今回は旅について考えようと思う。
ウチは親父の代から(その前は知らん)、旅好き。小さい頃から良くエアコンなしの初代シビックであちこち行ってたり、親父の左官組合の旅行に小さい時からついて行ったり。親戚が遠くにいなかったから、地方へ帰省するって概念がなかったし、家族で北海道やら九州やらと遠くまで行った記憶はない。せいぜい北は宮城、南というか西は・・・改めて考えるとあまり行ってなかったな、岐阜くらい??GWなんかは秩父によく行ってたし、隣町の山の川でサワガニ取って家で素揚げして食ってたな。
夏休みの旅行は、父親の仕事の関係でお盆を外した時期・・・そんなに混んでない時期に旅行に行くってのが定番で、いつも飛び込みで泊まることができていた。ある年、たまたまお盆に予約をせずに千葉まで行ったら、どこも満室で泊まるところがなくて、海の家の座敷に泊まった事がある、なんて経験もしたな。子供心になかなかそーゆーのも面白いというのが焼きついている気がする。
で、もう随分前にその親父が亡くなり、墓石に刻む言葉を何にするか?という話しになった時に母親が一言、
「お父さん旅行が好きだったから『旅』で良いんじゃない?」
・・・ということで、ウチの墓石には『旅』という文字が刻まれています。
そんなつよT家の血をひいているのか、どうなのか、やっぱり自分も旅が好き。みんなでワイワイというのも好きなんだけど、気ままな一人旅の方が好きかも。
ウチの親父も家族で旅行に行っても、歩いていると1人でどんどん歩いていってしまう。親父もつよTも自分勝手なんだろうね。
そもそもなんで「旅」するんだろう?という哲学的な話は今回はするつもりはない。ここはバイクblogなので、ここで考える旅は『バイク旅』って事になると思う。
ウチの嫁さんにバイクの免許を取ってもらいたいな、と思った最大の理由は「一緒にバイクに乗って旅(ツーリング)に行きたかったから」に他ならない。
車の旅とバイクの旅は何が違うのか。
これは感覚的なものだし、人それぞれ何だろうけど、オープンカーで行く旅とバイク旅も全然違うんだよね。何度も何度も考えている事だけど、整理してみる。
・持っていける物を厳選しなくちゃいけない。我慢しなくちゃいけない事が出てくる。
・フロントガラス越しの風景とヘルメットバイザー越しの風景の違い。
・暑い寒いがダイレクトに関わってくる。
・↑辛いことがあるからこそ、良い天気の時の気分の上がり方が違う。天気の有り難さ、偉大さ、抵抗してもどうにもならない感がクルマと段違い。
・転んだら、事故を起こしたら命に直結する、危険と隣り合わせ感。
↑間違った解釈かもしれないけど、「生きてる」実感、危険や死と隣り合わせで生きていた太古の時代の人のDNAが呼び覚まされる。根本的な競争本能というか生存本能が、アドレナリンが出る?
・クルマだと予定調和な旅になることが多いけど、バイクだと行き当たりばったりで、なんか偶然の産物として、結果予想外の楽しさが必ずある。
・クルマだと、一人ではなく家族が一緒の事が多いから冒険出来ない、安牌な選択をしがちなのかも。
・あと、普通に会話出来ない。今はインカムで多少違うのかもしれないけど、基本は喋らないもんね。自分の世界、自分の考えに浸れる(思考を掘り下げられる)のがバイクツーリングの醍醐味だと思っている。
・・・等々、あげつらってみたけど、これは、どっちかって言ったら一人旅の醍醐味なのかなぁ?でも、この醍醐味を嫁さんにも味わって欲しいなぁ、と思ったのが、夫婦でツーリングしたかった理由なんだけどね。
嫁さんがバイクの免許取得を断念した今となっては、2人でツーリング行った時の旅は実現しないので検証は出来ない。
でも、上記であげた中で最後の「自分の思考を掘り下げる」ってのは、バイク以外(自転車とか徒歩は知らないけど)のクルマや電車とかだとあまりそういう思いになったことはない。
もしかしたらヘルメット被った閉塞空間で過ごしてるというのも理由の一つなのかな?
今年の夏は、バイクではなく、クルマで嫁さんと娘と北海道、道南に行く予定。
その時に、偶然的な産物としてバイク的な旅の醍醐味を味わえるか。
いや、でも今検証したところだとそうはならないだろうね。
いくら広大な北海道の風景、ルート的につよTが運転してのものだとしても、ね。
もちろん、バイクでなくてクルマや電車の旅も良いんだろうけど、やっぱりバイク旅はデザート的な・・・別腹なんだろうな。普通の旅とは別カテゴリー。
『バイク旅』・・・ほぼ、そのバイク旅をするために買った最適解のバイク、じゃあスイーツを味わうためのバイクだな、モトグッチV7III。『旅バイク』だなー、これ。と思う。
過去3回の北海道で唯一、トラブルのなかったバイクだもんね。ははは。