老後の生き甲斐を求めて | 今、私が考えていること

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毎日の出来事を、新聞やネット上の記事からピックアップして、私なりの意見などを書き綴ります。

 

人は子育てが終わり、仕事も引退すると残りの人生の生き甲斐が何なのかわからなくなります。私はまだ会社で働いていますが、仕事を生き甲斐とは思いません。単に老後資金を稼ぐためだけです。しかし食べていくことは出来ても、やはり生き甲斐を感じてないと、なぜ自分は生き続けているのだろうと思ってしまいます。「長生きしてください」などと言ってもらうこともありますが、何のために長生きしなくてはならないのでしょうか?

 

サラリーマンとして長年働いてきて定年退職すると、ただ仕事がなくなるだけですから、朝起きて朝食を食べ終わると、はて、今日はこれから何をすれはいいのかと悩んでしまいます。私自身も今の仕事に再就職する前にそういう日々を過ごしたことがあります。健康保険料の振り込みのために駅前の銀行の支店に行くことがありましたが、それがその日の私の唯一の仕事でした。だから待合室で待たされてもイライラすることはありません。用事が済めばまた来た道を戻って家に帰るだけです。途中駅前を通ります。以前は毎朝ここから通勤電車に乗って都心の会社に通勤していました。ものすごい混雑でしたから大変なんですが、40年以上も経験するともう習性になってしまいました。だから人の少ない閑散とした平日の昼間の駅前を通ると「ここはどこだ?」などという錯覚を覚えてしまいます。

 

私はすっかり電車に乗る必要もなくなりましたので、定期券も持たなくなりました。それが逆に私を電車に乗せなくしているのだと思い、町までの一か月定期券を買ってみたことがあります。なんとも馬鹿げた話に見えるかもしれませんが、「サラリーマン精神」が身体に染みついてしまった人間にはそうなる宿命があるのではないかと思います。なんだか悲しいですね。

 

私が次にいよいよ仕事を引退するときはそういうことになりたくないと思うのです。だからサラリーマンを続けつつも「サラリーマン精神」を脱ぎ捨ててしまいたい。どうすればいいのか? よく「趣味を持て」と言われますが、これは結構難しいことです。時間はたっぷりあるのですが、お金は無い。だからどんどん海外旅行に行くなんてことはできないし、趣味のために高価な道具を買うなどというのも容易ではない。問題は熱中できなくてはだめだ。仕事を早く辞めてこっちのほうがやりたい! というものでないと生き甲斐なんて感じるわけがない。

 

またそれは一人でできるものがいい。ゴルフやテニスのように相手がいないとできないものは相手の都合もあるので自由にできない。そして一番大事なことは達成感が味わえること。ここに生き甲斐を感じるのだと思う。

 

いっぱい書き連ねてみたけれど、結局何がいいの? と聞かれてもいまはまだ答えられません。もう少し考えてみますが、写真とか楽器とか囲碁とかの使い古されたような趣味ではなくて、何か最近の新しいものがいいような気がします。それを探してみたいと思います。

 

私のつまらない独り言にお付き合いくださいましてありがとうございます。