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仕事中の本音
こんなクサいことや綺麗事と思われそうなことは誰にも話せません。
でも誰かに思いを知ってもらいたい・・・
【矛盾】から生まれたブログ
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大分でホテルマンとして働くこと15年目。

この土地に来て、地域に根差したサービスへの使命感が一層強くなりました。

仕事とは、単なる生計の手段ではなく、私が誰かの役に立ち、この社会で生きていることを証明する行為です。

使命感を重荷だと感じても、誰かの喜びのために尽くす日々こそが、私の「仕事哲学」です。

そして、これが私の人生そのものだと思っています。

 
  • 大分での新たな使命

  • 仕事と人生の境界線

  • 私にとっての「仕事」の終着点

 

第5話:大分の地で、仕事と生きる:誰かのために尽くす「私の仕事哲学」

 

1. 大分での新たな使命

 

 

大分という新しい土地でホテルマンとして働くことは、私にとって大きな転機でした。

都市部のホテルとは違い、ここでは「地域との繋がり」がサービスの根幹をなします。

地元の食材を活かし、温泉文化を守り、大分を訪れる人々にこの土地の魅力を伝えること。

これが、この地で働く私の新たな使命となりました。

支配人としての責任は、単にホテルの利益を出すことだけではありません。

地域経済の一端を担い、地元の雇用を守り、ホテルの存在が地域社会にポジティブな影響を与えることです。

この使命感は、私をホテル内部の課題から、より大きなコミュニティの課題へと目を向けさせました。

地元の祭りへの参加、観光協会との連携、そして地元の人々が誇りに思えるようなホテルづくり。

誰かのために尽くすという私のENFJ-Tの気質は、ここで最大限に活かされています。

仕事とは、自分が属する場所を、より良く変えていく「社会参加」の行為なのだと、大分に来て強く確信しました。

 

2. 仕事と人生の境界線

 

 

「仕事とは」と問われたとき、私はしばしば「人生そのもの」だと答えます。

ホテルマンとして15年間、朝から晩まで、休みの日でさえホテルのことを考えてきました。

支配人という立場になってからは、その傾向はさらに強まりました。

私にとって、仕事は単なる労働時間ではありません。

それは、私自身の価値観、哲学、そして情熱を注ぎ込む場です。

責任感が強く、すべてを一人で抱え込みがちな性格のため、「仕事とプライベートのバランス」という言葉は、私には少し遠いものに感じられます。

しかし、この仕事に没頭する日々こそが、私にとっての充実です。

お客様の感謝の言葉、部下の成長、ホテルの成功。

これらが私の人生の喜びとなり、私自身を形作っています。

仕事と人生の境界線は曖昧ですが、それで良いと思っています。

なぜなら、誰かのために尽くすことが、私自身の最高の「生き方」だからです。

仕事の中に人生の目的を見出すことができた私は、ある意味で幸福なのかもしれません。

 

3. 私にとっての「仕事」の終着点

 

 

使命感と責任感を重荷だと感じながらも、私がこの仕事を続ける終着点はどこにあるのでしょうか。

それは、**「私がこのホテルから離れても、このホテルとチームが、最高のサービスを提供し続けられる状態を創り出すこと」**です。

私が一人で抱え込んだ重荷を、いつかチーム全体で分かち合い、私が不在でも揺るがない強固な組織を築き上げること。

それが、私という支配人の使命の最終目標です。

仕事とは、私にとって**「他者の幸福を創り出すことで、自分の存在意義を証明し、そしていつか、その幸福を永続させるための仕組みを創り上げること」**です。

大分の地で、私は今日もその使命を背負い、誰かのために尽くします。

この強い責任感こそが、私の仕事であり、私の人生そのものなのです。

 

 

最終回!大分の地で働く支配人が辿り着いた「仕事と人生」の答え。

全てを一人で抱え込んでも、尽くすことをやめない理由。

私にとっての「仕事」の終着点とは?

15年間の経験から導き出した、私の哲学を共有します。

 #大分 #仕事哲学 #人生観

 

 

今日もやったろ!!

