30代の頃から家族ぐるみで付き合つてゐる、二歳ほど年下の某通信社記者あがりの男が、メールで愚痴をこぼしてきた。

 

折からのコロナ騒動で、彼が趣味のゴルフにもテニスにもギター教室にも出かけず、毎日横浜の家に巣ごもりしてゐるので、奧さんの「亭主在宅症候群」の病状が日に日に悪化し、とくに年が明けてからはピリピリと苛立つて、朝から晩まで事々に対立、もはや手が付けられないといふ。

 

「治しやうがありません。医療崩壊です」

 

4年間のフランス特派員時代から、風俗の軽妙なリポート物に達者な腕を見せる記者で、自分の奧さんもひとりの女性として客観的に観察してゐる。

 

「国の損害補償制度の手が及ばないコロナ被害です。いま、私と同じやうな思ひをしてゐる人は結構多いのではないかなあ。

 

まさか人生の最後にこんな目に遭ふなんて想像もしなかつたです。コロナは罪深い。生まれてから八十年近く、世界的にも奇異なことですが、一つの戦争にも巻き込まれず、平々凡々、坦々と生きてきて、まあまあの人生だつたかなと思つてゐたら、最後にこれですからね」

 

ふつう奥さんがいくら苛立っても、家庭内のいざこざを国家間の戦争と並べて考へる人はゐないから、事態はそれくらゐ深刻なのだらう。

 

夫婦間に突如襲ひかかつたコロナの二次被害。「平々凡々、坦々」でふと思ひ出したのだけれど、ある大衆芸能の舞台演出を担当してゐる男がかう言ふのを聞いたことがある。

 

「芝居がどうにも平凡で、ヤマ場のない運びになりさうだつたら、天井から雪を降らせるんです。白いものが舞ひ落ちてくるだけで舞台が急に生き生きしてきます」

 

倦怠感ただよふ男女の芝居がつづいてゐるところへ、突然白いものが上からちらちらーー。

 

「あら、雪かしら……」

と女が寒さうに男にすり寄つてもいいし、女の白い顔に雪の一片が降りかかつたのを男がそつと払つてあげたりするだけで、その後の男女のいかなる筋書きにも自然につながるのださうだ。

 

この話をメールで紹介して、「あなたの家庭にも、いま雪でも降ればいいのかも。『あなた、……寒い』なんて奥さんがすり寄つて来るかも」と返信すると、

 

「冗談ぢやない。そんなことをされたら、こちらが即、アナフランキーショックを起こして卒倒しちやひます」

 

この夫婦仲の修復はかなり至難の業のやうだ。

この正月に頂いた年賀状は、干支の丑にちなんで白牛を図案化した人形や凧、あるひは春隣りの季で梅の花などを配した、見るからに新春のきらびやかな色彩のものが多かつたのですが、中に一枚だけ、死亡通知ではないかと見まがふ、一面真つ黒な文面のものがありました。

 

歳なりに視力が衰へたとはいへ、新聞も雑誌もテレビも眼鏡なしで済むといふのに、その年賀状は、他よりワンポイント大きく表記された最初の「謹賀新年」は読めたものの、むかしの新聞や文庫本で使はれたやうな小さな、いやもつと微小な活字がびつしりの本文はとても読めたものではありません。

 

ちなみに、新聞記事はかつて1行15字でした。「文字が小さすぎて読みにくい」といふ読者からの強い要請で、昭和の中ごろに活字を大きくして1行13字に、その後さらに大きな活字になつて、今ふつうの新聞は1行12字です。

 

情報量は減りましたが、読まれないよりいい、といふ新聞社の販売政策です。

 

真つ黒な年賀状を少し離して見ると、ハガキの枠いつぱいに熱心に何か書いてあるのはわかるのですけれど、賀状だからそれほど重要なことが書かれてゐるはずもなく、苦労して読解に挑戦しようといふ気にはならない。

 

でも、読まないままにするのは失礼かなと、せめて「検証」ぐらゐしようかと、ためしに本文の文字数を数へてみたところ、ワープロで1行に36文字も打つてあります。

 

それが隅から隅まで22行。つまり、約800字がハガキ1枚に詰まつてゐるのです。

 

