「伸び盛りのスカイツリーの近所を散歩したあと、浅草ででも飲みませう」
 そんな飲み会の連絡をもらひました。
 
 この猛暑の中、昼間散歩なんかしたら熱中症で救急車のお世話にならないとも限らない。夜の飲み会だけ参加することにしたのですが、飲みながらの話題は当然スカイツリーの話になるでせうから、一応現状がどんな具合か見ておかうかと、午後五時過ぎに浅草に出て吾妻橋をわたり、対岸の喫茶店に入りました。
 
 有名な某ビール会社のビルの1階の、隅田川とは反対側にある喫茶店です。スカイツリーが正面に見える位置にあり、全面ガラス窓が面したビルとビルの間のデッキは、新名物をバックに写真を撮らうと仕事ついでに立ち寄つたらしい若いサラリーマンやOL、夏休みの家族連れなどでいつぱいです。
 
 日が落ちて、浅草寺近くの居酒屋通りで飲み始めた5人のメンバーは、やはりスカイツリーの話題でした。
 てつぺんから足元まで撮影しようとすると苦労したとか、現在400メートル超であの背丈なのだから、634メートルの完成時には恐ろしい高さになるね、などと新鮮味のない話の中で、意外にみんなが口にしたのは東京タワーのことです。
 
 この「5人の会」は新聞記者時代の仲間で、もう三十年ほど、最初は毎月、リタイア直後は隔月、最近では年4回のペースで幹事持ち回りの会を開いてゐます。
ほぼ同世代です。
 
 「中学か高校のころ、あの辺を通るたびに、東京タワーが見る見る成長して行くのをみて、台風で倒れるのぢやないかと本気で心配したよ」
 「当時、芝のあたりはビタビタつとした家並みだつたから、あの高さは恐ろしかつた」
 「東京タワーは拡大するジャパン・パワーの象徴だつたが、今のスカイツリーにはそれはないね」
 
 その東京タワーは、ご存知のやうに、今ではテレビでも映画でも「旧いもの」、「懐かしいもの」、「昭和」のシンボルです。
 
 いま下町でスカイツリーを珍しがつてゐる若者たちも、やがて世代が移ると、スカイツリーに代はる東京名所を前にして、僕たちと同じ感慨にふけるに違ひありません。
 
 時は流れるーー近くで見たせゐか、想像以上に図太く、頑丈な印象を受けた銀いろのスカイツリーに僕が感じたのは、時間の虚しさでした。
 黒部峡谷鉄道のトロッコ電車の終点は欅平(けやきだいら)である。
 始発の宇奈月温泉では傘をさすかどうかといふ程度の雨だつたが、欅平駅の改札を出ると激しい雨に変はつてゐた。
 
 やはり、こんな時季の山の旅行は無理だつたかといふのが偽らざる心境だつた。梅雨の真つ最中だから多少の雨は覚悟してゐたが、歩くのも困難なほどの降りになるとは思はなかつた。峡谷の奥の方からは、低く長く尾をひく雷鳴も聴こえる。
 
 しかし、わざわざ北アルプスの山奥まで来て、そのままトロッコ電車で折り返すのも馬鹿げてゐる。駅の案内図をみる。片道20分ほど黒部川岸を下ると「猿飛峡」といふ展望台がある。
 
 駅の売店で500円傘を買ひ、ズボンの裾をまくりあげて歩き始めた。かういふ局面になると、毎晩、近所の主婦3人で1時間の競歩を日課としてゐる家人が俄然元気になる。
 
 遊歩道とは言つても、人とすれ違ふには一方が譲らなければならないほどの狭さで、所々にある落石防止のトンネルでは傘を折り畳まなければ通行できない。
 
 おまけに板張りの遊歩道は、落ち葉が雨に濡れて滑りやすい。頭ほどの高さに張り出た岩石の尖つた先端には、真つ赤な血のやうなペンキが塗られ注意を喚起してゐる。
 
 歩き始めて数分で引き返したくなつた。眺望がすばらしいかといへば、肝心の黒部川は数日前からの降雨で水かさが増し、両岸の嶮岨な緑の山々の底を流れ下るのは、清流とは程遠い、赤茶色をして怒つたやうな奔流である。
 