 

 

私の性格タイプ、主人公(ENFJ-T)は、非常に共感力が高いと言われます。

チームメンバーの悩みや失敗は、まるで自分のことのように感じてしまう。

だからこそ、「私がやれば早い」「私がカバーしなければ」と、全ての責任やタスクを一人で抱え込んでしまう悪癖があります。

部下の成長のためには、責任を委譲しなければならない。

分かっているのに、それができない。

仕事とは、チーム全員の成長を信じて「手放す」努力なのかもしれません。

 

 ・「主人公」の共感力とチーム

 ・部下の失敗=私の失敗?

 ・責任を「委譲」することの難しさ

 

 

第4話:部下の成長は、私の責任:共感力(ENFJ)が招く「一人で抱え込み」の壁

 

1. 「主人公」の共感力とチーム

 

ENFJ-T型は、他者の感情を敏感に察知し、強いリーダーシップでチームを一つの目標に導くことを得意とします。

私自身、チームメンバーが目標を達成し、喜んでいる姿を見るのが何よりも好きです。

しかし、この強い共感力は、裏を返せば「他者の苦痛を自分の苦痛として感じる」ことにも繋がります。

部下が仕事で失敗し、落ち込んでいるのを見ると、私はすぐに「私がもっと丁寧に教えるべきだった」「私が事前にチェックすべきだった」と自分を責めてしまいます。

彼らの抱えるプレッシャーや不安が、まるで自分の肩に乗り移ったかのように感じられるのです。

この感情は、私を「彼らの盾にならなければ」という過剰な庇護意識へと駆り立てます。

その結果、「この仕事は彼に任せて失敗するより、私が完璧に仕上げた方が早いし、彼も傷つかない」という思考に陥りがちです。これは、短期的に見れば効率的かもしれませんが、長期的に見ればチームの成長の芽を摘んでいることに他なりません。

 

 

2. 部下の失敗=私の失敗?

 

支配人という立場は、部下の最終的なアウトプットに全責任を負います。

もちろん、これは組織の原則です。

しかし、私の場合は、この責任を「彼らのミスはすべて、私の指導と管理の失敗である」という極端な形で捉えてしまいます。

先日、新人のフロントスタッフがお客様への伝達事項を誤り、大きなクレームに発展したことがありました。

私は、そのスタッフを叱責する代わりに、まずお客様へ深く謝罪し、対応を全て引き取りました。

その後、そのスタッフには優しく指導しましたが、内心では「なぜ、もっと事前に細かく指導しなかったのか」と自分を激しく責めていました。

この行為は、一見すると責任感が強いリーダーのようですが、実際は、部下に「失敗から立ち直る機会」と「自分で責任を負い、解決する経験」を奪っていることになります。

彼らの失敗を私の責任だと抱え込むことは、彼らの成長を阻害する「壁」となっているのです。

仕事とは、単にトラブルを解決することではなく、部下を一人前のプロフェッショナルに育てること。

このジレンマに、私は常に苛まれています。

 

 

3. 責任を「委譲」することの難しさ

 

管理職にとって、最も重要なスキルの一つが「権限と責任の委譲」です。

部下に仕事を任せ、彼らが自分で考え、行動し、その結果に責任を持つ。

これによって人は成長します。

しかし、使命感が強すぎる私は、この「委譲」が非常に苦手です。

完璧主義の傾向もあり、誰かに任せることで発生するかもしれない「リスク」を恐れてしまいます。

私の頭の中には、いつも最悪のシナリオが浮かび、「私がやってしまおう」という衝動に駆られます。

この悪循環を断ち切るために、最近は意識的に「見守る」ことを心がけています。

小さなミスには口を出さず、彼らが自分で解決するまで待つ。

失敗しても、その後のフォローアップを徹底し、「次はどうすればいいか」を一緒に考える。

責任を完全に手放すことはできませんが、仕事の責任を「一人で抱え込む」ことから、「チーム全体で共有し、共に成長する」ことに定義し直す。

これが、今の私にとって最大の課題です。

仕事とは、信頼し、手放し、共に成長していく「忍耐と愛」のプロセスなのかもしれません。

 

 

ENFJ-Tあるある?

部下の失敗を自分の責任だと感じてしまう支配人の苦悩。

チーム育成と、一人で抱え込みがちな私の性格との葛藤を吐露します。

管理職として、どこまでが「私の責任」なのか?

