午後、散歩の途中に寄るワインレストランは、本業が結婚式場である。真夏や真冬は別にして、仏滅の日を除けば、土曜、日曜はたいてい結婚式と披露宴が行はれてゐる。
 
 2階にあるレストランは、結婚式や披露宴の前や後に立ち寄る人たちでいつぱいになる。僕は赤ワインと白ワインを一杯づつ飲むので、1時間ほど店にゐる。
 
 「○○家・○○家、ご披露宴ご出席のお客様は、間もなく開宴となりますので、3階鶴の間にお越しください」
 
 アナウンスが館内にひびくと、客たちは一斉に立ち上がる。会計は必要ない。披露宴出席者には受け付けのとき、このレストランでのドリンク券が配られてゐる。珈琲をまだ半分も飲んでゐないと、一気に飲み干す新郎の父がゐる。
 
 みんなここ一番、正装である。男は真つ黒な上下に白や銀のネクタイで芸がないが、新婦の友人あるいは職場の同僚だらうか、若い女性たちはおそらく年に1,2度しか着ないパーティー用の華やかなドレスを身に着けてゐる。
 
 黒いスカートにひらひらの付いた銀色のシャツ、首には赤や青のスカーフを巻いてゐる。かと思ふと、花嫁を圧倒するくらゐ大胆に肩口を露はした青のドレスに、ギャザのついた金色のスカートの女がゐる。真つ赤なロングドレスの熟女もゐる。
 
 しかし、悲しくなるほど、みんな似合はない。今風なことばでいふなら、イタい。着せ替へ人形のやうに、無理して「着せられてゐる」印象があつて、個性もなければ、主張もない。結婚披露宴の連絡をもらつて、急遽、貸衣装屋で借りてきたやうな感じもある。
 
 いまや年中行事となつた内閣改造のたびに、宮中での認証式ををへた新閣僚たちが総理官邸の階段で、真つ黒なモーニングコートを着た老人たちと、待つてましたとばかり鮮烈なドレスを身にまとつた女性大臣がならんで記念撮影するが、あのぶざまな光景を連想させる。
 
 さういへば、欧米で開催される映画祭などで、出演した俳優たちが会場前のレッドカーペットを歩くのも、なぜか日本人俳優はサマにならない。夏祭りのやぐらの上にむりやり担ぎあげられた県会議員のやうなぎこちなさがある。
 
 「あなたはやつぱり、ネクタイにスーツね。ふだんの恰好が一番だわ。アルマーニだか何だか知らないけど、さういふカジュアルは似合はない」
 
 銀座で夫婦同伴、フレンチの会食だといふから、一か月も前から用意してゐた明るい色のブレザーに絹の黒いパンツをはくと、家人に一言で切り捨てられた。
 
 僕のせゐではない。たぶん、日本人には紋付羽織袴以外の晴れ着は似合はないのだ。さう考へることにする。
 小学校時代の同級生がどこで噂を聞きつけたのか、来月初めに講演をしてくれないかと言つてきた。彼女が所属するロータリークラブの卓話である。
 
 この手の社交クラブの講演は、ランチの後の余興みたいなもので、楽といへば楽だが、講演料は通常の10分の1くらゐ。しかし、同級生の依頼とあれば断るわけにもいかない。
 
 彼女は旦那に死なれたあと、仏壇屋を継いでゐる。何年か前に同窓会で顔を見たことはあつたが、今回打ち合はせのために会ふと、皮膚は乾き、頬はへこんで、やはり並みのアラセヴ女性になつてゐる。小学生の頃はクラスでも目を引く美少女だつた。
 
 演題を決め、当方の略歴をわたして、当日何時までに会場に行けばいいのか聞く。
 「ぢやあ、よろしくね」
 気楽に手を上げて席を立たうとすると、元同級生はテーブル席から通路の方へ一歩外して、「では、よろしくお願ひいたします」と深々と頭を下げた。
 
 こちらは少々慌て、 「いや、こちらこそよろしく」 とあらためて、やや心をこめたお辞儀をした。
 
 彼女のお辞儀の仕方は商売人のそれで、仏壇屋の女主人として礼儀にかなつた優雅なものだつた。一方こちらは、日ごろ正式なお辞儀とは縁遠いので、最初は飲み屋から出たあとの友人との別れと同じだつた。
 
 TPP参加表明で注目されたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)に出席した野田総理は、国際会議の場で持ちまへの深いお辞儀を披露した。深いお辞儀とどぜう話のお陰で総理になつた人にふさはしい。
 
