「エッセイストにならう」といふ講座を、カルチャーセンターで始めることになりました。明日18日が初日です。

 同じカルチャーセンターで担当してゐる「600字で思つたことを全部書く」といふ文章講座が3年目に入り、いはばその上級編として新たに一教室開くことになりました。

 暇つぶしにカルチャーセンターで講師を始めて、いくつか気付いたことがあります。

 一つは、この不況の中、「何かを習ふ」といふことにおカネを惜しまない人があんがい多いといふ驚きです。

 こんどの「エッセイスト講座」もさうですが、受講料は3カ月6回で1万3860円。月にすれば5000円足らずですが、複数講座を受講されてゐる方も結構多くて、中には4つの講座を受けてゐる方もゐます。

 ほとんどの講座は隔週ですが、4つ受講されれば週に2日はセンターに通はなければなりません。講師も暇つぶし気分なら、受講者も暇つぶしに困つて、といふ方が意外に多いといふことでせうか。

 二つ目は、カルチャーセンターに通はれる方は、あらゆる講座ーー手芸、ダンス、楽器、スポーツ、ヨガ、俳句、料理等々……僕の行つてゐるセンターには実に420もの講座がありますーーに言へることですが、もともと「少々腕に覚えのある」方しか受講されないといふことです。

 みなさん、少し自信があつて、この分野なら他人の前に出ても恥はかかないといふ種目の講座を選んでカルチャーセンターに来られるのです。

 ですから、講師は講座では間違つても「上から教へてはいけない」。受講者は多少でも自信があるのですから、学校のやうな公的に権威が認められた場ではないカルチャーセンターで、その方々に偉さうに教示してはいけない。もちろん相手の技量を貶めるやうなこと、プライドを傷つけるやうなことを言つてはならない。

 ありていにいへば、どんな講座でも受講者は褒められることを期待して習ひに来るのです。

 過去2年間の文章講座の受講者も、たぶん学校時代は「作文」が得意科目であつただらうなあといふ方ばかりです。毎回「家族」「小さな幸せ」「品性」など課題を出して、次回までに600字程度の文章を書いて来てもらひますが、大体の方がほとんど赤字を入れる必要がないほどお上手です。

 講師の僕は、受講者の皆さんを90分間、わざとらしくなく褒めて、表現の秀逸なところや感受性の鮮やかなところをさりげなく指摘して、「さうね、小学校の頃からさう思つてゐたけど、やつぱり私は文章には才能があるんだわ」と、いい気分になつて帰つて頂く。これがカルチャー講師の役目なのです。 

 さて、こんどは「エッセイストにならう」講座。
 エッセーは自分の考へ方、ものの見方、感じ方、人生観などを前面に出します。受講のみなさんは、おそらく自分の思考、感性などに多少なりとも自信を持つてゐる方々でせう。「いい気分」にしてお帰り頂くのは容易ではないかもしれません。
 ことし年女の、婚期をやや逃がした感じの、と書けば年齢は言はなくても言つたと同じことですが、わが娘が近所に新築マンションが完成したのを機に家を出て独立することになりました。

 年明けの6日に正式契約し、7日にカギが宅配便で送られてきて、すぐ本人と母親で見に行きました。わが家から1キロも離れてゐないところで、賃貸のワンルームです。

 「家を出るといふと、『結婚の準備?』と聞かれるのがウザイのよね。『そんなことないです』と否定しても信用しない人は信用しないし、だつたら聞くなと言ひたい」

 家を出てマンション住まひすることは本人から言ひ出したのではなく、勧めたのは僕です。母親も賛成でした。

 5年前に長男が結婚して家を出てからは夫婦と娘との一家3人の生活で、娘がゐることで夫婦だけより話題も広がるし、一家団欒の空気も賑やかになります。

 しかし、と僕は考へたのです。

 炊事洗濯など家事一切は母親がやつてくれる。自分は元国営の大企業で誰でもできるやうな総務関係の仕事をして、休暇はドライブと旅行に当て、趣味はジャイアンツの熱烈なファンでシーズンになれば連日の東京ドーム通ひと、誰かれのコンサート通ひ。

