イデオロギーとは、マルクスとエンゲルスが著した「ドイツ・イデオロギー」という著作に出てくる言葉。彼らが唱えた「共産主義」という特定の政治的立場に基づく考え方として説明されています。
現代では、かつての冷戦時代の東西対決、すなわち資本主義と共産主義という対立するイデオロギーが地球上の人類の多くの人々を分断してきたことは記憶に新しいことです。
しかしそれも旧ソビエト連邦の崩壊によって事実上なくなりました。それでも共産主義を掲げている中国も現実的には資本主義と変わらない経済体制でお金を稼ぎまくっています、ロシアにはもはや共産主義はありません。このように地球上からほとんど共産主義が消えてなくなった理由は、それが理論的には一定の合理性が認められるものの、現実の社会で実践するとうまくいかなくなるからです。つまり国政の中枢に権力が集中しすぎて、それが時には専制主義に豹変しやすいからです。かつて旧ソビエトに君臨したスターリンなどはその典型で、その当時はソビエト連邦一員だったウクライナの人々はスターリンによって小麦などの食料を搾取され、何万人もの人々が餓死しました。
一方中国はどうかというと。中華人民共和国が建国されたころは、毛沢東という思想家が指導者としてカリスマ的な存在でした。しかしその後徐々に権力におぼれ権力闘争に明け暮れます。そしてついに「文化大革命」を強行し、多くの知識人や学者、専門家、反毛沢東的な意見を唱える勢力を排除。「過去の歴史に学ぶものはない、毛沢東のみを信じろ」と唱えて、歴史的な遺品、文献、遺跡をことごとく破壊してしまいました。それにより中国は暗黒の時代に突入します。その間中国の発展は止まります。その後10年近い時を経て、ようやくかつて毛沢東一味に追放されていた鄧小平が毛沢東の死後に復権し、「改革開放」路線に基づく中国の近代化に舵を取りました。これにより中国経済は大きく発展していきます。ところがその後習近平というほとんど中央政界では無名だった人物が選挙をうまく操って中央政界の中枢に君臨してしまいます。この男は地方の名士のボンボンで、大した学歴も業績もありません。この男に有るのは昔の毛沢東の「文化大革命」に踊らされた若者の一人だったという体験だけ。これにより習近平は自分自身が「毛沢東二世」になることを標榜します。独裁者で専制主義的な政治を行った毛沢東に憧れているところに危うさがあります。習近平にはイデオロギーは感じません。しかし毛沢東のイデオロギーを悪用していることは事実。
イデオロギーを振りかざして自分の個人的な欲望によって政権を執行している政治家や政府は、国民の総意を代表しているわけではないので、即退場すべきだ。それをするのは選挙なのだが、最近の選挙は政権による裏工作、例えば法律の修正、選挙制度の修正などにより公正さが失われていて、民主主義としての有権者の意思を反映しきれていない。だから専制主義者がのさばる悪の社会になってしまう。私は、国民を代表していない政府という組織そのものがもはや要らないのではないかとすら思ってしまう。