茶番にならない人生 | 恵翠(けいすい)書道教室

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私にとって、東京での学生時代、高円寺のアパートでの自炊生活時代が、一番学びの多い時だったと思う。

前の記事にも書いたが、高円寺は、東京大空襲で焼け出された人たちによって作られた街であり、それゆえ人々の絆が深いのである。

高円寺は優しい街で、ある定食屋さんでは、とても不愛想な若いウエイトレスさんが働いていた。おかみさんは、彼女にとても優しく接していた。多分この子は、ファーストフードやコンビニでは働けないことだろう。また、刑務所を出所してから板前修業をしている男性もいた。店主は、彼にとても優しく接していた。このように、高円寺という街は人に優しい街なのである。その代わり、アダルトショップができたりすると、街ぐるみで協力して追い出すこともするような健全な街なのである。

私も授業で使う高額なオペラの楽譜が買えずに悩んでいたら、近所のパン屋のおじさんが、「返さなくていいから、頑張れよ!」と1万円渡してくれたのである。このように、きっぷの良いのも下町人情なのである。

行政によるのではなく素人によって作られた街なので、道路の幅がとても狭く、消防車も安易に入れない。それゆえ、危険地域に指定されているが、この道路の狭さが、隣近所との狭さが、高円寺の人たちの独特の人情を生んできたような気もする。








さて、私の塾生の中にも親の躾のなっていない子、発達障害の子、難病を抱えている子など様々いる。プライベートなことなので、ここで書くわけにはいかないが、私は性格に関しては、あまり問わないことにしている。

皆に嫌われている子であろうと、良くなった例をこれまで多く知っているからだ。こういう子に対しては、性格を直すことではなく、誰よりも上手くなって自信を持たせることに集中させている。きっと、これからの人生において、その性格のことで損をすることが多いだろう。でも、自分の才能を信じられることが、克服へと繋がっていくからだ。

ただ、スキルだけ教えるのでは良い未来へと繋がらないので、そういう子には、普段とは違ったおやつ付きの特別授業などやって、人間としてについて学ばせている。すぐにその子の性格を治すための授業ではなく、あくまで将来に生きるような内容である。つまり、その子が将来、素敵な大人になっているイメージを描かせるような内容である。今すぐやれというものではない、あくまで夢ならば、誰もが受け入れられるのである。

私は教え子がたとえ犯罪者になったとしても、良くなると信じたい。人生とは、死ぬまで可能性を追い求める価値があると思う。

シュタイナー教育とは、エリート教育ではない。子供の魂の発達に即したタイムリーな指導を教えていくものである。将来、真理に目覚めることができるような芸術性を教えている。なぜ、真理に目覚めることが重要なのか?

イタリア・オペラの大作曲家、ジュゼッペ・ヴェルディの最後のオペラは喜劇だった。しかも最後のセリフは、「世の中全部冗談さ!」なのである。この言葉、とても奥が深いと感じられてならないのだ。

私も人生とは茶番であると思うことがある。人は、時代が過ぎ去れば価値の無くなるようなことに夢中になり、時には、そんな茶番に命を懸けてまで取り組まなくてはならないのである。もし、茶番な生き方だけで人生が終わったとしたら、何と空しい人生なのだろうか。

でも困難を乗り越えた数の多い人の人生は茶番ではないような気がする。そのことによって魂が大いに磨かれるからだ。

自分の出来ることだけやって、出来ない人を見下げ、上に上がって来られないように自信を失わせる。そうやってマンネリな人生を送って何になるだろう。むしろ、できないことを喜んでやって、困難を乗り越えた方が意義のある人生ではないだろうか。

私は、50歳を過ぎてからが価値ある人生がやって来るように思うのだ。何といっても経験値では若い人には負けない。だから50歳になってから大学で学べば、自分が世の中のために何ができるかをわかって取り組めるのだ。多分、多くの大学生にとっては、自分は何をすべきなのかわからないことだろう。自分が何者かを分かった上で、大学で学ぶのなら、社会のために大いに働ける第二の人生が得られるような気がする。私の友人には、主婦としてほぼ半生を生き、子どもたちを育て上げてから大学に学び英文論文を書き学位を得て大学の先生をやっている人がいる。

学生時代に勉強ができなくたって、家が貧乏で大学に行けなかったとしても、社会人として立派に生きられたなら、必ず、自分は何者かを知っている筈である。知れた上での、そこからの人生こそが面白いような気がする。織田信長が好んだ歌の歌詞「人生五十年~」なんて糞くらえである。何と不幸な時代の言葉だろう。

だから私は、今できる子だけをできる子とは決めつけない。50歳を過ぎてからでも人生は開けるものなのだから、私の塾生たちは全員優れた人材だと思っている。

シュタイナー教育は子供時代だけの教育ではない、一生の教育なのだ。シュタイナーの7年周期の教育論は、何と63歳まで続くのだ。人は、多くの困難を乗り越えて、真理に至るのだ。老人になるということは、経験値は最高潮な筈なのに、身体的にも能力的にも困難が増えることである。ということは、ある意味チャンスなのだ。頑張らなくてはならないからだ。しかし、何もすることが無く、ぼーっと過ごすとするのなら、ヴェルディの言う通り、「世の中全部冗談さ!」ということにはならないだろうか。


母の介護をしていて一番悲しいことは、わがまま放題となり、子供帰りをして、何も努力をしなくなったことである。優しくする人の言うことしか聞かない。私が子供の頃から、一度騙されるとその人に対して信じられない性質が強かった。人を信じられず、自分も信じられない。そのせいか、挫けやすいような気がするのだ。母には感謝することの方が多いが、反面教師として学んだことも多かったように思う。現在、わがままにさせることでしか良くしてあげられないことが残念でならない。




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