ドゼウ料理といへば、東京では浅草・駒形橋の「駒形どぜう」が有名だが、野田佳彦氏が「ドゼウのやうな政治をやりたい」と言つて総理大臣になつてから、この秋、ドゼウ料理が思はぬ人気になつてゐるといふ。
 
 たしかにドゼウ鍋をかこんで冷酒を口にするのは悪くない。
 ぼくは駒形どぜうのほかに、その数キロ隅田川の下流にある江東区高橋の老舗にも良く通つたが、こちらは最近休業中らしい。
 
 ドゼウは英語にすると「loach」といふさうだ。発音は「ロウシュ」。辞書によると「欧州産ドゼウ」といふから、厳密にいふと日本のドゼウとは若干違ふのかもしれない。たぶん、青い目をして、背丈も日本のより長いのか。
 
 この「loach」、実はかなりの英語通でも知らない人が多い。
 なぜかといへば、欧米にはドゼウを食べる習慣がないらしい。欧米だけではない。最近知り合つたインドネシア・バリ島在住のブログ友達に尋ねたら、バリ島でも食べないといふ。バリ島はなんとなく「ドゼウに似合ひの土地柄」(失礼!)と思つてゐたが、欧米同様に食べないさうだ。
 
 すると、われわれが小さなころから貴重なタンパク源やカルシウム源にしたり、童話や童謡でもお馴染みのドゼウといふ生き物は、日本独特の文化なのか。
 
 「どんぐりころころ、どんぶりこ」で始まる童謡「どんぐりころころ」(青木存義作詞)は、「お池にはまつて、さあ大変」 と続く。
 
 民主党の代表選のころから、野田総理大臣はこの童謡を意識してゐたのかもしれない。「さあ大変」なのは、もちろん強制起訴されて裁判が始まつた小沢一郎氏である。
 
 「ドゼウが出てきて、こんにちは。坊ちやん、一緒に遊びましよ」
 野田総理大臣は初仕事の組閣から、小沢一派に向け党内融和を呼びかけた。今のところ、どんぐりとドゼウはうまく折り合つてゐる。
 
 しかし、この童謡には2番がある。
 「どんぐりころころ、よろこんで、しばらく一緒に遊んだが、やつぱりお山が恋しいと、泣いてはドゼウを困らせた」
 
 ドゼウ鍋は冷酒に合ふが、丸ごとのドゼウの口当たりは骨つぽいし、甘口の醤油味は笹掻きとネギが上手に中和しないと、単純で飽きる。
 
 裁判で背水の陣の小沢一派が、野田総理大臣を困らせる日もあんがい近いかもしれない。
 「菅政権は、東日本大震災の対応のまづさの責任をとつて、野田政権と交代した」
後世、政治史のなかではかう記述されるにちがひない。
 
各種の世論調査をみても、大震災と原発事故への菅政権の取り組みは十分でなかつたと、約7割の国民が感じてゐる。復旧・復興のスピード、原発事故に対する政治的ダイナミズムを見るとき、国民の受け止め方は的外れではない。
 
なぜ、菅政権は震災対応に失敗したのか。
私は、菅直人氏といふ政治家がもともと内包してゐた体質によるものではないかと思ふ。菅氏は震災のやうな「非常時」には適さない政治家だつたといふことである。
 
広く知られてゐるやうに、菅氏は東京工業大学在学中から学生運動のリーダーとして活動、卒業後も弁理士をするかたはら市民運動で頭角をあらはした。
つまり、政治力といふものを学生運動と市民運動で培つた政治家である。
 
学生運動や市民運動に共通するものは何か。
どちらも小規模な勉強会などを重ね、それを討論集会で政治理念としてまとめ、全員参加の大集会やデモ行進でアピールする。
 
そこでは勉強会での斬新な発信力と全体討議での弁舌で目立つた者がリーダーになる。デモとか大集会といふのは、いはば直接民主主義的な政治手法である。菅氏にはそれが身にしみついてゐる。
 
