那須与一とワタシ | つりざんマンの日記

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小さな食料品店の5代目。63歳の時、身体を壊しリタイヤ。幼少の頃から魚釣りが好きだったが、最近はカメラで鳥を追っている。自然が大好きなヨレヨレジジの日記です。

800年以上もの昔、源平合戦(香川県高松屋島)で活躍し名を馳せた那須与一。


ワタシがその与一と出会ったのは3年前。

全国鮎釣り旅の途中、栃木県那珂川で出会った那須与一。
ただの銅像だけどね・・ガハッ!


そこは、ダイワ・シマノの鮎釣り全国大会会場だった。


大会一週間前、ワタシでも釣れるかと2時間ほど竿を出した。


ガハハハハハ!
ワタシの腕では・・・
やっぱりボーズ。


与一はこの地で生まれたと言う。
弓矢の名手らしいが、鮎釣りも名手だったのだろうか?


あれから3年、
不思議にも、この広島の地で、与一と出会う事になるとは・・・。


先日、山ちゃんと広島県西部の戸河内を散策。
ワタシが以前から知っていた寺領の桜を見せに、山ちゃんを連れて行った。

「こがーーな大きい桜が、こんな所にあったんかぁ?」


高さ12メートルの垂れ桜に目を白黒。
「寺領桜」として有名で満開の頃は遠方より愛好家が訪れる。


数日後、
この寺領桜に驚いたのだ。

その時は、何も知らず次の探検へ・・・

十方山の麓に古びた山村を発見!


先日のブログ日記に書いた「那須地区」。

住んでる住民は2軒。


その一軒のおじさんに村の謂れを聞いた。
「この村は200年前、津和野の尼子氏から追い出された二軒の寺の檀家が僧侶と逃げ延び、ここで毛利にかくまってもらい村を作った。」と


さて、さて、それから数日後、、、
見学した「寺領桜」は別名「那須与一桜」と知った。

その桜の近くに「与一の墓」があると・・・。

昨日、行ってみた。

寺領の桜の場所は「与一野」。

源平合戦(高松屋島)で勝った源頼朝は鎌倉幕府を築き、西国の基礎固めに那須与一を送った。
そして与一が、この村を築いた。と

ムム。。。

地元の方に聞くと、写真のちっこい墓が与一の墓だと言った・・・


高さ1mちょっとの粗末な墓。


ほんまかいな?

調べたら、全国、あちこちに墓があるではないかっ!

だけど、、、だけど、、、
その日に発見した山里の地名が、、
「那須」だった。

たいした事など無い1日の出来事だが、、ワタシにとっては、那須与一との不思議なご縁であった。

ん~~~~~んっ、、、
桜が咲いたら、また訪れて見よう♪


ほいじゃまた!♪