いつからだろうか
『祈り』を貴い(尊い)ものだと感じるようになったのは
誰かがだれかや何かの無事や成功を祈る
自分にとって身近な誰かの為に祈ることは普通にあっても、
顔も知らないだれかや何かの為に人はどれだけ祈ることができるだろうか?
“世界が平和であるように”
“地球環境がよくなっていくように”
“みんなが幸せに暮らしていけるように”
そんな“自分”がない(介入していない)祈り
遠い誰かの為に、全体がよくなっていく為の祈り
(近しい人の為に祈ることが悪いとかではもちろんない)
自分の知らないところで誰かが祈ってくれていること
その恩恵を知らないままに受けていることがあること
幻想的な空間、やさしくあたたかい時間でした
【人が知ろうと知るまいと祈ること】
これなら自分にでもできるし、
いつもそうでなくてもいい
(この辺は自分にあまいのです笑)
祈りの輪(和)が拡がれば、
世界はもっとやさしく
住みやすい場所になっていくと信じて疑わない(*^ー^*)
今回ご一緒させていただいた友人のみなさま、ありがとうございます☆

