ほめられなくて良かったと思った幼稚園児の時の話 | ぽんずのブログ

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バレーボールを中心としたスポーツ、音楽を中心とした芸術、日常で感じた事など、マイペースに綴っていきます

自分が幼稚園生だった頃の話です。

 

自分が通っていた幼稚園は制服がありまして、

ベレー帽みたいなのも制服として定められていました。

 

そして夏の時期は麦わら帽子が制服でした。

 

自分が幼稚園生のある日の夜、

確か冬だったと思いますが、

自宅の自分の部屋でふと思い立って、

麦わら帽子を被ってリビングに行って

「家族にかわいいって言ってもらおう」

と思い立ちました。

(今思うと意味不明です笑)

 

自分の部屋で麦わら帽子を被って、

張り切ってリビングに飛び込んで行って、

「見てー!どう?」

と言ったら、

「こんな冬にあんた何してんねん!」

と、怒られました(笑)

 

その後、自室に戻って麦わら帽子を片付けて、

「喜んでもらえると思って頑張ったのに…」

みたいな、悲しくて涙したようなしなかったような…

 

とにかく私はその時の出来事を、

「とても傷ついた出来事」

として深く記憶に残っているのですが、

 

今は何でそんなことしたのか本当に意味不明(笑)

もし今の自分が第三者としてリビングにいても、

「何してんの?アホちゃう?」

とか言ってると思いますし、

思い出すと自分でも笑ってしまうくらい意味不明な話なのですが(笑)

 

でも私は

「人をほめることは注意が必要」

と常々思っていて、

 

最近、

「人をほめることでその人を支配する」

「ほめるとその人の依存心が高まってしまう」

「ほめるとその人の自立を妨げる」

リスクが高まるのではないかと思いました。

 

また

「ほめるということは相手を下に見ている」

という意識の表れだとも言われます。

 

これはアドラー心理学の本でも

「ほめる」でもなく「叱る」でもなく「勇気づける」

というワードでよく出てきますが、

最近そう思ったことを自分の経験で何かあったかな?

と思った時に、こういったことが思い出されました。

 

自分は家族、親戚一同含めて末っ子だったので、周りから

「かわいいかわいい」

とよく言われていたように思います。

 

「麦わら帽子を被ってかわいいと言ってもらおう」

と思ったことは覚えていて、

当時の自分は、

「もっとかわいいと言ってもらおう」

「もっとかわいくなろう」

という、

周りにほめられたい、周りの人に依存した行動をとっていた

と、今は分かります。

 

もちろん周りは

「もっとかわいくなってほしい」

「かわいいと言って支配してやろう」

とか思っていたわけではない

のは今は明白ですが、

幼かった自分は

「周りの期待に応えよう」

「もっとかわいくなろう」

と、勝手に突っ走っていました(笑)

 

しかも当時、麦わら帽子は嫌いだったはずなのに、

自分の思いを無視して他人に合わせた行動をとったこと

は、今思うと

自分の幸せを無視していた

と思います。

 

仮に麦わら帽子を被って行った時、

「かわいい!」

と言われていれば幸せだったのか?

 

今振り返ると、

「もっとかわいいと言われよう!ほめられよう!」

と、周りを見ずにどんどん突っ走って行って、

最悪の場合、

「他人を傷つけてでもほめられようとしていた」

かもしれないと思うので、

当時の自分は相当傷つきましたけど、

過度にほめない教育をしてくれた家族に今私は感謝しています。

 

(まあ冬に家の中で急に麦わら帽子を被った幼稚園児が現れたら誰も「かわいい」とは言わないと思いますけど笑)

 

誰かの何かの参考になれば。

 

最後までお読みいただきありがとうございます^^