だいたい金の話の絡む場所は、あんまり居心地のいいところではないといふのが相場ですが、僕は銀行といふところに好印象を抱いた記憶がありません。

 そりやあ鳩山由紀夫氏のやうな大金持ちが銀行へ行けば、役員応接室などにぢかに通されて下にも置かぬ扱ひを受けるのでせう。

 僕が銀行へ行くのはろくな件ではありません。ATMのコーナーは行列だし、カウンターの前に行けば番号札を持たされて、歯医者より粗末な椅子で待たされる。

 銀行といふのは一種のサーヴィス業でせうけれど、あの店内はサーヴィス業の形態をなしてゐません。案内係の女性たち(たまには定年後らしい男性も)は教科書通りの営業スマイルは浮かべますが、教科書に書いてない質問にはまるで答へられない。

 サーヴィス業であるならば、カウンターに居並ぶ女性たちもたまにはこちらの無駄口に冗談を返してくれてもいいだらうし、ときに無礼な質問にも上手に応対して欲しい。

 「さうやつて毎日札束を数へてゐると、旦那さんの稼いでくる給料が悲しく思へてきませんか」
 カウンターで待たされる間、話しかけたことがあります。

 「はあ?」
 まだ業務見習ひのやうな若い女性です。

 「数秒で数へ切つちやふでせう?」
 「アハハ。いえ、数へたことありません。わたし、独身ですので」
 「お金をお金と思はなくなるんぢやない?最低、百万くらゐまとまらないと」
 「いえ、お金は一銭でもお金ですから」
 彼女は数枚の伝票を手に奥へ消えました。

 ランチに行く食堂、一流フレンチ、夜の小料理屋などで、僕は三回通へばボーイやウエイトレスと馴染みになる特技を持つてゐます。しかし、何度顔を合はせても、銀行に働く女性と個人的な会話が成立したことがありません。拒否される。

 彼女たちは型通りのセリフは言へますが、応用力が欠如してゐる。
 「けふは何のご用でせうか。さうですか、ありがたうございます。どうぞこの番号札をお持ちになつて、アナウンスで番号が呼ばれますので、そこの席でお待ちください」
 とはソフトに言へるが、
 「ちよつと珈琲が飲みたくなつたので、二軒隣りのスタバにゐますけど、順番が来たら呼びに来てくれますか」
 と無理を承知で問ふと、あたふたしてしまふ。

 先日、一人で銀行へ行つた家人が待たされてゐる間にトイレに行きたくなつた。そのフロアには客用のトイレがない。

 カウンターの女に言ふと、プッシュボタン付きの職員通用口からオフィス内に入れてくれ、職員用トイレに案内された。

 「用を済ませてドアを開けたら、その女性が立つてるの。ずつと見張つてたのよ。私が銀行強盗にでも変身するかと思つたのかしら」

 古い小説にもよく登場する金貸し業。江戸の昔から、冷たく、無機質で、人間味に欠けるものらしく、作家の目は概して厳しい。

 銀行のカウンターの中で仕事をしてゐる女性たちを見ると、私語もなくてきぱきと働いてはゐるが、ああいふ女を女房にしたら味気ないだらうな、毎晩飲み歩いてる金があるなら貯金したら、なんてお説教されるんだらうな、といよいよ寒々しい思ひに駆られる。

 と言ひつつ、これは所詮、終生カネとは縁のない衆生のひがみ。1億も2億も預金に行く男にとつては、あの場が極楽浄土のやうな居心地のいいところなのかもしれません。
 こんどの腰痛は長引きました。1月中旬に発症して、ほぼ苦痛が消えたのが昨日今日ですから、ざつと三週間を要しました。

 数年に1回、腰痛にかかります。ギックリ腰といふほど重症ではないのですが、イスから立ち上がるとき、思はずフーッと息を吐かずにはゐられない痛みを覚えます。

 いつも一週間ほどで治るので、今回も最初は軽く見てゐたのですが、発症から数日後に症状が悪化、朝、顔を洗ふ時などの前屈みの姿勢ができないほどに進行しました。

 発端はいつも通りつまらないことでした。
 ワインバーのカウンターで飲んでゐました。真後ろから知人に声を掛けられたので、体を横にねぢつて、足を組んだりして、そのまま三十分ほど話をした。

 カウンターの方に向き直つたときは何ともなかつたのですが、帰り際、立ち上がらうとしたら腰に不快な感じがありました。

 「あなた、歩き方がヘンだけど、また腰が痛いの?」
 翌朝、最初に気付いたのは家人でした。前夜、バーでこんなことがあつたとは説明し難い。 

 その日は午後、カルチャーセンターの講座がありました。腰をおろして講義してゐるぶんには支障ないのですが、資料を配布したりホワイトボードに何か書かうとしてイスから腰を切らうとすると、瞬間、激痛が走る。

 「先生、大丈夫ですか」
 と最前列の老婦人から同情され、とうとう一等言ひたくないセリフを口にしました。
 「いつもの腰痛なのですが、今回はちよつと酷くて。…年ですかねえ」