信頼し、手放すことの難しさ。 

#ENFJ #管理職の悩み #チームマネジメント

 

 

 

今日もやったろ!!

 

 

 

 

 

高卒でこの業界に入り、気づけば支配人という立場にいます。

学歴や経験値の差に不安を覚えることも少なくありません。

特に、大きな経営判断や人事の決断を下す瞬間は、まさに孤独です。

理想とするサービスと、限られたリソースという厳しい現実。

そのギャップを埋めるのは、常に「私一人」の意思決定です。

仕事とは、正しい道を見極め、孤独であっても責任を負い続ける「決断」そのものです。

 
  • 高卒からの挑戦

  • 一人で戦う決断の場

  • 理想と現実に線を引く

 

第3話:理想と現実のギャップ:高卒支配人が直面する「孤独な意思決定」

 

1.高卒からの挑戦

 

私がこの業界に入ったのは18歳。

高校を卒業して、すぐに現場の最前線に立ちました。

周りには有名大学出身者や専門知識を積んだ人々が多く、常に「自分は何か足りないのではないか」という不安が付きまといました。

しかし、この不安は私にとって最大の推進力でもありました。

知識がないなら、誰よりも現場で働き、経験を積む。

理論で勝てないなら、人一倍の努力と責任感で信頼を勝ち取る。

この15年間で、私は現場の清掃からフロント、営業、そして支配人というすべての職務を経験しました。

この叩き上げの経験こそが、私の最大の武器です。

ただ、管理職として机に向かい、数字と向き合う瞬間、これまでの経験値だけでは乗り越えられない、より高度な判断が求められます。

学歴コンプレックスは消えませんが、それは今や「現場のリアリティを知る支配人」という強みに変わっています。

 

 

2. 一人で戦う決断の場

 

支配人になって、最も変わったのは「相談相手がいない」ということです。

現場にいた頃は、上司や先輩にアドバイスを求めることができましたが、今は私が「答え」を出さなければなりません。

特に、大規模な設備投資の是非、不採算部門の縮小、あるいはトラブル時の公的な対応。

これらは、ホテルの未来を左右する重大な意思決定です。

もちろん、本社や役員会への報告は行いますが、現場の肌感覚や従業員の心情を最も理解しているのは私です。

最終的な決断を下すのは、常に孤独な闘いです。

例えば、採算が厳しいながらも、地域住民との交流を深めるためのイベントを継続するか否か。

短期的な利益を取るか、長期的な地域社会への貢献を取るか。

私のENFJ-T型、主人公の性質は、常に「人のため、地域のため」という理想を追求します。

しかし、支配人としては、ホテルの存続という現実的な責任も負っています。

この理想と現実の板挟みの中で、私は一人でデータを分析し、現場の声を聴き、そして最も「正しい」と信じる道を選ばなければなりません。

仕事とは、誰も代わってくれない、この孤独な「決断」の重さに耐えることなのです。

 

 

3. 理想と現実に線を引く

 

私の理想は、従業員全員が生き生きと働き、お客様が心から満足する「最高のホテル」を創ることです。

しかし、現実は厳しい人件費の制約、変動するマーケット、予期せぬトラブルの連続です。

理想を追い求めすぎれば、ホテルの経営は立ち行かなくなります。

現実に傾倒しすぎれば、それは単なる効率主義の無味乾燥な箱になってしまいます。

私の仕事は、この二つの間に、常に適切な線を引くことです。

時に、理想を犠牲にして非情な判断を下さなければならないこともあります。

その判断の責任は、私が全て背負います。

決断の夜は、眠れないことも少なくありません。

しかし、その苦悩こそが、私にとっての仕事の証です。

理想と現実のギャップを埋めるために、今日も私は孤独な意思決定を繰り返します。

仕事とは、その決断の重さに耐え、前に進み続ける「覚悟」のことだと信じています。

 

 

理想論だけでは、ホテルは回らない。

高卒から支配人になった私が直面する、経営のリアル。

誰も相談できない、孤独な意思決定の瞬間、何を拠り所にするのか。

私は孤独な決断を背負い続ける。 

#管理職の孤独 #経営判断 #仕事とは

 

 

今日もやったろ!!