サラリーマンをしてゐた41年間、幸か不幸か、仕事の都合で朝食以外は外食だつた。

 

昼も夜も、どこかのレストランへ出向かねばならなかつた。

 

食事が快適か否かは、その日の気分を大きく左右した。

 

不味(まづ)い料理はむろんのこと、女性店員の言動が気に食はなかつたりすると、その日はずつと暗鬱になる。

 

一日を気持ちよく過ごすためには、うまい食事があつて、気心の知れたオーナーや店員がゐる、閑雅な店でなければならなかつた。

 

そんな日々から学んだのは、居心地のいいレストランやバーを見つけるには、客の側がそれなりに努力しなければならないといふことである。

 

簡単にいへば、その店を「自分仕様に育て上げていく」といふことだ。

 

その結果、レストランの店長やスタッフに何人も友人ができた。

 

店が終はつてから店長夫婦と一緒に飲んだり、ときには家内を呼び出して一緒にカラオケに行つたり、わが家で催す枝垂れ桜の花宴にも毎年お招きした。

 

ぼくの母親の葬儀には、六本木のトンカツ屋の女将が黒のきもので来てくれた。

 

「自分仕様に育て上げていく」過程で、失敗もあつた。

 

赤坂のTBSに近い某イタリアンには週一回は寄つてゐた。

 

客足の絶えない店で、フランス、イタリア、スイスなどで修業した中年シェフとは、ふだんほとんど世間話もできない。

 

ある日、いつものやうにワインの赤と白を一杯づつ飲み、食事はパスタのボンゴレを注文した。

 

すぐに来た。食事のときには酒を飲むが、そのあと新聞社に上がつて自分が書いた記事のゲラに朱を入れなければならないから、酔つてもほろ酔ひ程度である。

 

ボンゴレを口にする。アサリの香りが鼻にきて、いつもながら旨い。

 

ただこの日、ワインが少々過ぎてゐたか、ソースの塩気が物足りない気がした。

 

店の女性を呼んで、「黒胡椒をください」と、家庭用の小さいミル(胡椒挽き)を両手で回す仕草をした。女性が奥に消えて、少し間があつた。

 

やがて、ふだん客席には顔を出さないオーナーシェフが、調理場の前掛けをしたままやつて来た。

 

「味が足りませんか? いつもと同じやうにしたのですが」

 

その手には、厨房のみで使用する50センチもあらうかといふ、野球のバットのやうな巨きな木製のミルが握られてゐた。

 

表情は強ばり、引き攣つてゐるやうにも見えた。

 

そこで初めて気がついた。客からわざわざ黒胡椒を要求されたといふことは、シェフにすれば自分の料理にケチをつけられたも同然。

 

永年かけて築き上げてきた料理人としてのプライドに針を突き刺された気がしたのかもしれない。

 

ぼくが野暮だった。それ以降、週一が週二に増えた。

 

「エッセー塾のホームページを見ましてーー」

 

見知らぬ人が自宅の固定電話にかけてきた。

 

「エッセー塾」といふのは、読売カルチャーセンターで2008年から開いてゐた文章講座を、5年前に私塾として独立させたもので、ホームページを作つたのはまだ3か月前のことだ。

 

友人や塾生以外の方からの反響は初めてである。

 

以前から個人のブログはやつてゐるが、新聞社を定年退職してから始めた塾に、ホームページ(HP)を開かうとは最初考へてゐなかった。

 

15人ほどの塾生の中に、たまたまインターネットに通暁してゐる女性がゐて、あるとき、「塾といふからにはHPくらゐなければーー。さういふ時代ですよ」と言はれた。

 

HP開設となると、立ち上げはむろんのこと、その後の修正、管理、維持などどうやればいいのかまるで知識がない。80翁には無理かな、と手をつけなかつた。

 

ほどなく、その塾生が「HPの見本を作りました」と送信してくれた。びつくりした。

 

今のことだから生成AIなどの助けを得たのかもしれないし、全国にある似た講座のHPを参考にしたのかもしれないが、その「HPの見本」は、文章講座の紹介として主宰者の言ひたいことが全部盛り込まれてゐて、まさに間然するところのない出来栄えだ。

 

塾の目的、概要、教場の案内地図はもちろんのこと、この塾が普通の文章講座とどこが違ふか、この塾が何を目ざし、どういふところに究極の目標を置いてゐるか、などといふことまで、あたかも主宰者自身が作つたかのやうに、的確に、丁寧に説明されてゐる。

