「すべての美しい馬」/青年は旅をする、自らの居場所を求めて | 旧・日常&読んだ本log

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流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

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コーマック マッカーシー, Cormac McCarthy, 黒原 敏行
すべての美しい馬

テキサスのサン・アンジェロ近くにある牧場で育った青年、ジョン・グレイディ・コール。わずか十六歳でありながら、腕のいい調教師であり、カウボーイであり、まるで馬と共に生まれてきたようなジョン・グレイディ。彼はこれから先も、馬と共に生きていく事を確信していた。ところが、祖父の死により、彼の暮らす牧場は人手に渡ることになった。母にも父にも、彼の決意のために貸す力はない。彼らにはまた、彼らの人生があるのだ。ジョン・グレイディは、親友、ロリンズと共に、馬に乗り旅に出る。遥か彼方、彼らにとってのエルドラド、国境を越えたメキシコの牧場を目指して。まだ、そこには馬と共に生きる道が残されているはずなのだ・・・。

bookbathさんの記事を読んで、心惹かれる物語だなぁ、と思っていたところ、更に同じくbookbathさんの記事からnanikaさんが読まれていて、これまたオススメとのこと。
これは早い所読まなくては、と図書館に予約を入れて、手に入れました。

 ・bookbathさんの記事はこちら → 
焚き火とコーヒーとカウボーイ
 ・nanikaさんの記事はこちら → 
『すべての美しい馬』
正直な所、あまり読み易い本とは言えません。妙に長い文と短い文が合わさっていたり、誰が話しているかわかり難い会話文だったり。十六歳といえど、立派に仕事をこなす事が出来るせいか、主人公のジョン・グレイディ自身も、「青年」というよりは、すっかり老成した大人のようでもあるし。でも、この無口で、馬を巧みに操るジョン・グレイディ。実は胸に熱いものを秘めている、とても魅力的な青年なのだ。

首尾よくメキシコとの国境を越えたジョン・グレイディとロリンズだったけれど、二人で始まった旅であるのにも関わらず、その国境越えは三人だった。あいつは必ず厄介事を引き起こす。ロリンズがそう評した、すごい馬に乗り、銃の腕前も確かな、まだ年若い「ガキ」、ブレヴィンズ。何か訳ありのようであるブレヴィンズは、やはり後になって、ジョン・グレイディとロリンズの二人をとんでもない厄介ごとに巻き込んでしまう。血筋に起こった不幸により、雷を異常に恐れるブレヴィンズ。謎めいた彼、時に脅えが顔を出すブレヴィンズに対し、ロリンズはからかうばかり。一方のジョン・グレイディは、淡々と接するのであるが・・・・。

さて、ジョン・グレイディとロリンズの二人は、彼らの望みどおりの大牧場に辿り着き、共に雇われる事になる。野生の牝馬の群れを追って山に入り、集めてきた牝馬を調教する日々。調教の腕を買われたジョン・グレイディは、牧場主に特に目を掛けられるようになるのだが・・・。牧場主の娘、誇り高いアレハンドラとのあってはならない恋、アレハンドラの大叔母、牧場の女主人、ドウェーニャ・アルフォンサからの忠告。そして、あのブレヴィンズと共に舞い戻ってきて、彼ら二人に容赦なく襲い掛かった災厄。

全てに対し、きっちりと決着を付けたジョン・グレイディはサン・アンジェロに帰り着くが、この町を再び出て行く。そう、この町は「おれの住む場所じゃない」のだ。「何か魂を持たない冷たいものがもうひとつの人格のように自分のなかへはいってくるのを感じその人格が悪意のある笑みを浮かべたように感じそいつがいつか出て行く保証はどこにもないと思った」、ジョン・グレイディ。この作品は、コーマック・マッカーシーの<国境三部作(ボーダー・トリロジー)>の一部であり、平原の町』すべての美しい馬』の続篇だとの事。こちらも悲恋のようですが、再びジョン・グレイディに出会えるのがとても楽しみ。

自然描写、馬の調教の様子が、この作品の魅力の一つでもあります。一部、引用しておきます(そして、これを読むと、このちょっとした読みにくさも分かるかも。笑)。

彼がいつも散歩に選ぶ時間には古いインディアンの道が長い影と斜めに射す薔薇色の光のなかで古代の夢のように浮かび上がり、その夢のなかではかの失われた国の彩色を施した馬の群れと顔に白い筋を塗り長い髪を編んだ乗り手たちがめいめいに彼らが生きている目的そのものである戦いのために武装して北からやってくるのであり、女達と子供たちと乳房に幼子をかじりつかせた女たちも含めてみな血によってのみ贖われる血の誓約を交わしている。北から風が吹くときには聞こえるのだ、馬のいななきと馬の吐息と皮の靴を履いた馬の蹄の音と槍を打ちあわせる音と砂の上で何台もの荷車を引く大蛇がはうようなとぎれることのない音とサーカスの騎手のように意気揚々と野生の裸馬にまたがって無人の野生馬を追いたてる裸の少年たちや舌をだらりと垂れて早足についていく犬たちや重い荷を負わされた半裸で徒歩きの奴隷たちの声とそしてとりわけ乗り手たちが低く歌う旅の歌が聞こえるのだ、そしてひとつの国とひとつの国の亡霊がやわらかな合唱の声につつまれいかなる歴史や追憶とも無縁につかのまの現世しか知らない猛々しい生をまるごと聖杯のように運んで、この無機質な荒野を渡り闇のなかへと消えていくのだ。

(p9より引用。この長さで、文章二つです・・・。でも、翻訳って凄いですね、最初は翻訳者が下手なのでは、と疑ったんだけど、これが原著に近い、きちんと雰囲気を残した訳し方なんだろうな)

若駒がもがきながら立ち上がる前にジョン・グレイディが首の上にまたがり頭を引きつけて骨張った長い顔を自分の胸に押しつけると鼻腔の暗い井戸のなかから熱い甘い息があふれ出してきて別世界からの便りのように顔や首にかかった。馬の匂いではなかった。馬である以前に彼らがそうである野生動物の匂いだった。

(p173から、ジョン・グレイディによる野生馬の調教の様子。時代は1949年。馬と車とが共存し、ジョン・グレイディとロリンズはハイウェイ沿いを馬で進むのだ。)

bookbathさん、nanikaさん、またいい本に出合えました。お二人の紹介でなかったら、最初の内で読むのを諦めてたかも。笑(途中からはぐいぐい行けましたが) ありがとうございました!

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。
その後に読んだ、三部作三冊目、「平原の町」の感想 →