新聞社のインタビューを受けました。初めてのことで、写真撮影付きで2時間もかかり、終はるとぐつたりでした。
 
 新聞記者だつたころ、インタビューは日常業務で、相手から聞きたいことだけ聞いて記事に仕立て上げればいいのですから、むしろ仕事としては容易な部類でした。
 
 受ける立場になると全く異なります。
 次にどんなことを訊かれるか、それに対してどう表現すれば過不足なく伝はるか、活字になつた時どんな語彙を用ゐたら誤解されないか、などといふことを考へながら答へてゐると、あらためて取材する側は楽だつたと感じました。
 
 こんど、ある文学賞を頂くことになりました。この夏書いた45枚の小説を応募したところ、最終審査員3人一致で正賞に推してくれたさうです。
 
 正式発表は今月27日なので、まだ詳細に書くわけにはいかないのですが、40年ほどの歴史を持つ全国公募の文学賞で、賞金は100万円と、かの芥川賞並みです。
 
 インタビューは、正式発表の時に、ある新聞が掲載してくれる記事の取材でした。
 インタビュアーは文化部長氏。50歳前の体格のいい男で、文化部にくる前は社会部で事件を追ひかけてゐたといふだけあつて、どことなく文化の香りといふよりも警察の匂ひを漂はせる記者です。
 
 何かの受賞者とか「時の人」のインタビューには、取材の定番ともいふべき手順があります。 「受賞した率直な感想は?」から始まつて、受賞作を書いた「動機」「きつかけ」が記事のメーンになります。締めくくりは、「今後、どういふ傾向の物を書いて行きたいか」と将来の抱負を尋ねるのが普通です。
 
 元警察担当記者の手順は違ひました。
 生まれはどこ?卒業した高校はどこ?大学へはストレートで?大学が文学部でなく政経学部だつたわけは?大学時代の文学活動は?なぜ新聞社に就職?最初は何部に?なぜ政治記者に?政治家ではどんな人を担当?……
 
 そこまでで1時間以上。記者が手にする大判ノートの半分ほどが費やされました。
 肝心の小説の話は訊いてくれない。もしかしたら受賞作を読んでないのかな、とさりげなく逆質問したら、一応読むことは読んでゐるのですが、さういふことより彼の関心は作者、つまり僕の「履歴」なのです。事件で逮捕された人間の「過去」のやうに。
 
 どの世界にも定番とか定石といふものがあり、それは先人の長年の経験で作り上げられて来たノウハウです。それに則つてゐれば、特段の逸品はできないにしても、ほどほどのものはできます。
 
 僕のインタビューは特別優れたものでなくていい。ほどほどのものがいいのです。元警察担当記者が仕立てるインタビュー記事が、いかなるものになるのか、27日の新聞記事が今から心配です。
 僕がこのページに、「名脇役・小沢一郎の終焉」を書いたのは、2008年9月3日です。どんな美味しい食材でも食べる時期を間違ふと美味しくありませんが、当時、それは勇み足のやうな形になりました。
 
 2008年秋といふと、自民党の福田康夫首相が辞任したときです。当時は衆院解散の時期がどうかう言はれてゐて、同時に民主党では、小沢代表へのとかくの風評に風当たりが強かつた。
 
 福田康夫氏はさういふ空気を読んで、機先を制する感じで辞表を出した。つまり、小沢氏と刺し違へようとしたのです。
 
 福田康夫氏の父親の福田赳夫氏は、小沢一郎氏の師匠の田中角栄氏と長い間「角福」の暗闘を演じた仲です。
 
 小沢一郎氏は、自民党に福田康夫氏が健在な間は「角」の二代目として一方の旗を振ることもできた。しかし、福田康夫氏が退いたらもう保たない。民主党内に「看板を替へる自民党に対して、小沢代表といふ古い看板ではとても戦へない」といふ声が澎湃と起きるから、福田辞任は小沢一郎の死を意味するーーといふ趣旨でした。
 