 

一読して、これは使へると思つた。

 

「時代ですよ」

 

と重ねて塾生に言はれてみれば、たしかに今の社会は何ごとにつけ声高に物を主張した方が勝ち、黙つてゐたら負けといふ風潮だ。

 

「ホームページは一種の『旗』みたいなものですから」

 

実は子どものころから、「旗」にはあまり興味がなかつた。といふより好きでなかつた。

 

小学校で運動会の前日になると、校庭のまん中に電信柱のやうな高い柱が立ち、そのてつぺんから四方に赤や青の万国旗が泳ぐのを見ると、教室でひとり暗鬱な気持ちになつた。

 

運動会が嫌ひだつた。

 

足も速くなければ飛んだり跳ねたりも苦手。運動会といふお祭りは、いつもの授業ではおとなしくしてゐる悪童たちが、年に一回、自分たちの秘めた能力を誇示する日だと思つてゐた。

 

「母の姉が亡くなり、明日お葬式で母と一緒に行かなければならないので、運動会はお休みさせてください」

 

前日、担任の老女性教師に申し出た。

 

「あら、さうなの。さういへば、去年も運動会の日にご親戚のお葬式があつたわね」

 

誰もが外ではスマホを手離さず、家に帰ればパソコンで情報を得る今、ネットで「我ここにあり」と声をあげなければ、その存在自体が見えないものになる。

 

戦国の世では、武将たちは各々「旗印」を掲げてぶつかり合つた。

 

今の時代も、好き嫌ひはとまれ、何らかの「旗」を掲げて自分の存在をアピールしたはうがいいのかもしれない。

 

テレビ局の一醜聞に過ぎないタレント・中居正広の女性スキャンダルがこれほどのニュースになつたのは、従来、ヒミツとされてゐた“芸能界のウラ”の一端が一般人の目にさらされたからに違ひない。

 

テレビに出演する芸能人やテレビ局スタッフが、自分たちでひそかに、どのやうな愉楽の時間を過ごしてゐたかなどといふ、これまであまり見聞することが不可能だつた世界が、テレビ局主催の数度の記者会見や、定時のNHKテレビニュース、昼日中の各局の報道バラエティーで明らかになつた。

 

そこには番組の打ち上げパーティーでの“女子アナの接待”などといふ、一般には耳新しく、興味津々な慣習まで暴かれた。

 

従来、一般人には閉ぢられてゐた“クローズド・エリア”の話が、お茶の間のテレビに連日流れることになつた。

 

ぼくは新聞社に41年務める間に、さういふエリアをちらと覗いたりする機会があつたから、とりわけ耳新しいこととも思へなかつたけれど、いま改めて思ふのは、かういふニュースがお茶の間に流れることが果たして意味のあることなのかどうかだ。

 

ぼくが中学生のころ、町の一角に堂々と存在した「赤線」や「遊郭」を例に挙げるまでもなく、政治記者として連日いやといふほど目にしてきた政治家などの料亭遊びや、夜の新宿や渋谷で見かけた性風俗など、いちいち列挙したらキリがない大量の不道徳なウラ情報を見聞きしてきた。

 

さういふ情報は新聞の政治面には書けない。新聞記者をやりながら、『新潮』『文学界』などの純文学雑誌に筆名で小説を書いてゐたので、さういふ興味深い話を耳に挟むと小説に書いた。

 

しかし、かういふ“クローズド・エリア”のことを、お茶の間の人間が知ることにどんな意味があるのだらうか。

 

“クローズド・エリア”には、まともな市民生活にマイナスを及ぼす常識もある反面、粋な世界独特のマナー、戒律、風趣など、ウラ社会でなければ知り得ないことも多く、そこにはそれなりの魅力も魅惑もある。

 

それが意に染まないからと言つて、今回の中居スキャンダル騒動に見られるやうに、みんなが道徳家や宗教家になつて、寄つてたかってあれこれ批判、排斥して行つたら、ぼくたちが生きるこの社会は、なんとも貧寒で、無粋で、まさしく退屈な、いぶせしものになつてしまふのではないか。

 

テレビ局の人間やタレントたち(ついでに言へば永田町の面々も)に対して、深山に住まふお坊さんみたいな謹厳、清閑な徳を備へよと言つたつて虚しい。

 

言ふまでもなく、人にはそれぞれ「場に見合ふ」適性といふものがある。