文字数を数へながら、残像として目に飛び込んできた極小文字は、「拙著」「福島原発事故」「温室効果ガス」など、要するに自著の話と、エネルギー問題を論じてゐるやうなのですが、ぼくの目には文章として入つて来ないので大意がつかめません。

 

この年賀状をくれたのは、ぼくよりいくつか若い元教師の友人で、現役のころは日教組運動に没頭してゐた真面目な男です。

 

年賀状といふささやかな自己発信の場を借りて彼が言はんとしてゐることは大体察しがつきますが、何かを発言したい、訴へたいといふのなら、もう少し「他人に読ませる」工夫をしないとーーなどと余計なお節介をしたくなります。

 

書きたいことをただ書いただけでは、彼の原発への想ひは伝はりません。

 

SNSの普及もあつて、活字でも映像でも音声でも、個人の発信はほとんど際限なく自由になり、そのステージをひろげてゐます。言ひたいことはいくらでも言へる時代です。

 

しかし、それだからこそ、いかに効果的に、有効にその手段を利用するか考へないと、折角の「結構なご意見」もだれにも読まれない賀状でをはることになりかねない。

 

年始早々、自戒をこめてそんなことを考へました。

 

 

「年末年始はどこも混むから、クリスマス前後に老夫婦で暖かいところへ三泊ほど旅に出ようと思つてゐる」

 

たまに顔を合はせる友人が言ふ。

 

「いいねえ。例の『Go To』だね」

 

「さう。あれがなければ、いま行かうとは思はなかつただらうね」

と友人は、すこし恥づかしさうな顔になつた。

 

「『Go To』政策つて、政府が上から押し付けたからいろいろ言はれるけど、利用しない手はないよ。三割から四割も安くなる。それだけ上のランクの宿に泊れるしーー」

と友人はつづけた。

 

「三割から四割は馬鹿にならないね」

 

ぼくはさう応じながら、学生時代の貧乏旅を思ひ出した。

 

学生のころ、家庭教師のバイトでお金が貯まると旅を計画した。といふよりも旅に出たいがためにバイトに励んだ。

 

大学から紹介される家庭教師は、昭和三十年代の後半、中学生相手に英語を週二回教へて月千五百円が相場だつた。

 

ほぼこれと同額で、温泉宿や地方都市のホテルに一泊できた。

 

バイトを半年やれば、親からもらふ小遣ひを少々足して、九州や四国、中国地方などへ三、四泊の旅ができた。二十歳前後の男のひとり旅である。

 

週に二回、雨の日も雪の日も、少し遠方の見知らぬ家を訪問して、高校受験をひかへた中学生にあの手この手で集中力を鼓舞しながら教へた労苦の報酬として、たまに全国各地を旅できるよろこびは大きかつた。

 

当時、旅は優雅なものだつた。

 

前回の東京オリンピック前後のころだから、日本は今ほど豊かではないし、海外渡航はまだ大衆のものではなく、旅行といへば近場の観光地へ一泊するのが精々で、三、四泊の旅は大旅行であり、「贅沢の極み」だつた。

 

政府は今回、世論に押し切られるやうに『Go Toトラベル』を年末年始、全国で一時停止することを決定した。

 

菅政権の一大失政といふべきこの経済振興策は、もちろんコロナ感染対策に逆行した罪も大きいけれど、ぼくが「例の『Go To』だね」と尋ねたとき、友人が思はず恥づかしさうな顔をしたやうに、本来、優雅であるべき「旅」といふ行為を、「安からう悪からう」の夜店の叩き売りみたいに、「安くしますからどうぞ出かけて行つてください」と、金銭の次元の話に貶めて、なんとも下品なヴェールを「旅」にかぶせてしまつた。

 

これは『Go Toイート』についても言へることで、「たまにみんなでレストランで食事でも」といふ、本来、優雅で高尚な趣向を、「いまなら安いですからどうぞ」といふレベルに引き下ろしてしまつた。

 

レストランで食事することが、単に「安さ」を狙つた、下卑た行動と紛らはしくなつた。一度付着したヴェールやイメージは容易に消えない。

 

総選挙を来年にひかへ、観光業界からの政治献金や集票をにらんで、菅政権に『Go To』政策を無理強いした自民党執行部の罪は深い。