乗つたら、おそらく顔は引き攣り、恐怖で真つ青になるでせう。
 
 では、どんな速さなら平気なのかといへば、日常の「歩く速さ」です。
 
 散歩するときも、近くのスーパーへ買ひ物に行くときも、毎夕、ワインレストランへ行くときも、要するに、日々の歩きの速さが丁度わが生理に合ふ。

ぼくは歳の割に速足のほうですが、道の左右の家並みや庭木がいちいちきちんと、あれは何、これは何と認識できるほどの速さが快適で、安心できる。

「歩く速さ」以上に速く走るものが恐ろしくなつてきたのです。

といふと、老化のせゐで速度への順応力が衰へたのでは、と一笑に付されるかもしれないけれど、自己弁護でなく、違ふと思ひます。

ヒトといふ動物は、本来、歩く程度のスピードが生理に合つてゐるのではないでせうか。

ヒトが作り上げた文明は、目的地へ早く着くために、また輸送をより効率的に行ふために、各種の運送手段を次々と発明してきました。

その結果、ヒトの生理に適合しないまでに「速すぎるもの」を作り上げてしまつてゐるのではないか。

ヒトはふだん、1年365日、1日24時間、1時間60分といふ具合に、一定の時間を単位とする周期で活動してゐます。

車とか飛行機は、この周期から割り出されるスピード感とは相容れない、ヒトの生理にあらがふ速さなのではないでせうか。