原発事故直後、いち早く現地に飛んだり、東電本社に単身乗り込んだりして、自身の決断力、行動力を誇示したのは、市民運動時代の成功体験のおさらひだつた。
 
しかし、日本の政治システムは間接民主主義である。個人の目新しい発想や英雄的な言動よりも、段階を踏んだプロセスで事が動く。
 
菅政権に名実ともに菅氏の参謀がゐなかつたといふのは、象徴的なことだ。たとへば、国鉄民営化を成し遂げた中曽根康弘政権の後藤田正晴氏、列島改造計画を推進した田中角栄政権の二階堂進氏(いづれも官房長官)のやうな、い
つでも腹を割つて相談できる人間がゐなかつた。
 
菅氏にとつて、政策を助言してくれる真の参謀は必要なかつた。むしろ邪魔だつた。官房長官をつとめた仙谷由人、枝野幸男両氏との距離感をみるまでもない。
 
指導者のユニークな発想、独断専行型の政治が成功する場合もある。しかし、それは戦争も大災害もない「平時」においてだ。今回のような、誰も経験したことのない歴史的大災害に立ち向ふには、ひとりの逸材よりも多数の知恵が必要だつた。
 
菅氏が政権末期にぶちあげた「脱原発」も、国際舞台で約束した「ソーラーシステム一千万戸」も、総理大臣ひとりでは実現しない。
 
震災の復旧・復興も原発事故処理も、直接民主主義的手法にはいささか荷が重かつたのである。
 
ーー以上は、昨3日付けの某新聞に書いた僕の論文です。
やや遅まきながら、菅直人政権の総括のつもりです。
 先日の台風15号で、庭の東側にあつたモッコウバラのアーチが倒れた。
 
 アーチに仕立てて8年ほど。鉄柱の接続部分が腐食し始めてゐて、昨年暮れ、庭師に丸太の補強をしてもらつたのだが、今回の強風には耐へられなかつた。
 
 モッコウバラは春先に黄色い小さな花を星のやうに付け、半月程度で散ると、夏にかけてツー、ツーと細い枝を伸ばして繁茂する。その最盛期を台風が襲つた。
 
 鉄柱ごとバサッと倒壊した。錆びた接続部分は抜け、アーチ部分の支柱は無惨に歪曲した。伸び放題のまま倒れたモッコウバラは、死んで横たはつたゾウのやうだ。立て直さうと椅子に乗つて引き上げてみるが、こちらが逆に引きずり込まれさうになる。
 
 アーチが倒れ込んだ下には、孫の誕生を記念して植樹したマンサクの幼木がある。家人が「切るしかないわね」と結論を下した。
 
 この結論にあらがふほど、僕には庭木を介護する知恵も能力もない。家人は折り畳み式のノコギリを持ち出してきた。
 
 「アーチの部分は切るしかないけど、左右に1本づつ残すか」
 僕の提案で、地上1m程度を残して切断することになった。
 
 モッコウバラの幹は直径5,6㎝。ノコギリを当てると、意外と乾燥した断面をみせて、数回刃先を往復させるだけで切れた。細かい枝はきれいに切除した。
 
 切り落とした枝葉を揃へて、白いビニール紐で束ねる。どこからか茶色の毛虫が這ひ出してきた。体の後ろ半分が潰されて、緑色の液体を曳いてゐる。
 
 老夫婦の共同作業だが、どうみても家人のほうが手順がいい。枝葉を足で押しつぶしてビニール紐を掛ける能率など、僕の倍も早い。
 
 三時間をかけて、人の背丈ほどの枝葉の束が五つにもなつた。ほかに、さび付いた緑色の鉄柱の残骸が二束。月曜日に来る自治体のごみ処理車に、一度にこんなに大量に出していいものか分からないが、取りあへず作業はそこまでで休憩した。
 
 「……ねえ、今日の晩ご飯はどこかに食べに行かない?」
 と家人が言ふ。疲労困憊、飯の用意などできない、もしくはする気にならないといふことだらう。
 
 会食やパーティーとちがふ、ふだんの外食はめづらしいな、と感慨にふける。新聞社にゐた四十年余、昼と夜は原則として外食だつた。夜がメーンの仕事だから仕方なかつたが、その反動のやうに、いまは人と飲む日を別にして家で夕食をとる。
 
 慣れない筋肉を使つて僕も疲れた。こんな晩は中華料理に紹興酒も悪くないなと思ふ。救ひの外食である。