私は世の中にWindowsパソコンが登場する前からパソコンを使って来ました。MS-DOSです。コイツはとても使い難くて、コマンドという命令を打ち込まないとパソコンは働いてくれない。それで困った私はお金を払って、秋葉原のNECパソコン教室に夜間通って勉強しました。しかしマスターしきれず持て余してしまいました。そんな時、仕事でニューヨークに行くことになり、ニューヨーク支店にいる同期の家に夕飯を招かれました。この友人は自宅にあるAppleのMacintoshの小さなパソコンをしきりに自慢してました。何が凄いといっても、このアイコンという小さな絵のような印をクリックするだけで、自分がやりたい操作が出来ること。つまりコマンドなんて打つ必要が無いのだ。これは画期的でした。これがアメリカで10万円以下で買えるという。欲しい‼️これが欲しい‼️当たり前ですよね、使いやすいんだから。日本に戻って直ぐ買いに行きました。ところが日本ではバカ高い❗️値段が高すぎる。30万円以上していた。うーん、手が出ない。それから何年かしてWindows95が華々しくデビューしたのです。でもこれってMacintoshのパクリじゃん。率直にそう思いました。でもこれは確実に進化したのだ。コマンドの呪縛から解き放たれ、アイコンで操作できるようになったことは大きな進歩。結局、国産のNECのPC98や富士通のFM-Towns、シャープのMZシリーズなどの和製OS版のパソコンは一気に淘汰されてしまった。
日本のメーカーはユーザーフレンドリーな操作という視点を重視していなかったのだと思います。当時の日本ではまだパソコンのユーザーはほとんどがオタク的な若者が中心だったので、コマンドを打つことにあまり抵抗を感じていなかった。そのため操作方法として特に問題視されていなかったとしたら、それはある意味不幸だった。このあたりから日本と海外とは決定的にずれてくる。
最近国は「GIGAスクール構想」というものを検討しているらしい。学校で生徒に1台ずつ高性能なパソコンやタブレットPCを貸与し、授業の進め方を革新していこうという狙いらしい。でもはっきり言ってもう遅すぎる。そんことは20年ぐらい前にやっていてほしかった。今必要なのは、AIやDXなどを自分で作り上げるスキル。そのためには、パソコン、スマホ、インターネット、AIというものそのものを知る必要がある。それを学校で教えて欲しい。いつまでも「文系」だとか「理系」だとか言っている様では時代遅れだ。そんな区別は要らない。
日本は「失われた30年」だけではなく「取り残された30年」も指摘される。このままでいいのか。
