実にお行儀のいいお客さんたちでした。
 四つのテーブルに分かれた五十人ほどが、終始私語もなく、咳払ひもなく、全員が壇上の僕にぢつと目を向けて、下手なジョークにもすぐ反応してくれるし、僕が何かを非難すると「ハアーッ」とあきれたといふ顔をしてくれる。こちらの主張に同意すると、自然に拍手が起きたりもしました。
 
 「世界の子供を救ふ」を標語に掲げた国際団体の、国内某支部の例会です。
 この地方では名の知れた会社の社長さんとか幹部、あるいは医療法人、社会奉仕グループのトップなどがメンバーで、日本でも45年ほどの歴史があるさうですが、言つてみればロータリークラブとかライオンズクラブと似た、地域のリーダー層の社交クラブの性格が強い団体のやうです。
 
 そこの例会での講演です。タイトルは「マスコミ攻勢からの企業防衛」。政局問題とならんで、まあ得意のテーマです。
 
 先週、元社長に有罪判決の出たパロマ湯沸かし器とか船場吉兆、ミートホープ、トヨタ……など、いはゆる企業スキャンダルが発生した時、マスコミはかう責めてくるから企業はかう防衛したらいいといふ裏対策の話です。
 
 人数がほどほどなので居眠りもできない、途中で席を外しにくいといふ事情もありましたが、みなさん紳士で場慣れてゐます。ただ清聴するだけでなく、メモをとる人もゐれば隣りの人と目で相槌を打つ人もゐて、演壇の上から見ても、こちらの話が芝に撒いた水のやうに浸透して行くのが分かる。
 
 講演をしてゐて、かういふ状況が最も幸せです。
 僕のしやべりは素人芸。間とか呼吸とかあまり巧みでないにもかかはらず、一言一言にビビッドな反響があることくらゐ語り甲斐のあることはありません。いい加減に流して済ますことはできない、間違つたことは言へないといふ緊張も強ひられますが、聴いてゐるのだかどうだか分からない人たちを前にするよりずつと楽しい。
 
 話のあと、「何かご質問があればお答へします」と質問タイムを設けるのが普通です。会場によつては聴衆が急に顔を伏せてしまつて、司会者があわてて八百長質問をしたりするのですが、この日は挙手する人が続々とあらはれ、司会者が途中で「そろそろ時間ですのでーー」と割り込むほどでした。
 
 考へてみれば、静かに話を聞く、視線を演者に向ける、メモをとる、ジョークには笑ふ、賛同したら拍手するーーなどといふのはありきたりのマナーです。マナーの基本、「型」です。
 
 しかし、もともとマナーといふのは「型」なのですね。茶道でも礼法でも剣道でも相撲でも、マナーは型から始まり型に終はる。「型どほりのマナー」でいい。「型どほり」が相手をいい気分にさせ、マナー本来の役割を果たす。
 
 司会者が散会を告げると、数人の社長さんが「いやあ、面白くてためになりました。また聴かせてください」と近付いて来られました。お世辞と分かつてゐても悪い気はしません。もつともこれは、「型を突き抜けたマナー」といふべきでせうがーー。
 
 
 「背骨もいい形になつて来ましたから、ここでしばらく様子を見ませうか」
 
 1月に腰痛を発症してから通つてゐたカイロプラクティックの先生が、やつと”卒業宣言”を出してくれました。
 
 「あとは運動です。骨は筋肉によつて支へられてゐるので、筋肉が衰へるとどうしても歪みます。すると痛む。ですからふだんから筋肉を減らさないやうにしないといけないんです」
 「運動、ですか。何がいいでせうねえ」
 「何でもいいんです。日常的に体を動かすことをやれば」
 
 これが問題です。「日常的に体を動かすこと」など何もしてゐない。もともと運動とは縁遠く、中学、高校と卓球部を続けたけれど、社会人になつてからは硬式テニス、ロードレーサーのサイクリング、ゴルフの真似ごとなど運動まがひのことに手は出すものの、いづれも長くは続かない。ジョギングなどしたこともありません。
 
 「先生、なにかご推奨の運動はないですか」
 こんなことを質問する患者はゐないのか、四十代半ばの先生はしばし考へて、
 「プールなんかどうですか」
 「泳ぐのは嫌ひです」
 少々返答が早過ぎたらしい。先生は反論する口調になつて、
 「いや、プールといつても泳ぐわけではなく、歩くんですよ」
 「つまらなさうですね」
 
