劔樹人の「男のうさちゃんピース」 -3ページ目

<男の家事場> その32 「最後の一歩。」

 

些細な自分の行動から、この半生に想いを馳せる年齢になったのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<男の家事場> その31 「ひと夏の記憶。」

 

 

あんまり日に当てるのも良くないそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当にあった怖い話「通知不可能」

今年の夏も終わりに近づいている。

なんとなく寂しいので、せめてもの夏気分に、私が体験した中で最も不可解だった話を書き記しておこうと思う。


昔は色々なところで人に話したこともあるので、ご存知の方もいるかもしれないが、この機会に怪談風に簡潔にまとめます。









数年前、世田谷のとある一軒家に引っ越した。

音楽の仕事のために会社を設立したばかりで、私はやる気に満ち溢れていた。
所属アーティストやツアーバンドが泊まれるように、できる限り広い家に決めたのだった。

その新居は平屋の古い日本家屋で、中はキレイに改装されてはいたが、柱や天井には古い家独特の陰気な雰囲気がしっかり残っていた。



引っ越したばかりのとある夏の日、友人のタカ吉田が引っ越し祝いの食べ物を持って遊びに来た。

夜遅くまでいつものようにくだらないことを語り合い、眠くなったらそのまま雑魚寝した。




朝、ふと目をさますと、そばで寝ていたはずのタカがいない。

見ると、扉の向こうの台所で椅子に腰掛け、たばこを吸っている。


なんだ、たばこ吸ってるだけか。

そう思い、またうとうととした。

再び目を覚ますと、それなりに時間は経っているはずなのだが、タカはまだ台所でたばこを吸っている。



こっちの部屋は冷房も効いていて涼しいのに、なんでいつまでも暑い台所にいるんだろう…?

ちょっとだけ気にかかったが、特に追求することもなく、私が起きるのを待ってタカは普通に帰って行った。








それから数ヶ月後。
季節はすっかり冬になっていた。


私は久々にタカと会い、高円寺のタイ料理屋で食事をしていた。

「そう言えばつるさん、まだあの家に住んでいるんですか」

唐突にタカがそう聞いてきた。



「もちろん…でも忙しいから、正直ほとんど帰ってないんだよね」

「ああ、そうすか…実は、前に一度俺、家行ったことあるじゃないですか。あの時のことで、つるさんに言ってないことがあるんですよ…」





そう言って語り出したタカの話は、こんなものだった。



ふたりで和室で雑魚寝していたあの朝、タカがなんとなく目を覚ますと、視界の片隅に何やら動くものが見えたという。


今いる和室と隣の洋室とを隔てたふすまに、白いものがはさまって、ヒラヒラと揺れている。

寝ぼけていたこともあり、はじめは紙切れか何かがはさまっていて、エアコンの風で揺れているのかと思った。

しかし、それが何かに気付いた瞬間、タカの眠気は一気に吹き飛んだ。



それは、白くて薄っぺらい人の手であった。

紙のようにぺしゃんこになった手がふすまから飛び出し、ヒラヒラと揺れているのだ。



これはまずいものを見てしまった。

そう思ったタカは私を起こさないようにそっと起きると、気持ちを落ち着かせるために台所でたばこを吸った。

目も冴えてしまった上、あれがあるかと思うとなかなか部屋に戻る気になれず、ずっと台所でたばこを吸い続けていたという。



「そう言うことは早く言ってよ! あれから半年もひとりで暮らしてるんだから!! もう怖くて帰れねえよ!!」

タカは引っ越したばかりの私に気を使い、ずっと黙っていたのだった。




翌日の晩、私は、半年前うちでタカが見たという白い手の話を、Twitterに書き込んだ。

やり始めたばかりのTwitterはフォロワーも増えはじめていた時だったので、いいネタが出来た、くらいに思っていたのだった。





それから数日後。
偶然タカと高円寺駅前で出会うことがあった。


会うやいなや、タカは自分のiPhoneの画面を私に見せながらこう言った。

「つるさん、これ、何かわかりますか」


それはタカの通話履歴であった。
普通に人名や番号と並んでそこにあったのは、

「通知不可能」

という、見慣れない表示であった。




「非通知じゃなくて? こんなの見たことない」

「いや、まあこれはあり得ないものというわけではなくて、海外からの電話やSkypeでかかってきた電話がこう表示されることはあるらしいんですよ。それより、この電話がかかってきた時間を見てください」

