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恵翠(けいすい)書道教室

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「子供一人一人と正面から向かい合う」ことに取り組んでいるのが当塾の最大の特色です。

 どんなに心に明るい未来を描いても、今、頑張らないのなら、明るい未来へは繋がりません。
 今日できなかったこと(頑張れなかったこと)は、明日になってもできないのです。
 今(「現在」)に集中する。明日ではなく、数年後でもなく、今日やり遂げることが、心の健康のためにとても重要なのです。今に集中する力を付けていくなら、心に描く夢(目標)は必ずや実現することでしょう。

 当塾では、シュタイナー教育をベースに、ハリー・ポッターを教育に導入し、差別や偏見を持ちにくい、他人に対する寛容さを学ばせています。また、「他者評価」に振り回されない、しっかりと「自己評価」できる子供に育てていきます。

 書道は、単純な習い事ゆえ、特別な才能を必要としません。そして、誰もが「できる」を体験できるお稽古です。さらに書道は、忍耐力を磨き、今に集中する感覚を身に付けるお稽古として最適なものといえます。これは、学校のお勉強にも良い影響を与えるものとなります。

※用具はすべて塾で用意しますので、手ぶらで来てください。(高校生以上は、各自で用意していただきます。)
※当塾では、高円宮杯(全国展)や県書写コン、マイヤ展(県内展)等に取り組んでいます。





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Aちゃんは、芸術センス抜群の優秀な塾生である。昨年は、県の書写コンで特別賞を受賞した腕前を持つ子である。最近元気が無く、お腹が痛いといっては学校を休みがち。学習塾もやめ、スイミングスクールもやめたという。お母さんの話では、ピアノの先生は「無理して練習して来なくても、Aちゃんの顔を見るだけでも嬉しい」と優しくしてくれるので続いているのだという。私もその先生に見習いたいと思った。先週、お腹が痛いからと書道塾を休んだ。12月は父の病状の件で、1月は父の死の件と母の病状の件で心にゆとりが無く、彼女の心の変化に気づきながらも何もできなかった。

そこで、シュタイナー教育研究家で友人の菊池澄子先生に来ていただき、Aちゃんだけのための特別レッスンを行ってもらうことにした。その日は、お母さんに連れて来てもらう形で、書道ではなくフォルメンの授業を試みることにした。


◆先生が詩を朗読する …秦 理絵子著『シュタイナー教育とオイリュトミー』(学陽書房) 139ページ~140ページ ※途中、グロッケンの美しい音色を入れる。


◆にじみ絵を描く(先生の描くのを真似て描いてもらう)

水をはじくタイプの画板に、画用紙を置き、スポンジに水を浸し、まず裏(つるつるした方)をまんべんなく濡らす。次に、表(ざらざらした方)をまんべんなく濡らす。

絵具(ウルトラマリンブルー、レモンイエロー、洋紅色 …独シュトックマー製ではないらしいが、天花地星の通信販売で購入とのこと)をそれぞれの小皿に取り、小ベラで溶かす。

ウルトラマリンブルーを水彩用平筆に取り、下の方を塗る。塗り終わったら、大びんに入った水で洗い、タオルでよくぬぐう。









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ウルトラマリンブルーを水彩用平筆に取り、上の方を塗る。空なので、両端は弧を描くように塗る。塗り終わったら、大びんに入った水で洗い、タオルでよくぬぐう。

レモンイエローを水彩用平筆に取り、真ん中を弧を描くように塗っていく。塗り終わったら、大びんに入った水で洗い、タオルでよくぬぐう。

ウルトラマリンブルーでリンゴの木を描く。塗り重ねることでやや緑色になる。

木の線の上に、洋紅色を薄く重ねて塗る。塗り終わったら、大びんに入った水で洗い、タオルでよくぬぐう。

ウルトラマリンブルーで葉を点を描くように塗る。塗り終わったら、大びんに入った水で洗い、タオルでよくぬぐう。

洋紅色でリンゴの実を点を描くように塗る。塗り終わったら、大びんに入った水で洗い、タオルでよくぬぐう。

次に、レモンイエローを水彩用平筆に取り、画面の上の方に光の筋を描いていく。塗り終わったら、大びんに入った水で洗い、タオルでよくぬぐう。


Aちゃんの絵はバランス感覚に優れ、詩の世界が美しく描かれていたと思う。ただ、リンゴの木が小さめで、幹が細めで、根の部分が薄くなっており、昔学んだバウムテストに当てはめると、気が弱っているのは明白だった。