 イタリアのサッカーチーム・インテルの長友佑都選手は、ゴールを決めたり、秀逸なアシストをしたあと、仲間から戯れに深々と頭を下げられると、同じ動作でこれに応へてゐる。日本の「お辞儀」をチームに浸透させたらしい。
 
 僕の経験でいふと、会社組織でも、深々とお辞儀をする人はほとんど出世してゐる。意外な大騒ぎとなつたこんどの巨人の内紛で、次期オーナーとしてちよつと名前が出た現在の新聞社社長もさうである。
 
 ご存知、かのグループの大ボスはお辞儀が上手とは言へないが、その配下には腰と頭の低い人が揃つてゐる。むろん、お辞儀が丁寧といふだけで出世したわけでもないだらうが、たかがお辞儀とも言へないのかもしれないと、最近少し考へ直してゐる。
 
 
 
 なんとも珍妙な宴会でした。
 
 昔からの友人5人による幹事持ち回りの飲み会が、早々と忘年会を開くことになつたのはいいのですが、当番の幹事役がどういふ風の吹き回しか、会場をカラオケ屋に設定したのです。
 
 東京駅八重洲口を出て、路地を少し入つたところにある5階建てビルのカラオケ屋で、部屋は十畳ほどあり、5人なら狭くはありません。
 
 「飲み物は?」と店員に言はれて、いつものやうにみんなの合意でジョッキのビールを頼み、さらにメニューにあつたボルドーワインを選んだのがそもそも間違ひの始まりでした。値段は6500円で、グランヴァンの赤の10年物とすれば高くも安くもない。
 
 若い男が持ちにくさうにグラスとボトルを運んで来ました。すでに栓を抜いてあつたのは許せるとして、ワインがボトルの口までなみなみとあり、運んでくる間に少々溢れてボトルのエチケットを汚してゐます。
 
 怪しいと思つて一口飲むと、案の定、1000円もしない安ワインと中身をすり替へてあります。なぜ怪しいと感じたかといへば、コルクを抜いたボトルは絶対に口までワインが来ません。コルクの分だけ下がつてゐなければをかしい。
 
 次に料理の注文ですが、これも期待する方が無理といふものでせう。なるべく火の通つた物、冷凍食品を温めたのでも我慢できるやうな物を選びました。
 
 「予約は三時間ですから、さあ早速、歌ひませうか」
 幹事役の元地方部記者が、慣れた手つきでビニール袋からマイクを抜き出してみんなに差し出します。65歳を過ぎたこの男は、後で分かつたことですが、最近、地元の趣味の会に参加して、ひそかにカラオケの練習を始めてゐたのです。
 
 5人の中では歌が得意で、若い頃は美声で鳴らした元テレビ報道記者が、五十年くらゐ前に流行つた二世歌手の歌を歌ひ出しました。
 透き通つた高音が自慢でしたが、アラセヴになつた今は残念ながら高音部分がかすれます。自分でもそれを承知してゐて、高い音のところは短く切り上げるので、次の小節までの間に無言の時が生じる。本人はこの間がイヤで仕方がない。しかし、どうしやうもない。
 
 昔から音痴気味だつた古希の二人、元経済部記者と元ヨーロッパ特派員は相変はらず音を外し、出ない声を絞り出します。
 カラオケ趣味の会の男は、がなり立てた後で急に声を絞り、「演歌といふのは、この”張る”ところと”引く”ところの塩梅が大切だと教はつた」と注釈します。
 
 僕も順番が来ると、「ダンシング・オールナイト」や「ジュリアにハートブレーク」など古い歌ばかり歌ひましたが、息は続かないし、歌ひ終はつたら顔面は紅潮、脈は速まつてゐるしで散々です。
 
 乾いた喉に流し込むジュースのやうな味気ないワイン、冷めたソーセージ、キスチョコ。お義理の拍手と歓声……宴会はいくつも経験しましたが、これほどすさまじいのも珍しい。
 
 「さうだ、写真を撮りませうか」
 元ヨーロッパ特派員がリタイア後購入した自慢の一眼デジカメを取り出さうとしました。
 
 「写真はやめたほうがいいんぢやない。最近、自分の写真を見るたびにがつくりくる」
 元テレビ報道記者がデジカメを笑つて制しました。テレビの仕事をしてゐただけに画像には過敏なのか。
 
 元経済部記者も、「さうね。写真で自分の顔を見ると、改めて年取つたなあと気づかされるね」と同調しました。
 僕はといへば、ともかくこのおそろしい宴会の記録が残らなくて良かつたとホッとしたのです。