「1月6日、3時23分。これが何?」

「この時間が何か。つるさん、今度は自分のTwitterを見てもらっていいですか」


そう言われた瞬間、まさかと背筋が凍りついた。

1月6日、3時23分。
それはまさに、私がタカから聞いた、数ヶ月前にタカがうちで見た白い手の話をTwitterに書き込んだ時間であった。


誰かがタカに電話をかけている。
まるで、「お前、しゃべったな」と言うかのように。



タカはこう続けた。


「俺、仕事中でこの電話取れなかったんですよ。でも、もし取っていたら…どうなったんでしょうね」







<男の家事場> その30 「スーパーの魔物。」





1日何回も通うこともあるので。



<男の家事場> その29 「母を越えてゆけ。」






こんな僕でも20代の頃は女性もののジーパンも履けるくらい痩せていたんですけどねー。








親と子。



妻が妊娠中である。


自分が人の親になるなんて。
正直、数年前までは諦めてきっていたことだった。
自分の生活で手一杯で、子供が欲しいと思ったことなんてなかったし、現実的にそんな生活をして来なかった。



30歳を過ぎても浪人生のような気分が抜けなかった。
スケジュールは埋まるだけ埋めた。
ろくに家に帰らず、しょっちゅう車で寝ていたし、身体にはかなり負担をかけていた。
それでも、自分だけのことなのでそれでいいと思っていた。



若い頃の理想が実現できていたわけではないが、とりわけ才能も何もない自分が音楽周りで好きなことを仕事にさせてもらえていたわけで、これ以上の、いわゆる人並みの生活を願うことなんて贅沢なことだと思っていた。
何かを得るために、別の何かを得られないのは当然のことだから。





今年の初めに母方の祖母が亡くなり、4人の祖父と祖母はこの世から誰もいなくなった。

うちの母は定年を待たず仕事を退職してからというもの、祖母ふたりを順番に介護してきた。
寂しいが、これでようやく母は時間を自由に使えるようになったんじゃないかなと思った。



するとその後母と父から、相談もしてなくて悪いんだけど、と、私が生まれ育った新潟から、母の実家である長野に引っ越すことに決めたことを伝えられたのである。


長野には祖父母が住んでいた家の他に、元々母が生まれた家のあった土地が残っていたのだが、長野オリンピックに伴う区画整理のため、県のほうに回収されていた。
それが20年経ってようやく戻されたという。
その間に元気だった祖父母はふたりとも亡くなってしまったわけだからなんだか酷い話ではあるが、とにかく土地が手に入った。

うちの両親は新潟を離れ、そこに小さな家を建てて、「終の住処」にするというのである。



こんなこと、全く考えてもいなかった。
新潟から引っ越すということは、自分にとっては生まれ育った家と、帰る故郷を失うことでもある。個人的には寂しい気もしたが、両親はずっと考えていたことのようだった。


新潟の実家は車がないとスーパーやコンビニすら行くことができない。冬になれば雪も積もるし、雪かきをしなければ車を動かすこともできない。
体の弱った年寄りだけの生活には厳しい環境である。


対して今度の長野の土地は街の中にあり、買い物や移動に非常に便利である。
これから建てる家ならば、年寄りにも暮らしやすい造りにできる。
そして何より、長野は新潟より福祉の整備が進んでいるという。


「残せるものもないけど、あんたたちに面倒みてもらうつもりもないから心配しないで」


母はそう言う。



困った時は助けるけど、大人になったら自分の好きなように勝手にやれ。

私はそういう教育で育てられた。

30過ぎるまでろくに定職にもつかず、ニコ生でゲテモノを食べたりとか、エアセックス世界チャンピオンとか、わけのわからないことばかりやってきたが、何か言われたことはなかった。
結婚した時は本当に喜んでくれたが、はやく孫の顔が見たいとか、そんなことも言われた試しがない。


