先祖が歩いた「西国街道」 | つりざんマンの日記

つりざんマンの日記

ブログの説明を入力します。
小さな食料品店の5代目。63歳の時、身体を壊しリタイヤ。幼少の頃から魚釣りが好きだったが、最近はカメラで鳥を追っている。自然が大好きなヨレヨレジジの日記です。

広電宮島線の佐伯区楽々園駅の裏に一本の松がある。 


その東側に、もう一本。


この道は、江戸時代の西国街道で、京都から下関までの街道。


街道には松が植えられ、街道松と呼ばれていた。
今は佐伯区に2本、廿日市は
1本しか残って無い。




テレビで、西国街道の西区井口をやっていた。


まつのき薬局に古い街道松があると言う。


行ってみると、
店内にドカーーーン!


オバチャンが、古い話しを聞かせてくれた。
「60年前に店を建てたんじゃが、ここは井口でも阿瀬波(あせば)と言うて辺鄙な場所じゃったんじゃ。」
「オバチャン、ワシの先祖は、この阿瀬波出身よ。」
「へぇ〜〜〜〜、何年前の事じゃ?」
「100年以上前よ。この場所は西国街道でも山越えの難所じゃったらしいね。」
「ほうよぉ。難儀での、130年前に海岸を埋めて道を作ったんよ。」


「ワシの先祖はその街道をここから大野まで行商で頑張って、五日市に店を出したんよ。ワシ4代目。」


「オバチャン、この松、大事にしてよ。今日はありがとうね。」


その近所のお好み「ふじや」さんに入ってみた。


ブログ「運動不足」さんの行く店だ。


創業者のお婆ちゃんの写真を見せてもらった。


お婆ちゃんは90才まで頑張ったらしい。
有名なアニメ監督さんも来店した店だ。


昔の広島お好み屋さんを会話とお腹で楽しめた。
チェーン店ではムリじゃね。


道端で、祭りの準備をする地元の方に声をかけると、市場で知り合いのKさんだった。
鈴峯の山で昔から竹の子を掘る竹の子屋さんだ。


今度、井口の歴史を教えてもらう約束をした。


誰にも古里がある。

昔話しを楽しみ、先祖の新しい発見を知るのも楽しいもんである。



ほいじゃまた!