 初めて治療に行きました。カイロプラクティスです。これまでに7回通ひました。
 「背骨は積み木のやうにいくつもの骨が接続してゐるのですが、その繋がり部分が異様に硬いです」
 先生のお見立てです。

 「ふだん、どういふ姿勢でゐる時間が多いですか」
 「机に向つてる時間が長いです」
 「なるほど。やはり運動不足かなあ」
 「一日六、七千歩は歩くやうにしてゐますけど」
 「おお、それはいいですね。だうりで必要な筋肉は結構立派ですよ」

 インナーなんとかとか筋肉の名前を言つて褒めてくれました。カルチャーセンターと同じく、この商売も褒めることが秘訣なのかなーー足や腰をあつちに曲げたりこつちに引つ張られたりしながらそんなことを考へました。

 なかなか快癒しない今回の腰痛で学んだことは、これが老いると言ふことなんだな、といふこれまでならどうにも肯定し難い事実です。

 従来一週間で治つてゐたのが三週間もかかつた。症状の平癒に時間がかかつたのは体質の変化といふほかない。三週間が一カ月になり半年になり、そしてつひには完治しなくなる。

 これがおそらく加齢といふものなんですね。今回の腰痛はその警鐘だつたのでせう。
「家に帰つたつてご飯の用意はないんでせう。食べていけば」
 仕事帰りにわが家に立ち寄つた娘に、家人が声をかけます。

「いいわよ。急に飛び込んで来ても、どうせ老夫婦二人分しか準備してないんでせう」
「何でもよければ作れるわよ。遠慮しないで食べていけば」

 ことし36歳になる娘が独り住まひを始めてから二十日ほどたちます。

 娘の賃貸マンションは歩いて10分足らずのところで、車がわが家の駐車場に置いてあることもあり、娘はほぼ一日おき位に顔を見せてゐますが、わづか二十日でも、娘と両親との家族関係に微妙な変化が起きました。

 まづ、母親と娘との間に、相互に気遣ひのやうな感情が生まれたことです。

 これまではいつも些細なことで親子喧嘩して、あるときは車の中の狭隘な場所で怒鳴りすぎた母親が声帯を傷め、ポリープ除去手術をしなければならなくなつたほどです。

 娘は娘で、自分の部屋の掃除から下着の洗濯、食事の支度、日用雑貨の補充…すべて母親に頼りきりでした。

「マンションの部屋代を払つていけるのかしら。車のローンもまだ少し残つてゐるやうだし、オール電化のマンションの電気代つて意外に嵩むらしいし、会社の仲間には毎晩のやうに食事に誘はれるやうだしーー」
 独立後、母親は小学生を案じるみたいに心配します。
 
「そんなことーー」
 と僕はあきれて言ひます。「ぜんぶ承知の上で独立を決意したんぢやないのか。人並みの給料を貰つてゐるんだから、いい年して、ちやんとやつていけなければをかしい。今まで親が甘やかし過ぎたんだ」

 昨年暮れ、娘に独り住まひを切り出したのは僕ですし、どうも冷たい父親の役回りです。しかし、さういふ娘の生活を見てゐて独立させた方がいいといふ判断に至つたのですから、ここは冷たく突き放すしかありません。

 第二の変化は、親子三人の間に挨拶の言葉が多くなりました。
 今まで娘は朝、僕が居間に降りて行つても黙つて新聞を読んだりしてゐることが多く、こちらから「お早う」と挨拶してやつと「はい、オハヤウございます」とややおどけた挨拶が返つてきたのです。

 独立してからは、会社の帰途、わが家に寄ると「こんにちは!」と商売人のやうな掛け声を発して玄関を入つて来ます。

 夜、マンションへ戻つていく時も、わざわざ二階の書斎に上がつて来て(このとき、階段を激しく音立てて上がつてくるのは、たぶんドアをノックする手間を省くためでせう)、
「パパ、ぢやあ帰るね」
と必ず顔を見せて行きます。前はいつ帰宅したのか分からないやうな娘だつたのに。

「おう、もう帰るのか。もうすこしテレビを観ていけばいいぢやないか」
「ウン、でもね。ママも眠さうだし」

「部屋は寒くないのか」
「狭い部屋だから、ウチより暖かいよ。ーーぢやあね」
「おう、賑やかな道を選んで帰れよ。またね」

 これまで娘との間で、こんな父娘らしい会話を交はしたことはありませんでした。その必要もなかつたのです。朝から晩まで娘は目の前にゐたし、暗い夜道を心配する気にもならなかつたし、わが家の部屋は寒いはずはないのですから。

「あなた、変つたわね。あの子を気に掛けるやうになつた。年かな」
 と家人は笑ひます。
「変はつたのはキミだらう。以前のやうにあいつを叱らなくなつたもの」

 家族が離れてみて、初めて家族らしい感情が芽生えた、といふことでせうか。