親孝行もしたこともないのに、老後も息子の手をかけないようにしようとしている親の想いを知った。






孫の顔を見せられることは、自分にとって初めての親孝行じゃないかと思う。
そんなの当たり前だという人もいるかもしれないが、自分にとっては大きなことだ。




自分はまだ、親になる実感も薄いかもしれない。

でも、人にはたくさんの生き方がある中、いつの間にか歳をとってしまっていた自分と両親、そしてこれまで親が自分にしてくれたことを思うと、ただただ、命をつなぐことができるという、当たり前のようで当たり前でないことが嬉しくて仕方ないのである。











<男の家事場> その28 「男の愛着。」







普通の主婦は何回くらい詰め替えたら捨てるんでしょう。






インザプール。

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最近、空いた時間はプールへ行って泳ぐようにしている。




プール通いは2011年以来である。

その時はまだ会社が高円寺で、近くに夏場は一般解放される小学校のプールがあった。

夏フェスがたくさんあったのでとても忙しい時期だったが、そういう時こそ時間を見つけて運動に行くべきだと思っていた。
結局忙しかったので、あまり長続きはしなかったのだが。



泳ぐ時は無心になりたい。
奥田英朗さんの小説にそういう話があった。


しかし、水の中にいると頭に浮かぶのは、いつも溺れるイメージだった。



私は、小学生の時にどうしても市の水泳大会の選手になりたくてスイミングスクールに通わせてもらっていたので、子供の頃から泳ぎは不得意ではない。
だから、これまでに溺れた経験はない。



自分の中にある溺れるイメージは、まず昨年沖縄の海で妻が軽く溺れかかったことである。


自分が泳げても、こういう時に大切な人を守れないという、その無力さ。絶望感。

この経験は思った以上に心の傷として残っているのか、水の中にいると辛いほど鮮明に蘇る。




もう一つは、漫画家の大橋裕之くんが自身の体験として「遠浅の海」(「遠浅の部屋」のほうじゃないんですよ)という作品で描いている恐怖の「離岸流」のイメージである。


もちろん自分は離岸流に出会ったことはないが、もし仮に離岸流に飲み込まれたら、大橋くんのように偶然にでも助かることが出来るのだろうか。

さらにそこに、大切な人も離岸流に巻き込まれてしまっていたら、というイメージも重なる。
自分はさておき、家族や大事な友人が沖に流され溺れてゆくことを想像すると、身がよじれて引きちぎれるような気持ちになる。


泳ぎながら、いま離岸流の真っ只中にいることをイメージする。自分は岸に向かって必死で泳いでいるようで、どんどん沖に流されているのである。絶望的!!!離岸流ってほんと最低である。

自分の現状を思い浮かべる。ゴーグルは曇って視界が悪い。耳に水も入っていて気持ち悪い。ちょっと意識しすぎると脚も攣りそうな気もする。肩も疲れてきているんじゃないか。これじゃ助かりっこないよ!…みたいな、プールで泳ぐと、そんなイメージがどんどん湧いてきて、気分はどんよりとしてくるのである。

泳ぎ始めた当初はずっとこのイメージとの格闘のようだった。




また、ふと思い出すのは子供の頃。
夏休みに父親に連れられてプールへ行った時のことだ。

午前中にテレビで「戦争を知っていますか」を見た後だった。
原子爆弾の話が恐ろしすぎて、頭はそのことでいっぱいになっていた。

周りで遊ぶたくさんの家族連れの楽しそうな声が、曇り空の中、どこを飛んでいるかもわからない飛行機の音を鮮明に際立たせていた。
不安で精神が研ぎ澄まされて、自分だけが有りもしない空襲の音を聞いていた。この人たちもみんなここで死ぬんだ。夏の日の午後の、恐ろしいほど静かなプールだった。

