人に流される事を覚えた小学校1年生の時の話 | ぽんずのブログ

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バレーボールを中心としたスポーツ、音楽を中心とした芸術、日常で感じた事など、マイペースに綴っていきます

小学校1年生の時、

「はないちもんめ」

が好きでやりたくて、

 

当時

「はないちもんめ」

を休み時間にやっていた女の子10人くらいと、

男子は自分だけだったか、自分も含めて2,3人いたか。

「女の子と遊びたい」

とかではなく、

「はないちもんめがやりたかったから、たまたま集まっていた男女で関係なくやっていた」

というだけだったのに、

 

「女子と遊んでばっかやん」

「女子ばっかの中に混ざっててキモい」

「男がはないちもんめとかダサい」

 

とか誰かに言われて、

それが苦痛でそれ以来女の子と積極的に遊ぶ事も「はないちもんめ」もやらなくなりました。

 

今思うと、

「誰と遊ぼうが勝手やん」

「好きなことして何が悪いねん」

「そうやねん、僕変わってんねん。ウケるやろ」

とか言って流せば良かったのに、

 

当時は

「周りにそういう風に言われたくない」

気持ちが勝ってしまい、やめてしまいました。

 

今思うとすごく残念です。

 

他にも女の子を何人か下の名前で呼んでいて、

それは単純に呼びやすかったからそう呼んでいただけなのに、

「女子に下の名前で呼ぶとかキモい」

とか言う人がいて、

そこでもまたそういう声を気にしてしまい、

そういう呼び方をやめてしまいました😔

 

周りに流されてばかりで、これらは本当に残念な出来事だったなと思います😔

 

そういった出来事が、

「無難に生きる」

という選択をしていくきっかけだったのかもしれません。。

 

でも今こうやって振り返っていると、

むしろ

「人の言う事を聞いといたら楽」

ということにその時に気付いて、

そういう選択をするようになったのかもしれないと思いました😅

 

そして年を重ねていくとその考え方だと無理だと分かる時が来て

そこですごく困ったり、

しんどくなったり迷ったりして、

周りから

「君はどうしたいんだ?」

とか言われるようになるという。

 

先日の

「小学2年生の時の道徳の授業」

の話もそうですが、

 

「大人になると自分を持っとかないとうまくいかない時が増えてくるのに、若いうちからそういう意識を持っておかなかったことで困った」

という経験があるから、

「個性」

とか、

「自分を持つ」

ということを意識していきたいなと思いますね。

 

こんな事もあったせいか、私は

「他人を否定しない」

という事をけっこう意識しています😌

 

最後までお読みいただきありがとうございます^^