 大きな岩にぶつかつた流れが身を捩るやうに岩と岩の間をすり抜け、すぐまた次の岩に当つて飛沫を上げる。飛沫はかなりの高さまで舞ひ上がり、泥いろの霧になつて再び濁流に降つて行く。
 
 こんな景色を見に来たのではなかつた。一歩一歩足元に注意し、頭上の岩に気を遣ひながら歩くのは疲れるだけだ。「猿飛峡」といつてもただの川岸の展望台だらう。折り返さう。
 
 そのときだつた。大地が突き上げるやうな衝撃を感じた。
 同時に、目の前が真つ白になり、次に体の芯を揺さぶる轟音が耳を聾した。
 
 落雷だと認識するまでに数秒かかつた。どこに落ちたのかは分からない。もしかすると稜線を越えた向うかもしれない。
 
 だが、その一瞬の峡谷は美しかつた。
 赤茶色の黒部川も、対岸にそそり立つ緑の山も、稲光の一閃で真つ白に美化され、いはば浄化された。ひとつの稲光によつて、僕の心の中で景観は一変した。この季節にここへ来て良かつたと思つた。
 
 「戻りますか」
 と家人が怯えて言つた。
 「いいよ。もう少しで猿飛峡だらう。折角だから行かう」
 僕はすつかり上機嫌になつた。
 ホテルオークラでの茶会を終へ、地下鉄虎ノ門駅の方へぶらぶら歩き出すと、ビルの1階の大きなガラスに「家具の病院」といふ看板がありました。
 
 「健康診断は無料」ともあります。中をのぞくと普通の家具店のやうです。暇でしたので入つてみました。
 
 ここ何年か、自宅の応接椅子の修理が気にかかつてゐました。40年近く使用したフランス・アンティーク家具の赤い革張りの2脚で、僕はとくに瀟洒な猫脚の部分が気に入つてゐます。
 
 家具に凝つた時期がありました。青山1丁目にあつた日仏貿易といふ輸入業者のショーウインドウに通つては、懐具合と相談しながら、大ぶりな飾り棚、テーブル、椅子などを次々購入しました。
 
 今ではわが家の主人然としてゐる飾り棚や丸テーブルは堅牢朴訥な木製ですので何年経つても平気ですが、座面と背中、肘の部分が皮革を鋲でとめてゐる椅子は、30年ほどしたころから座面の革が摩耗して破れ始め、お客様があると薄い布のクッションを敷いてぼろ隠ししなければならなくなりました。
 
 背面と肘は裂(き)れはしませんが、赤だか茶だか分からないほどに変色してゐます。直さなければと思ひながら、修繕してくれるところが分からなかつたのです。
 
 僕が飛び込んだ「家具の病院」は、横浜・元町にある輸入家具店(元町通りを行くと、いやでも目につく真つ赤な木製の大椅子を店頭に飾つてゐる店)の虎ノ門店でした。
 
 翌日、「健康診断は無料」の見積もりに来てくれ、見積もりの出来た翌日に店のトラックで引き取りに来てくれました。修理は三週間ほどでをはるさうです。
 
 「新品を買つた方がトクだつたのぢやないかしら」
 と家人から言はれました。
 「さうかもな。女房と椅子はなんとか、といふからね」
 修理代は、この椅子に籠められた長年の愛着代のやうなものです。
 
 でも、実を言ふと、今ひとつ不安が生じつつあります。
 きれいに修理された2脚が、何事もなかつたかのやうに居間に戻つたら、この40年近くの歳月が自分の中から飛散してしまつたかのやうな、空虚な想ひに襲はれるのではないかしらーーといふことです。