いつの日か誰もがForget me-not | うたし日記3

うたし日記3

うれしい・たのしい・しあわせな日常を綴っています。



この頃ラジオから尾崎豊さんの曲がよく流れるなと思ったら。
今年は彼の没後30年だそうです。
リアルタイムではあまり興味がなかったのですが、
1年ほど前に聞いた「Forget me-not」に琴線ピクリニコニコ
彼ではなく歌のコンテストで女子高生が歌ってたもの。
ん?14才?中学生なのかな。

 
「I LOVE YOU」は中森明菜さんの歌を聞いていい歌だなと思ったし、
熱唱型の尾崎さんよりこちらのほうが好みかもしれないし、
この歌い方なら自分でも歌えるかも音譜



しかし改めてラジオの歌声を聞くと
なんていい声なんだろうと実感しました。
なんと福岡で尾崎豊展開催中なんですと目
連休明けたら行ってみようかな。



以下、ご案内より。
没後30年を機に、その人生をたどる「OZAKI30 LAST STAGE 尾崎豊展」
29日、福岡市で始まった。
「15の夜」「I LOVE YOU」「卒業」…。現在も歌い継がれる数々の名曲を残し、1992年4月25日に尾崎はこの世を去った。
会場には、その生々しい「生」を感じさせる遺品が展示されている。
会場はライブハウス「UNITEDLAB」(ユナイテッドラボ、福岡市中央区大名1-3-36)


正観さんも今年は没後11年になります。
まだ多くの人に影響を与え続けている存在です。
著書の多くに(少なくとも10冊はあります)
人間の死2種類について書いていらっしゃいます。
「肉体の死と存在の死」
著書の中の「宇宙の存在・百言葉」より


          上記の書籍は終了して復刻版が出ています。

文中より
 
P168 肉体の死と存在の死。
 

 
「存在」が語り継がれる間は、その人は死なない。
 「その人の存在」は「笑顔」など「与えたものに」に残る。  
 
人の死には2種類あると思います。

ひとつ目は「肉体の死」です。
 人は必ず肉体の死を迎え、葬式を出します。  
どんな人も「肉体の死」を避けることは出来ません。
  
もうひとつの死は「存在の死」というものです。
その人の存在をすべての人が忘れてしまった時、
 存在の死(本当の死)が訪れます。
  
存在していたことを仮にたった一人でも覚えてる間は、
 その人はまだ「生きている」と言っていいかもしれません。  

 では、お釈迦様は死んでしまったのでしょうか。  
キリストは、ソクラテスは、あるいは聖徳太子は、坂本龍馬は?
 
誰でも肉体の死は避けることができません。  
しかし存在の死を遅くすることは出来る。
 
私達の人生はいかに肉体的に長生きをするかではなく、  
いかに自分の存在を証明する何かを残していくか、
 ということに尽きるのです。  
 
その何かとは、業績や名声や地位などではなく、  
「人に何をどれほど与えたか」ということです。
 
思想や哲学、生き方、愛情や温かさ、笑顔、誠実さなど、
 そして、その人がいかに多くの人に喜ばれる存在であったか、  
ということを問われているのだと思います。
 

 

復刻版では75番目の言葉になります。

         画像をクリックされると詳細がご覧いただけます。


正観塾師範代 高島 亮さんが解説のところに書いていらっしゃいます。


「百言葉」は、著書からの抜粋とは異なり、

「見方道(みかたどう)」のエッセンスがわかるようにという意図のもと、

正観さんが自ら百の言葉にまとめ、

その解説とともに集大成したものです。

本書は、いわば正観さんからの百の贈り物が詰まった宝箱です。

 
 



本日もお読みいただきましてありがとうございますドキドキ