秩父三社

埼玉県長瀞町

寳登山神社

ほどさんじんじゃ

■御祭神

神日本磐余彦尊、大山祇神火産霊神

■御由緒(HPより)

荒川の左岸に山裾をひろげる宝登山497.1㍍の山頂に奥宮が、麓の山懐に抱かれるような形で本社が鎮座いたします。

今からおよそ1900年の昔の事、第12代景行天皇の皇子日本武尊が東国平定後に秩父の地にお入りになり、秀麗な山容に魅了されミソギを済ませ山頂へと向かいます。しかし突然の山火事に進退が極ったその時忽然と山犬たちが出現し瞬く間に火を消し止め、尊一行を頂上まで案内すると山犬たちは姿を隠してしまいました。この不思議に尊は山の神が御眷属の大口真神たる山犬をお遣わしになり、自分たちを救ってくださったとお悟りになり、山頂に神籬を設え尊の祖先にあたる第一代神武天皇・山の神の大山祇神・火の神火産霊神を祀り、山の名を「火を止める山」と表し「火止山=ほどさん」と定めました。このことが寳登山神社の始りと伝えられるのです。

その後弘法大師の御跡を慕う圓空が永久元年この地に草庵をむすび玉泉寺を開き神仏が静まるところとなり、ともに栄えてきました。江戸時代には玉泉寺が別当を務めて社を「寳登山大権現」と呼び維持してきましたが明治を迎えると神仏分離によりそれぞれが独立した社寺となりますが、共に支え合うかたちは今に続きます。

 


この日は一日を通して、秩父三社でもあるこちらの神社に参拝したときの雨が一番強かったです

でも、風はほとんどなかったので傘があれば十分

 

駐車場から砂利時期の境内を歩きます

 

白い鳥居が美しく目を惹きます

 

 

鳥居をくぐると階段の上に社殿

階段下左側に手水舎が見えます

 

 

 

 

 

雨に濡れてしっとりとした社殿

(HPより)社殿は、江戸時代末から明治初頭に造り替えられた本殿、幣殿、拝殿より成る権現造り(ごんげんづくり)です。欄間には、「二十四孝」を始め多くの彫刻が施されています。

現在の御社殿は、江戸時代末から明治初頭に造り替えられた本殿、幣殿、拝殿より成る権現造り(ごんげんづくり)です。欄間には、「二十四孝」を始め多くの彫刻が施されています。

この社殿再建には当社別当であった玉泉寺住職榮乗の人生をかけた尽力によって完遂いたしました。榮乗は茨城の人で天保9年(1838)40才の年に玉泉寺の住職に迎えられ、弘化2年(1845)社殿再建を発願し同4年着工いたしますが、その後資金調達に難儀をいたすなか、明治を迎えると僧籍を離れ神祇の道を修め引き続き再建に邁進し、明治4年に本殿、明治7年に拝殿完成を見ます。この間実に29年の歳月をかぞえ、榮乗は小菅是道と名乗る初代神職として明治8年76才をもって帰幽いたします。

本殿はじめ拝殿の随所に熊谷在武州明戸の彫刻師飯田岩次郎による彫り物には平成21年御鎮座1900年を奉祝して改修工事が行われ、そのさい彩色を施した彫刻が飾られ緑の森の中荘厳な佇まいです。

HPにあるとおり、彫刻とその彩が美しく壮大

 

こちらでは、長瀞秩父参拝用に御朱印帳をいただきました

別途、詳細を記事にします

 

いただいた御朱印はこちら