砂時計の思いで
小学校の低学年の頃、砂時計がめずらしく、いつまでも見ていると
父が「あまり見ると砂になるぞ」と言ったけれど、最後には砂時計を
こわしてしまった。
砂は細かく対馬の浜砂の砂とは大違いの記憶がある。

砂が落ち始める瞬間が好きで、今でも最後は飽きてしまう。
この砂時計は考え事をするとき視線の合わない目で見ている。

赤いのは5分計。それでも最後まで待てない。

砂が落ちてしまない内に、途中でまたひっくり返す。
こんな時は考え事しているときで、いくら悩んでも考え込んだ姿は無く
「大きく息を吸って~はいて~」とのぼせてみる。

温度計と湿度計。
夢がありそうで求めた。
大人になったのか むやみに解体するのは無くなった。

それでもトウメイのキャップを外して中を見てみたい。
子供のころ 知らないことを尋ねると「しつこい」とよく怒られた。
何でも納得したい性格が、今でも残っている。
そんな自分に嫌になったりしながら。それでも納得するまで。