ついでに、プールに来る前に遊園地的な所で見た、自分の首を外して笑うデビルマンの人形も凄く怖かった。

誰もが楽しそうにしている中、私だけが戦争とデビルマンの恐怖に怯えきっていたのだった。



そんな忘れていたような記憶まで引っ張り出されたり、もうとにかく水の中では、嫌なことばかり考えてしまっていたのである。


しかし、それでもしばらくプールに通っていたら、最近は往復した数を頭の中で反復しているだけで1キロくらいはすぐに泳げるようになってきた。

未熟な肉体も精神が少しずつ、進歩しているような感覚を覚える。




いつも心は穏やかでありたい。

人を羨む気持ちや嫉妬、自分を卑下する気持ち、理不尽なことに対する怒り、欲しがる気持ち、全部無くしてしまって、凪のように穏やかで強い心を手に入れたいと本気で願っている。

右の頬を張られたら左も差し出すような、そんな男になれるのか。しかもいい歳した今から。

そんなことを考えながら、また明日も泳ぐ。


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<男の家事場> その27 「全ては自分の問題。」





こないだは僕のハロプロだらけの部屋の写真も勝手に晒されて、よりによって何百リツイートもされました。







『きっと良くなるさ』


「最近はなんの仕事をしているのですか」

多くの知り合いから、よく聞かれる質問である。


「ちゃんと神聖かまってちゃんを売ってください」
「もっとかまってちゃんをテレビに出せ」

アカシックの調子がよくなってきてる印象があるせいか、そういう意見もよく頂く。





実際、今自分がどんな仕事をしているかというと…実は、思われている以上に、マネジメント系の仕事には携わっていないのである。


神聖かまってちゃんに関して言えば、誤解を恐れずいうと、「マネージャー」として働いていた感覚があるのは2009~2012年くらいである。


初期はスタッフもいなかったので、だいたいのことはひとりでやらなければならなかった。
しかし自分にとって初めての仕事で、誰かに教えてもらえるわけでもなく、当時会社にいた増本さんたちの見よう見まねでやっていた。


思えばマネージャーとかプロデューサーというものに対してのビジョンもなかった。

その頃は、バンドのやりたいことを整理して叶えてやるのが大事なんじゃないかと思っていた。
まあ、の子さんは初期からやりたいことがとりわけ明確だったので、そういうのもひとつ大切なことであったとは思うが、いろいろ見てきた今なら、本当に優秀な人というのはもっと別のことが出来る人だというのもわかる。

現に私は、超絶火気厳禁の日比谷野音のステージでの子さんが煙草を吸ってしまった時、関係者から「お前はマネージャーか!!?ただの付き人か!!?」と烈火のごとく怒られたことがある。
まあ本当にそういうことだぞ、と当時の自分に言い聞かせてやりたい。



2012年頃、神聖かまってちゃんは好き勝手やることだけではどうにもならなくなってくる。
テレビやフェスで無茶をしたことで話題になり、知名度は飛躍的に上がったが、このご時世スポンサーに対する配慮もあるのだろう、事故を恐れる運営側からは、顕著に誘いの声がかからなくなった。

どれだけ売り込みに動いても、その悪印象一つで見事な門前払いの状態を何度も経験してきた。




その頃、私はといえば、自分の立ち位置を見失い出していた。
「神聖かまってちゃんマネージャー」というのは名ばかり。喧嘩の仲裁とか、ニコ生とか、ライブ前の前説とか、目立つところにそれらしく出て行くだけで、実際は窓際のような状態にあり、決まっているライブの予定さえ教えられていないこともあった。


もうやりがいもなく、会社を辞めようと思ったが、結局形だけ残留することになったのが、2013年4月に大々的に発表された「神聖かまってちゃんのマネージャー卒業」のニュースの時である。

用があって大学の後輩で映画監督の宮本杜朗に会いに行ったら、彼は変わり者なのでボロボロの服にサンダル、そしてなぜかバスケットボールを抱えたストリート感溢れるコーディネートで現れた。ちょうどその時にニュースのための写真を撮れと連絡があったので、ニュースに出た私の写真はバスケットボールを持っているのである。

あの写真はその後もニュースサイトで何度かアー写のように使われた。
もしも気になったらナタリーでも調べてみてください。
バスケットボールには何のメッセージもない。「あきらめたらそこで試合終了」とか。



その年は夏の魔物の仕事を中心に、色々新しい方面に挑戦した。
あれはあれで楽しくはあったけど、まあとにかくお金がなかった。
今の奥さんがその後テレビで、「彼氏の月収が6万」とよくネタにされていた時期である。