◆グロッケンを弾いてみる

グロッケンの音色は、D E G A H D Eで、DとEは上の音と下の音がある。

表に青の丸、オレンジの丸、黄色の丸、緑の丸を描き、高い方のDとEは、小さい丸にする。裏にD E G A H D Eが書いてある。

それを好きな4枚を引いてもらい、裏返しにしてでた音名を、グロッケンで演奏してもらう。

これは、どういう組み合わせでも良い曲になるので不思議である。Aちゃんは、ピアノを習っていることもあり、難なく弾いていた。グロッケンの美しい音色に心が癒されるようだった。


◆リンゴを切ってみる

リンゴを腹の方から輪切りに切る。星のような形をしており、また詩の世界へと心が向けられた。さらに切り分け、迎えに来てくれたAちゃんのお母さんにも加わってもらい、みんなで食べた。


Aちゃんに笑顔は全くなかったが、絵をしっかり描き、グロッケンをしっかり弾いてくれた。その後で、私が元気が出ない時にどうするかということを菊池先生に話してもらい、自分の体験話もした。自分は、元気が出ないのに無理をして元気になることはできなかった。そうではなく、人との出会いによって元気が出るようになったと思う。だから、無理をせず、必ず良い変化が起こると信じて自分を責めずに気を紛らわすようにした方が良いと話す。菊池先生が、自殺した子供のことを涙を流し話してくれた。Aちゃんには、自分をこんなに思ってくれる大人がいるということが強く印象付けられたように思えた。

Aちゃんは絵を忘れていったが(新聞紙に包んでいたので絵とはわからなくなっていた)、すぐに絵を取りに戻ってきた。その絵に思い入れがあったのかもしれない。もしそうだとすると、良い展開に繋がるような気がしてならない。


高円宮杯は、毛筆と硬筆のどちらにも挑戦したいのだと言う。元気はなくとも意欲のあるお返事に少し安堵する。昨年、屈辱の銀賞ゆえに千枚書きに挑戦している男の子と、Aちゃんは、今年の高円宮杯で特に頑張らせたい塾生である。

とはいえ、結果主義となると、結果が悪いとやめていく子が出てくることを考慮しなくてはいけない。特に、前に良い賞を取った子ほど、やめていく傾向が強い。あくまで芸術に打ち込むためにコンクールに参加するのであって、賞などどうでもいいことと教えなくてはならない。

中学時代の私の担任が、以前美術を教えていて、成績を5段階評価の1か2を付けていた子がいたという。その子は、1か2の成績を付けられても絵を描くことが好きで、いつも不思議な絵を描き続けていた。何とその子が、世界的な画家となって先生の所に尋ねて来たのだった。先生は、そのことで絵を教える自信を失い、美術を教えることをやめて技術家庭のみを教えるようになったのだという。絵を描くことが優秀な子が誰一人プロにならず、どんなに成績が悪くても絵を描くことが何よりも好きだったという子がプロになったというのは興味深いケースではある。

私はコンクールで上位入賞させるノウハウは持っていると自負している。しかし、その子が芸術家になるためのノウハウとなると残念だが持ち得ていない。あくまでその子の意志なのだ。先ほどの中学の担任の例ではないが、コンクールで上位入賞をしたことなどはどうでもよくて、お習字を書くことが何よりも好きと答えられる子が最もその夢を叶えるのではないかと思うのだ。

だから、お習字が好きと言える子を育てることが大切であって、成績にはあんまりこだわるべきではない。これならシュタイナー教育の方針と一致する。今の所、その点では成功しているように思う。子供たちの前で欲しがられるような魅力的な書を書き、生の芸術的感動にできるだけ多く味わわせたいと思う。ただ、そのことを子供たちは理解できても、親御さんが理解できないケースが多く、子どもが続けたくても親御さんのプライドが許せないゆえにやめていくケースが少なくないことが残念である。

