「年末年始はどこも混むから、クリスマス前後に老夫婦で暖かいところへ三泊ほど旅に出ようと思つてゐる」

 

たまに顔を合はせる友人が言ふ。

 

「いいねえ。例の『Go To』だね」

 

「さう。あれがなければ、いま行かうとは思はなかつただらうね」

と友人は、すこし恥づかしさうな顔になつた。

 

「『Go To』政策つて、政府が上から押し付けたからいろいろ言はれるけど、利用しない手はないよ。三割から四割も安くなる。それだけ上のランクの宿に泊れるしーー」

と友人はつづけた。

 

「三割から四割は馬鹿にならないね」

 

ぼくはさう応じながら、学生時代の貧乏旅を思ひ出した。

 

学生のころ、家庭教師のバイトでお金が貯まると旅を計画した。といふよりも旅に出たいがためにバイトに励んだ。

 

大学から紹介される家庭教師は、昭和三十年代の後半、中学生相手に英語を週二回教へて月千五百円が相場だつた。

 

ほぼこれと同額で、温泉宿や地方都市のホテルに一泊できた。

 

バイトを半年やれば、親からもらふ小遣ひを少々足して、九州や四国、中国地方などへ三、四泊の旅ができた。二十歳前後の男のひとり旅である。

 

週に二回、雨の日も雪の日も、少し遠方の見知らぬ家を訪問して、高校受験をひかへた中学生にあの手この手で集中力を鼓舞しながら教へた労苦の報酬として、たまに全国各地を旅できるよろこびは大きかつた。

 

当時、旅は優雅なものだつた。

 

前回の東京オリンピック前後のころだから、日本は今ほど豊かではないし、海外渡航はまだ大衆のものではなく、旅行といへば近場の観光地へ一泊するのが精々で、三、四泊の旅は大旅行であり、「贅沢の極み」だつた。

 

政府は今回、世論に押し切られるやうに『Go Toトラベル』を年末年始、全国で一時停止することを決定した。

 

菅政権の一大失政といふべきこの経済振興策は、もちろんコロナ感染対策に逆行した罪も大きいけれど、ぼくが「例の『Go To』だね」と尋ねたとき、友人が思はず恥づかしさうな顔をしたやうに、本来、優雅であるべき「旅」といふ行為を、「安からう悪からう」の夜店の叩き売りみたいに、「安くしますからどうぞ出かけて行つてください」と、金銭の次元の話に貶めて、なんとも下品なヴェールを「旅」にかぶせてしまつた。

 

これは『Go Toイート』についても言へることで、「たまにみんなでレストランで食事でも」といふ、本来、優雅で高尚な趣向を、「いまなら安いですからどうぞ」といふレベルに引き下ろしてしまつた。

 

レストランで食事することが、単に「安さ」を狙つた、下卑た行動と紛らはしくなつた。一度付着したヴェールやイメージは容易に消えない。

 

総選挙を来年にひかへ、観光業界からの政治献金や集票をにらんで、菅政権に『Go To』政策を無理強いした自民党執行部の罪は深い。