 先生は黙つてしまつた。そこで僕から、
 「ところで、先生は日常的に何かやられてゐるんですか」
 と遠慮のないことを訊きます。
 「ずつと剣道をやつてゐます」
 「ほう、剣道ですか。あれはいい運動ですね。瞬発力も養ふし、なにしろ激しい運動ですから」
 と応じながら、さういへばわが家にも木刀が一振あるのを思ひ出しました。
 
 剣道をやつてゐた父親の形見です。時代を経て木の照りが深みを増し、刀の背側の切り込みが四面、あざやかな断面をみせてゐます。ツバも硬質な革製です。
 
 僕がその話をすると、剣道家の先生は顔を輝かせます。
 「古い木刀はいいんですよねえ。木の材質が今とは違ふんです。さう、ツバも最近のは金属ですが、昔のは革でね」 
 「あれを毎日振つてゐたら、効果あるでせうか」
 僕が質問するより早く、先生は剣を振りかぶるやうに両手を頭上にかざして、
 「かうして肩甲骨が上がるので肩の下の筋肉が引き上げられ、いい運動です。長い時間でなくてもいいですから、毎日、ゆつくりと振り下ろしてみてください」
 
 帰宅して、早速木刀を取り出しました。
 雑巾で埃を拭くと、刀の木部がにはかに光輝を取り戻します。庭に出て大上段に振り上げてみる。この動作が腰に効くものかどうかは不明だが、少なくとも肩凝りには効きさうです。
 
 小学校の鉄棒の逆上がりと跳び箱以来、運動はどちらかといへば嫌悪してきましたが、どうやら意識して体を動かさないといけない歳になつたやうです。
 
 
 
 東京・東銀座の歌舞伎座がオフィスビルに改築のため取り壊されるさうで、今の建物での最後の公演となる「御名残四月大歌舞伎」を観てきました。
 
 1日3部構成で、目下マスコミに大もての海老蔵をはじめ、吉右衛門、幸四郎、団十郎、玉三郎、勘三郎、染五郎など、人気俳優が総出演してゐます。(4月28日千穐楽)
 
 場内は歌舞伎ファンで満員御礼の盛況。僕が観たのは第2部で、菅原伝授手習鑑・寺子屋、三人吉座巴白波と舞踊の藤娘といふ演目です。
 
 歌舞伎を観るのは十年ぶりくらゐでせうか。僕の母親が好きで、きものを新調すると友だちを誘つては出掛けて行きましたが、こどもの僕は何やら筋書きの分からない芝居のやうな気がして一度も付き合ひませんでした。
 
 十年ほど前に行つたのも、ある日の午後、当時、自民党副幹事長だつた渡海元三郎といふ自治大臣経験の老政治家から「チケットが余つてるのだけどどう?」と誘はれてのことでした。
 
 今回、久々に歌舞伎を観て、正直言つて面白かつたです。何が面白かつたかといへば、そのセリフです。
 
 古い日本語、文字に書けば難しい漢字ばかりの言ひ回し、いまではほとんど遣はれない雅語の連続で、よく耳を澄ませてゐないと意味が分からない。発音されてから意味が判明するまでに数秒かかることもある。
 
 しかし、その台詞は実に美しい日本語です。典雅にして驕奢な自然描写、相手への細やかな気遣ひ、精妙、隠微な対人関係の表現など、どの一つをとつてもそこには日本の文化、伝統の精華ともいふべきものが息づいてゐます。
 
 お嬢吉三の菊五郎が、舞台中央で「問はれて名乗るもをこがましいがーー」と見得を切るコミカルな場面でさへ、ウン、「をこがましい」とは本来かういふ場面で遣ふことばなのか、と改めて考へさせる重みがある。
 
 歌舞伎の日本語を現代の日本に蘇らせることは不可能だし、今の時代はこんな装飾過多なことばでは生きられないかもしれません。また、それだけの国語教育は今の学校に望むべくもないでせう。
 
 しかし、語源も意味も不明、語呂の遊びとか発音の華麗なひびき、字づらの美しさなんかを全部どこかへ忘れてしまつてゐる今の「ニッポン語」の中で、(たとへオフィスビル内の劇場に変はつても)「歌舞伎ことば」は日本文化の華として後世に伝へたいと思ひました。