なので、もう少し現在展開している教育システムが落ち着いてきたなら、親御さんへのレクチャーの機会を増やしたいと考えている。教育とは、理論でもプランでもない。前もって決めたように行うというものではない。その子と正面から向き合い、その子の今の状態に合わせて、いかなる方法を選んで教えられるかに掛かっている。ゆえに教師の応用力が試されるのである。

Aちゃんに話を戻すが、彼女が何も話さなくなったこと、全く笑わなくなった理由については、守秘義務上、ここで詳しくは書くことはできないし、まだはっきりとはしていない。お母さんが協力的で、いろいろ情報を提供してくれるので助かっている。私なりにいろいろ今後の指導について思いめぐらしている。そして、必ず良くなると信じて指導に当たっている。子どもを全面的に信じることは、子どもとの信頼へと繋がり、その信頼感が奇跡を生むのである。

必ず良い道は見つかると信じている。




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父が亡くなってから母は、腰を痛め、今週から毎週水曜日、1年半に渡っての注射治療に踏み切ることとなった。お金の掛かる治療である。腰を痛めた理由は、こたつに寝るのが癖となり、悪い姿勢で寝ていたことによる。母があまりに部屋を汚くしていて、それなのに大切なものがあるから掃除をするなと言うので部屋にストーブを置けないでいた。そこに妻がこたつを置いてくれたのだったが、それが裏目に出てしまった。

母は、子供帰りしたのか依存心が強く、水が飲みたい、今日は何日、今日は何曜日、といったことまで思いつくままに私を呼びつける。つまり、家族に依存し切って何にもしないのだ。タイマーでストーブが止まっても、付けるのがめんどくさいと寒いままにしている。テレビを止めるのもめんどくさいといったありさまだ。外出先では車いすを借りることが多いのだが、杖を使うこともある。その杖を頻繁に忘れてくるので、常に目を離せない。せっかく買った補聴器も一度無くされて、また買ったのだが、「今度無くしたら親子の縁を切るよ」と脅かしたりもした。探すとなると、その日は何もできなくなってしまうのだ。歩く速度は、信じられないほど遅く、まるで時間が止まってしまったかのようだ。また、食事の好き嫌いが激しく、せっかく作っても食べてくれないことも多い。今のところ妻にやってもらってはいるが下の世話をする機会も増えてきた。

数日前、私はすっかり疲れ切り、ついに寝込んでしまった。寝ていても、思いつくままに私を呼び付ける母の声が聞こえるので深く眠れない。そして、ついに切れてしまい、「私を殺す気か」と大声を出してしまった。よほど怖かったのか、それからはしばらくおとなしくなったので、やっと熟睡することができた。母には、できることはする練習をしてもらわなくてはならない。腰の痛みは気の毒ではあるが、だからといって甘やかすと、お互いに苦しい未来が待っていると思う。

カリスマ的なコーチングの講師が、「成功をしたいのなら親を捨てなさい」と言っていたことをふと思い出した。彼自身、親を養護施設に預けたまま親との関わりを完全に絶ったのだそうである。親の死に目にも会わなかったのだと微笑みながら語っていたのが印象的だった。彼は、「親の面倒を見る者は成功できない」と断言した。確かに、株で儲けるチャンスに親が倒れたりでもしたら、儲けどころか大損することになるだろう。ビジネスではチャンスにいかに集中できるかが成功の鍵といえるのだろう。彼の言うことはよくわかるが、彼は悪魔の側の人間であると感じられた。

親の介護をしていると成功は遠のくということは、現在、実感として感じてはいる。私の知り合いでは、若い頃から親の介護をして婚期を逃した女性もいた。とはいえ、そのクリスチャン女性は後悔はしていないと素敵な笑顔で語っていた。だから、本当に悪いことばかりなのだろうか?

