私の「生きる希望」について考えてみました | 今、私が考えていること

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毎日の出来事を、新聞やネット上の記事からピックアップして、私なりの意見などを書き綴ります。

既に子育ては終わり。今は夫婦二人で暮らしている私にとって、これからの人生を生きる希望とは何なんだろう? と考えてみました。とりあえず今は、老後の生活の糧を得るために夫婦共々働いていますが、その仕事がこの先の人生の生き甲斐になるということは考えにくい。だから働くこと以外で何を希望に描くのか? 考えなくてはいけない。別に無理に考えなくても、毎日ご飯が食べられて病気もせずに平穏な暮らしを続けられれば、それでもいいのだけれど。それだけで気力が充実するのかと問われれば、やはりそれだけでは長生きできない気がする。つまりもっと生きようとは思わなくなる。

私の友人が最近メールを送って来て「ある資格を取ってボランティア活動に従事することになった」と知らせてきた。きっと彼はそこに生きる希望を見出したのだと思う。どういう背景があってそういうことになったのか、詳しい事情は分からないけれど、ひとつの明確な目標を設定したことには敬意を表する。

明確な目標を設定して、それに向かって努力し、それを達成したい。それが自分にとっての生きる希望になるのだから、まずはこの友人のように明確な目標を設定するところから始めなくてはいけない。

私には日常的に話し合える友人が身近にいない。だから基本的には一人でできることがいい。例えばゴルフでハンディシングルを目指すとかいうのはプレー仲間が居なければ土台無理です。以前趣味としてかなりのめり込んでいた写真。これならどうだろう? ちょうど昨日、映画「MINAMATA」の中で主人公の著名な写真家ユージン・スミス氏の仕事ぶりを見て、かなり刺激を受けてしまいました。

これならちょうどいい。ただし、ユージン・スミス氏の写真は報道写真。私の趣味にするのは困難です。だから、私の写真を見た人の多くが、私がその写真を撮った動機を感じ取ってもらえること。つまり「共感」を覚えてもらえることが目標になる。それならば被写体は風景でも花でも人物でも鉄道や建築物でも何でもいい。なんだかワクワクしてきました。この続きはまた折を見て書かせていただきます。