経済学や政治学の分野でそれなりの業績を残した人、作家として結構おもしろい作品を書いた人、お笑ひタレントとして一応の成功をおさめた人、アスリートとしてトップを歩んだ人、経営者として華々しく成功した人……優秀な能力を持つ人たちが、誘はれて政界に飛び込んだとたん、灰色にくすんでしまつた例を何人もみてきました。
永田町では、各分野での過去の経歴は一切評価されません。評価の対象となるのは、選挙に強いかどうか、政治資金調達能力があるかどうか、同士をまとめられる人間的魅力があるかどうか、の3点です。
いかに優れた学者、作家、タレント、アスリート、社長でも、この3点の力量が「並み」「並み以下」ならば、永田町では芽が出ません。それぞれの世界では秀逸な成績をあげた人たちの多くが、よれよれになつて永田町を去つて行きました。
結果、政界で生き残つたのは、二世議員と、官僚経験者と、労組出身者と、政界遊泳術だけを専門に学んできた若い野心家です。
永田町と同じことが、いま、芸能界で進行してゐるやうに感じます。スポーツ選手のタレント化です。
こちらは外野から全く別世界に飛び込む政界と違つて、親類のやうなところがあります。自己の技量を高める過程で、知らず知らず、いかにすれば観衆に受けるかといふことを学ぶ点で、芸能界もスポーツ界も似通つてゐます。
ロンドン・オリンピックで話題になつた選手たちが、テレビのバラエティー番組や報道番組のゲストとして引つ張りだこになつてゐます。週刊誌や月刊誌にもそのうち続々登場するでせう。
首からメダルさへぶら下げてゐれば、テレビではあまり口をきかなくても番組の華として通用するし視聴率が取れるので、局にとつては安上がりなタレントとして便利なことこの上ないわけですが、その陰で出演する選手たちは大事ものを喪つてゐます。
オリンピックで日の丸を背負つてメダルを競ふ姿と、バラエティー番組で笑顔を見せる姿との落差に気付かなければいけないのです。
競技中の選手には一種、「後光が射す」やうな神々しさがありますが、バラエティー番組で見せる微笑は、ただの若者です。それも「わたし、やや有名人になつたのかしら」と錯覚するご満悦のいやらしさしが加はります。
スポーツ選手はテレビ局や雑誌社の執拗な出演要請を断固拒否して、競技場に戻らなければなりません。そこだけがスポーツ選手のかがやく場なのです。
一度、タレント気取りの野心をさらしてしまふと、二度と「後光が射す」場には戻れないことを自覚すべきです。一度、永田町に顔を出し、世間に「地位と金」への政治的執着心を見抜かれてしまつた元著名人たちが、永田町を離れても二度と以前の栄光には戻れないやうに。
