パラオのアホ | T. Watanabe Web 

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アーカイブズ学,経営学|和而不同,Love & Peace|1969

決してパラオ人の知り合いを罵倒しているわけではない。波羅夫くんという友人を茶化しているわけでもない。
「アホ」はココナッツミルクを使ったパラオのスイーツである。
 

訳あって、中年の危機に訪れた長めのモラトリアムに落ち込んでいるのだが、折りよく、パラオ料理のレシピ本が手元に届いた(メールでURLが送られてきたのでそれをダウンロードしたというのが正確だ。「手元に届く」という日本語が実態を表さないもどかしさ。はぁ)ので、紹介されている料理を幾つか作ってみることにした。

 

 

因みにこのレシピ本は、まだモラトリアムに突入する前、パラオと日本の国交樹立25周年のクラウドファンディングに寄付し、その返礼として届いたものだ。懐にも心にも幾分か余裕があった時代が遥か昔のように感じられる。

 

人生には余裕があった方がいいに決まっている。懐になくても心には持ちたい。

新型コロナを巡って何かとギスギス、イライラしがちなこういう時には特にそう思う。

おまけに「中年の危機に訪れた長めのモラトリアム」だ。端的に言えば、ヒマで且つ外出が憚られる。

それでも、ひきこもりはよくないと毎日図書館に行くなどして短時間でも外出している。

しかし、今日は生憎予約している本がまだ用意できていないようだし、返す本もない。さらに悪いことに、花粉が「非常に多い」らしい。

僕の外出意欲はジワジワと下がり、やがて睡眠薬並みの効能を発揮した花粉症薬の導きもあって、海抜ゼロメートル地帯に横たわった。

 

それでも結論から言えば、僕は外出した。それも割と簡単な理由で。

近所にセブンイレブンがオープンしたのだが、その割引券があったことを思い出したのだ。

「えっ、そんなんで気持ちが反転するの?」

と思われるかもしれない。そう、そんなんでいける。

 

買い置きのマスクが在庫切れの危機に瀕しているため、既に3日目となったマスクを装着し、コンビニでまんまと値引きされたおにぎりとサンドウィッチをゲットした僕は、既に外出意欲がヒマラヤ山脈に登っていたため、公園のベンチで外飯と洒落こんだ。無論、家を出る時からその計画である。ウェットティッシュと本を1冊持参していた。

こういう時に、コンビニの店員がウェットティッシュをしっかりとレジ袋に入れてくれたりするとやや興醒めなのだが、今日の店員はわかっている。僕は自分の用意周到さを誇るように自宅から持参したウェットティシュで丹念に手を拭った。

 

食後の読書は10分ほどで切り上げ(持参した本が臨床心理学の参考書だった。「PTSD]とか「解離症」とか、子連れ家族がキャッキャと遊ぶ晴天の下では何だか)たのだが、とにもかくにもひきこもりを回避した満足感は当たり前のように行く先のある人たちには分かるまい。

 

何のこっちゃ。アホについて書こうと思ったのに。

ある意味、ここまでの話もアホについてだが。

 

午後はアホを作った。

冒頭に書いた通り、本来はココナッツミルクを使う。しかし、スーパーに安く売っている食材ではないし、家の冷蔵庫には常に豆乳がある。

だから、僕のアホは豆乳アホである。

見た目は「フルーチェ」、中力粉と砂糖、そして少量の塩を混ぜて作った玉の食感が優しい。冷やして美味しい甘味。

カロリーはそれなりにありそうだが、食材も調理方法もシンプル。

スイーツと言えば、資本主義の権化のようなゴテゴテデコレーションが当たり前になり、「映え」とかのためにさらに過剰な装飾が施された食い物が溢れる中、この白一色は尊い。

 

 

僕と違って毎日「当たり前のようい行く先のある」娘が、夕飯後に「とーさんの作ったデザートが食べたい」と宣ったので、「気付かないように黙っていたんだー」とかどうでもいいセリフを吐きながら、冷蔵庫のタッパから静々とよそった。

娘は、一口食べて、「ふーん」と言ったかと思うと、本来であればその後に続くべき「美味しいね」を省略し、高貴な白一色の雪景色のようなアホに傍らにあった金時豆を大量投入した。そして、「美味しいね」はあくまで省略したままで、美味そうに食べ切ったのである。

 

まあ、美味そうに食べ切ったのだから…「プレーンな味を楽しめよ、少なくとも3分の1ぐらいまでは」とか、「一味足りない、けど追加具材のおかげで、とでも言いたいのか」とか、そういうモヤモヤは残るのだが…心に余裕を持つことが大事である。

 

(2020年3月12日)