インドについて | 今、私が考えていること

今、私が考えていること

毎日の出来事を、新聞やネット上の記事からピックアップして、私なりの意見などを書き綴ります。

おかげさまで今回のコロナは症状のピークを越えたようです。のどの痛みや咳もほぼ収まりました。ところが今日からまた猛暑がぶり返し、特に湿気が強くてかないません。いつまでこんな蒸し暑さが続くんだ。勘弁してほしい。

暑いと言えば、今G20が行われているインドも暑いところです。40度とか50度になることもしばしば。そんなところに岸田総理もバイデン大統領も、みんな偉い人たちがわざわざ出かけて会議をしている。ご苦労様です。

インドと言えば、私には特別な縁があります。大学のゼミで専攻したのが「南方アジア経済」、つまりはインド経済だったからです。今から40年以上も前のことですから、その頃のインドは今のような新興国としての経済躍進が起きるずっと以前の時代です。マハトマ・ガンジーによって英国から独立を果たし、非暴力・非服従により西側でもなく東側でもない、いわゆる「第三世界」を形成し、政治的に中立を保っていました。

インドのボンベイ(現在のムンバイ)から起こった地元の財閥「タタ財閥」。その創始者であるジャムセッチ・ヌッセルワンジ・タタ氏に興味を持ち、経営者としての研究を卒業論文に書いたのです。大した論文ではないのですが、私個人としてはとても印象深いものがありました。政治的には英国から独立したものの、経済的には自立するには程遠く、イギリス連邦の属国の状態ではありましたが、民族自決を目指して立ち上がったタタ一族の業績には目を見張るものがあります。ただ、あまりにもローカルなので日本人で知っている人はほとんどおらず、長い間話題にすらすることが出来ませんでした。

ところが数年前にニュースで「インドの国民車をタタが製造した」という話を聞きました。日本で言うところのカローラのような大衆車をインド人の手で開発して製造販売したというのは、画期的なことです。現在ではインドのタタと言えば、知っている人も増えています。決して私が先見の明があったとか言うのではありません。たまたまそういう展開になっただけです。でも、時代は確実に変化し国は発展するのだと言うことを改めて実感しました。

私のいた大学のゼミの教授はインドの民族衣装を着ていて、インド料理をこよなく愛していました。東京にあるアジャンタというインド料理専門店に我々学生を連れて行き、本格的なインド料理を食べさせてくれました。私は自分の手でご飯とカレールーをつまんで直接口に入れるという食べ方を初めて体験しました。これは日本人には最初かなり抵抗があります。

さてG20ですが、インドのモディ首相は相変わらずどっしりと構えていて、いかにもインドの賢者という雰囲気です。アメリカ、ロシア、中国が好き放題に世界をかき回している近年、インドの役割はかなり大きいと言えます。

昔、太平洋戦争後の東京裁判でただ一人日本国の無罪を唱えた判事が居ます。インド人のパール判事です。自分が正しいと思ったことは「正しい」と断言するその毅然とした態度に敬服します。今回、日本は議長国インドを支援する姿勢を鮮明にしてほしい。