生活ができないので、なりふり構わず、仕事になるなら何でもしようとしていた。
その時に今の奥さんに「たとえ金になろうがカッコ悪いと思った仕事はするな」と言われ、鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
本当にその通りだと思った。あの言葉は、今も自分の判断基準になっている。


その秋、うちの会社は社長が成田に変わるという怒涛の展開があり、私はまたマネジメントの仕事に戻されることになった。
あんなに大々的に卒業を発表されて半年で復帰っていう、これこそカッコ悪いことこの上ない状態だったが、それ以上に会社のみんなことが好きなので別に構わないと思った。




ちょうど私が抜けていた時期というのは、神聖かまってちゃんは「の子ソロ」をやっていた時である。


そういう紆余曲折を経て、会社の体制も変わって、全員の気持ちが同じ方を向いて、神聖かまってちゃんが「ちゃんと」長く続くロックバンドとしての活動にシフトして行ったのが2014年から。

メンバーが望むようなフェスやテレビに呼ばれるようになるためには、少しづつ実績を作ってゆくしかない。

未だによく知らない人には「流血、ケンカ、放送事故」で語られるイメージを少しづつ変えてゆく作業である。

ファンの皆さんなら誰しも、今の神聖かまってちゃんはもうそんなバンドじゃないことをわかっている。実際に神聖かまってちゃんは、純粋に音楽とステージで勝負できるロックバンドに進化しているのである。
だが、驚くほど世の中には浸透していない。時間がかかるが、メンバーと今の担当の天野と、ワーナーミュージックさんは地道に努力している。


天野くんは本当によく仕事が出来る男である。
そして今は非常にいいチームワークができている。
少しずつでも、神聖かまってちゃんは上向きな良い活動をして行けると思う。



そして私は、最初にお伝えしたように、もうほとんどマネジメントの仕事にタッチしてはいないのだが、今の自分なりに出来ることで参加している。

新しいMVやアートワークも、基本になるキャスティングは私の方で考えさせてもらった。
素晴らしいクリエイターさんたちに参加していただいたので、かなり良いものになっているはずである。
あと、MVの歌詞の手書き文字を書いている…(最近、デジタルでマンガを描くようになり機材があったから)。




そんなわけで、神聖かまってちゃんのニューアルバムが発売中です。

生きているんだから、ちょっとずつ人は変わる。バンドだって変わる。

長い人生の中で、30代を迎えた今の段階を必死で表現している今の神聖かまってちゃんは、とってもいいバンドだと思いますよ。

ぜひ、買って聴いてください。










○Mini Album「夏.インストール」
2016年7月6日発売 全8曲
価格:2,000円(本体)+税
収録曲:
1.きっと良くなるさ
2.僕ブレード
3.そよぐ風の中で
4.リッケンバンカー
5.たんぽぽ
6.drugs,ねー子
7.ロマンス
8.天文学的なその数から

○Mini Album「夏.インストール」Loppi・HMV限定盤(CD+LIVE DVD付き)
LIVE DVD HMV GET BACK SESSION
「友だちを殺してまで。」LIVE@Ebisu LIQUIDROOM 2016.3.15
価格:2,500円(本体)+税
※ CDの収録内容は同じ内容になります。

<HMV>
http://www.hmv.co.jp/product/detail/7066118
http://www.hmv.co.jp/fl/10/1445/1/
※Loppi・HMVはCDのみのお取扱いもございます。

◇各チェーン特典(先着特典)
■タワーレコード全国各店/タワーレコードオンライン限定オリジナル特典
未発表音源「僕の一等賞なんですっ!」CD
■TSUTAYA RECORDS全国各店/TSUTAYAオンラインショッピング限定オリジナル特典
「神聖かまってちゃん」オリジナルポストカードフォルダー
※(一部の店舗を除く。オンラインは予約のみ)
■Loppi・HMVオリジナル特典
「神聖かまってちゃん」オリジナルポストカード①
■サポート店特典
「神聖かまってちゃん」オリジナルポストカード②
※サポート店舗特典の対象店舗は6月中旬にお知らせの予定です。