 僕のこの筋読みは見事に外れました。小沢はそれから2年も生き延びた。形の上ではーー。代表を辞めても、陰の実力者として君臨したことはご承知の通りです。
 
 しかし、自己弁護をするわけではありませんが、やはり、あの時点で小沢一郎氏は死んでゐたのです。
 
 今回の強制起訴の罪状は、2008年時点には既に実行済みの事案です。政治資金規正法違反を犯す背景、犯さなければならない下地は、その時点には完全に出来上がつてゐた。
 
 その後、2年間も小沢氏が民主党内で生き延びられたのは、単なる虚妄の産物です。小沢氏は自身に都合のいい「剛腕神話」「小沢神話」が永田町から消えないやう策動し、代表を退いてからは鳩山由紀夫氏を使つて「小沢神話」なるものを生き延びさせた。
 
 それを助長したのが少年探偵団を底辺に抱へる民主党の幼稚さです。選挙で金とアドバイスをもらつた「少年」たちが神話を守り育てた。
 
 そのやうなフィクションが、よく2年間も崩壊しなかつたと思ひます。政界から「小沢」の名前が実質的に消滅したのは、実はあのときだつたのです。 
 「あなたは中国人が好きですか、嫌ひですか」
 宵のJR新橋駅近くを歩いてゐたら、ジーンズ姿の小太りの若い女性に呼び止められた。テレビ局のアルバイトで、アンケート調査をしてゐるのだといふ。
 
 この手のアンケートは要注意だ。設問に答へてゐるうちに、ラーメンの新製品や化粧品の新作のPRだつたりする。場合によつては、アブナイ宗教団体の勧誘であることも多い。
 
 かういふアンケートをもし受けたら、軽くパスする方法がある。
 「あなたは、この仕事をどの団体から依頼されてゐるの?」
 または、
 「このアンケートの目的は何?」
 と質問するといい。僕の経験では半分はこれで引き下がる。
 
 ジーンズの彼女は最初から某テレビ局のアルバイトと名乗つてゐたので、 僕は問ふ。
 「例の尖閣諸島沖での中国漁船長逮捕の問題に関連してですか」
 「私は良く分かりませんが、たぶんさうでせう」
 ジーンズは答へた。
 
 「もちろん、中国人は嫌ひですよ。僕は」
 ジーンズはテレビ局名の入つた100円程度のボールペンをお礼にくれた。
 
 「どうなの?このアンケートの答へは、半分以上が『嫌ひ』なんぢやない?」
 「さうですね。半分以上といふより、これまでのところ、8割くらゐ?」
 若い女性は語尾を上げた。
 
 日本の領海内である尖閣諸島沖で、日本の海上保安庁の巡視船に体当たりした中国の漁船長を、「処分保留」のまま釈放した菅政権の超法規的措置は、民主党政権がもともと労働組合を基盤にした旧社会党政権であることを考へれば想定内のことだが、この菅政府の軟弱な対応を日本国民の多くが批判、同時に、「中国人は嫌ひ」といふ感情を深めてゐることも、想定内といふしかない。
 
 例のギョーザ事件を思ひ返すまでもなく、中国野菜の残留農薬問題など、中国からの輸入食品に対する疑念は日本国民の間に根強い。
 
 少し事情を承知した人なら、近年の中国の並外れた軍事力増強も奇異である。
 中国の経済がかつての日本のバブルを想起させる好景気で、それに乗じて中国国民が自国の力を過信するのはさもありなんといふ感じだが、経済がいいからと言つて中国国民が急に「いい人」になるわけもない。
 
 ここで思ふのは、日本人の多くがなぜ中国人を嫌ひなのかといふことである。
 近親憎悪ではないか。
 
 かつて戦争もした。隣国として数々の摩擦もあつた。日本人が(近年の芸能ファンを別にすると)概して朝鮮半島の人間を好きになれないのと同じやうに、中国人を好きになれない、むしろ積極的に「嫌ひ」なのは、いくつかの歴史的要因もある。
 
 しかし、日本人は戦争をしたことのあるアメリカ人を「嫌ひ」ではない。ときには憬れたりする。
 
 塀を接するご近所とは何かと感情的な緊張が生じやすいやうに、中国や朝鮮とは一衣帯水の関係にあるために、却つて複雑な感情が生じるのだらうか。
 
 犬は鏡に映る自分の姿を見て、怒り、吠え、ときにかぶりつかうとする。
 日本人と中国人、朝鮮人は、ヨーロッパの人の目からはほとんど区別がつき難い。日本人が中国人や朝鮮半島の人が「嫌ひ」なのは、その底に、「自分的なるもの」に対する嫌悪があるからではないか。