私は介護をすることで、人間らしさを取り戻している感じがしている。私は社会性(特に効率主義)を身に付けると同時に人間らしさをかなり失ってきた。その人間性を取り戻すと言うより、新たに作り上げているという感じすらしている。しかも、神の側を生きている実感が得られることは素晴らしいと思う。高い次元と繋がる感触もある(疲れた時は寝る前に、お香を焚き、時間や空間を忘れる瞑想をすることがある。時間や空間、さらには自分自身の存在すらも意識しなくなると不思議な世界が開かれれきて、素晴らしい癒しを受けられるのだ。時間が無くなると永遠。空間が無くなると無限。ただ、成功への執着というかネガティブな精神状態では、この三次元世界にそういった世界とは繋がらないのである)。

一番素晴らしいことは、親の介護をしながらも成功できるということではないだろうか。もちろん困難な道であり、遠回りの道でもある。実現できたとしたら、例のカリスマ講師を別の形で超えることができるだろう。チャレンジする値打ちはあると思うのだ。

今年は、心理カウンセリングの上級編を学ぶことがテーマであり、カリスマ・カウンセラーを目指したいと思う。現場で、魔法をかけるような心理テクニックを身に着けたいのだ(私はカバラ数秘術やタロットカードを使ったカウンセリングが得意である)。約半年の学習で新たに身に付けた能力は、教育現場に確実に生きてくることだろう。そうなれば、カリスマ教師も夢ではないのかもしれない。また、人脈を築くことも重要である。私の場合、大金を稼ぐ前に、実力を付ける必要があると感じている。実力の裏付けがないと、次のステップに進めないからだ。とにかく現場での仕事に最大限に集中したいと思う。親の介護と並行しながらやるからこそ価値があるのだ。




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葬儀屋さんが来て、葬儀代の明細と振込用紙を置いていった。その際、母がクリスチャンになるかもしれないので、母の葬儀をキリスト教式で出来るか尋ねてみた。すると、「それは大変な問題です。お母さまがクリスチャンになると大変なお金が掛かりますよ。まず、お父様のお墓を処分して更地にして寺に返さなければならないし、寺に多額の違約金を払わなくてはなりません。さらに、そのお墓を立てるための別の墓地を探さなくてはなりません。それは半端な額ではありませんよ。ですから、クリスチャンになるのはおやめした方が賢明かと思います。」とのことだった。

家族の誰が寺と、違約に関する契約を交わしたのだろうか? 先祖なのだろうか? 契約書なるものは存在するのだろうか? それとも仏教界での常識なのだろうか?

5年ほど前、菩提寺の住職から檀家と大手の葬儀屋とのトラブルが絶えないので、お寺が指定した葬儀屋に変えることということでその葬儀屋に変えたわけだが、まさかお寺とそこまで癒着しているとは思わなかった。七日、三十五日、四十九日、百ヶ日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌まで書いたスケジュールも渡されている。お寺と葬儀屋が儲けるためのシステムにまんまとはまってしまっていると気づいたのだ。このシステムはお釈迦様の教えとは全く関係ない筈である。

私の書道塾では、毎年、やめていく子も何人かいる。しかし、快く承諾し、祝福して送り出している。無理に引き留めることはしない。やめても大学合格を知らせに尋ねて来る子もいるし、また習いたいと戻って来る子もいる。自由とはそういうことではないだろうか。生計を守るために、脅して留まらせようとなど考えたこともない。それゆえ、お寺さんと葬儀屋さんのやっていることには疑問を感じずにいられないのだ。


日本国憲法では、信教の自由が保障されている筈である。

下記は、日本国憲法からの抜粋である。


第十九条  思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

第二十条  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

○2  何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

○3  国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。



私は故人(父)の遺志を尊重して、お寺との付き合いを大切にしたいと考えている。これまで寺の御持会費も払い続けて来たように、これからも払い続けていくつもりである。しかし、母の生きがいと孤独にならないように教会に通うことも尊重したいのだ。それに未来のことはどうなるかわからない。これから出会う人を予測できないわけだし、決めたような未来になるとは限らない。

私に子どもが出来て、その子がお寺を守る人になるかもわからない。母がクリスチャンになるということだけで厳しい審判を下すかのように、大げさに大金の掛かる話を持ち出してくるのはいかなるものかと思うのだ。