 給料は全額「可処分所得」で、親には一銭も入れない。それでも飲食費や旅行費用が嵩んで、貯金など覚束ない。このあたりは親の教育があまりよろしくなかつたと反省するしかありません。

 つまり、娘にとつて家は極めて居心地がいいのです。30歳を超えても結婚など考へもしない。僕や家人の友達が見合ひを勧めてくれるのですが、「いや!いや!」と1回も乗つて来ない。

 このままの生活を続けてゐれば、すぐ40になり50になる。一方で親は年をとる。病気になつて「要介護」の身になるかもしれない。いや、あと15年もすればかなりの確率でさうなります。

 そのとき、娘が家にゐるのは親としては便利です。親子の情は健在だから、介護してもらへるかもしれない。

 だが、それでは娘の一生は悲惨すぎないか。われわれ両親のために犠牲になる一生でいいのか。そんなわけはありません。年女、そろそろ将来へ向けて決断するぎりぎりの刻限です。

 「家を出て、一人で生活してみないか」 
 昨年暮れの、数日後にXmasを控へたある晩、夕食の後にかう話し掛けました。

 「ーー私に家を出て欲しいの」
 娘は驚いて、僕の顔を振り返る。

 「一人で生活するのも、悪くないぞ。一人でゐれば、結婚したくなるかもしれないしーー。ママも同じ考へだ」

 「…あ、さう」
 アラフォーに近い女は、テレビを見るふりをして、表情は硬いままです。お笑ひ芸人のバラエティー番組を見て笑ひもしない。

 「さうね、いい機会かもしれない。ーー分かつた」
 意外にあつさりと娘は言ひました。

 「あそこに今度出来たマンション。綺麗ぢやないか。一度見て来たら」
 僕がさう言ふのを背に、娘は2階の自分の部屋に上がつて行きました。

 週末には布団やテレビなどを運び込む予定です。
 永田町の”ツアーコンダクター”として、国会議員140人余を引率して中国を訪問して以来、民主党の小沢一郎幹事長はご乱心です。

 中国の副主席を強引に天皇陛下に接見させた件では、記者会見で質問した記者を「キミは憲法を読んでるか!」と恫喝、挙句に「国事行為」(憲法7条)と「公的行為」の差異を知らない不明を自ら暴露してしまつたり、「天皇陛下ならかう考へるでせう」と天皇陛下の心境を勝手に類推するなど、公職にある人間として侵してはいけない一線を越えました。

 「天皇陛下はかうお考へでせう」といふ政府と軍部の、陛下を利用した発言から第二次世界大戦に突入して行つた歴史をご存じないわけでもないでせう。

 先の小沢中国ツアーは民主党内における小沢派の旗揚げでした。
「数は力なり」といふ恩師・田中角栄氏の下品な政治哲学を金科玉条と仰ぐ氏は、18日からの公設秘書の刑事裁判を前に、あらためて権威を誇示する必要があつたのです。

 また、その前日の17日に多数の副幹事長を従へて首相官邸に乗り込み、テレビカメラの前で「これが国民の声だ」と予算編成への陳情を鳩山首相に突き付けたのも、同じ動機です。
 
 その中身が笑つてしまふ。ガソリン値下げ中止も、子ども手当に所得制限も、世論調査で6,7割の国民が要望し、新聞などのマスコミも支持する政策です。大向う受けを意識してゐるのです。

 今の小沢氏は「自分は天皇陛下よりエライ」と悦に入つてゐることでせう。夏の衆院選で民主党に大勝利をもたらし、党内では半数に近い議員を自派に擁して、しかも、(実はこれが意外に大きな要素なのですが)政権党の幹事長だからいざとなれば法務大臣の指揮権発動も可能で、当面何があつても逮捕はされないしーーとお坊ちやん首相など小馬鹿にして、ひとりいい気になつてゐる。

 しかし、ここ三十年、いくつもの政党、派閥を作つては壊してきた小沢氏の政治経歴をみれば明らかなやうに、氏の運命は、頂点に登りつめた時が最大の危機です。

 一時、ひそかにイギリス通ひして治療した健康問題はともかく、次の蹉跌も近いことでせう。

 驕れる者、久しからず。矢は海の向うから飛んで来る、と僕は見てゐます。恩師がさうだつたやうに。