私個人としても、人生の苦しい時に、私を救ってくれたのはキリスト様の言葉であった。それは、教会で出会った感動に基づいている。さて、お寺でそういった感動にどれほど出会ってきたのだろうか? 多分、栄えているお寺なら、私同様に、人生の苦しい時にお釈迦様の言葉に救われたという人がいるに違いない。人は魂の糧を求めに宗教を求めるのだ。大切なのは、そこにあるのだと思う。

私は収入が少ない者ゆえに、自分が出来る範囲でしかお布施はできない。そこで無理をしたからと言ってご利益があるものでもないと思うのだ。お布施の額で、その人の霊界での地位が決まるというのも納得できない。神仏は、見えないところでの善行をむしろ認める筈であるからだ。

とはいえ、知恵を持って、この問題を対処していきたいと思う。母が全く協力してくれないという大変な状況においても、全力で頑張って全ての手続きを済ませることができた。そのことで火事や震災があったとしても何とかなるという手ごたえというか自信を得た。しかし、こんなところに手ごわい悪魔が潜んでいるとは思わなかった。簡単に解決できない問題に出会ってしまったのである。

日本国憲法では、公立学校で宗教教育をしてはいけないとある。宗教教育を求めるのなら、私立の学校に入れれば良いわけだし、いかに優れているものとはいえシュタイナー教育的な内容を公立学校に求めてはいけないのである。つまり選択する自由が私たちにはあり、自由があるから失敗もあり、失敗もあるから成功もあるのである。強制されるところに自由は無く、発展もないのである。こんなやり方で、お寺に発展はあるのだろうか?


皆さんのお知恵を拝借したく存じます。どうぞ気兼ねなく、コメントを書いてください。よろしくお願いいたします。




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歴史に学ぶことは別として、後悔と恨みがうずまいている過去に心を向けるのではなく、また仕事上のプロジェクトを進めることは別として、過度な期待と不安がうずまいている未来に心を向けるのでもなく、今に集中することが、あらゆる困難を乗り越えていけるベストな生き方なのではないかと思うのです。

神様(仏様)は、過去にも存在していないし、未来にも存在していない。今にだけ存在し、今の中に永遠が存在すると思うのです。今に集中するなら、次々に課題をこなしていけるので、多くのことが出来るようになります。逆に、同時に複数のことに手を付けるやり方だと、意外と何もこなせず、返って非能率だったりします。一つのことに集中すると、何か不思議な力に繋がるのかもしれません。

さて、銀行口座の引き落としの父名義から私名義に変更する手続きと、まだお礼をしていない方への件以外は全て終了しました。昨日は、過労のために苦しくなってきたため、かかりつけの病院で点滴をしてきました。

父が亡くなってから、腰が痛いと駄々をこね全く何もしない母のことで苦しんできたわけですが、その母の車いすを引いていると、何故か強力な助け手に出会うので不思議でした。きっと、「お気の毒に、何かお力になりましょう」と思うのでしょう。いろいろと知恵を授けてくれました。そうして母の借金の件も、母の遺族年金の件も、父の死亡保険金の件も次々に解決していきました。一気に不安が無くなりました。

今日は、朝7時からやっている高松2丁目にある「おはようクリニック」に母を連れて行き、痛む腰を診てもらいました。詳しい検査結果は来週となりますが、おおよその原因と対処法が見えてきました。お医者さんも看護師さんも素敵な方で、とても優しく対応してくれたので、母はよほど安心感が得られたようで、帰宅の車内では楽しそうに話をしていました。

厄介な事項はすべて終わったので、不安なしでもうひと踏ん張りです。そういうことで、せっかく私の記事に「いいね」をいただいていても、その方のブログの記事を読めない状態が続いております。もう少ししたら読みに行く時間のゆとりができると思いますので、どうぞお見捨てなく、よろしくお願いいたします。

昨日のお稽古では、子供たちに「今に集中する」についての話をしました。その後、子供たちは素晴らしい頑張りで答えてくれて、これは小さな子供にも届きやすい話だと感じられました。




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