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盛岡芸術祭 声楽部門演奏会は、無事終了いたしました。応援してくださった皆様の応援のお陰です。心より感謝申し上げます。

前々日の木曜日の夜、母が自宅の玄関先で転倒し、翌朝、病院に連れて行ったところ左腕を骨折していることがわかり、ギブスを付けることになりました。母は、痛みを訴えて大変だったことと、自分で食事をしたりトイレをすることも困難となり、私は歌の練習どころではありませんでした。

本番の日は、妻に休みを取ってもらっていたので、どうにかなりました。母に関しては、怪我をする数週間前から探し物のために練習を妨害されました。補聴器を失くし、メガネを失くし、杖を失くされました。結局、補聴器以外は見つかりましたが探し物にずいぶん時間を失ったことになります。そういったこともあり、練習不足のまま本番を迎えてしまいました。普段なら、録音を取りながら詳しくチェックしていく練習や、ステージを意識して鏡の前で練習したりもするわけですが、今回は、そういったことが全くできませんでした。

当日に、練習不足の焦りから、練習室での練習をし過ぎ、かつリハーサルでしっかり歌い過ぎたこともあり、本番では声がかすれて全く出ない状態になってしまいました。

私は、偉大なるF1レーサーのアイルトン・セナのことを頭に描いていました。彼は、母国ブラジルグランプリだけは、マシントラブル等でなぜか優勝したことがありませんでした。そんな彼が、1991年ブラジルグランプリでついに優勝したのですが、それはあまりに過酷なレースでした。残り6周前後の時点で6速以外のギアが全て使用不能となる事態に陥っており、そのためセナは残り周回を全て6速ギアだけで走りきらなければならなりませんでした。セナはそれまでトップを走っていたものの、守り切るところか完走することすらままならない困難な状態だったのです。彼は、神業ともいえる走りをしてチェッカーフラグまで辿り着いたのでした。その時のTV映像が蘇って来て私に勇気を与えたのです。

本番、第一声で声がかすれて上手く出ないことに気付きました。第二声で、高音は割と音が抜けることに気付きました。ということは、音が抜けるそこのポジションだけを使って歌い切ろうと思ったのです。そこのポジションは、高音を出すには問題がありませんが、低音を出すことに関しては至難の業です。それゆえ、私は低音域を出すのには普段の十倍もの力を込めて歌わなくてはなりませんでした。しかも、高音にしても声帯のコンディションが悪すぎるため、ちょっとでも気を抜くとひっくり返ってしまいそうでした。そういう意味では、いつもでは考えられないほどの集中力が求められたのです。

一曲目のジョルダーノのオペラ〈アンドレア・シェニエ〉より、「祖国の敵」は、必死の思いで歌いきることが出来ました。特に、最後のロングトーンは、いつも以上に長くのばし、かつフォルテッシモに持っていくことができたので感動的な終わり方が出来たのだと思います。すると、一曲目にもかかわらず会場から大きな拍手がしたのです。その日、一曲目で拍手がもらえたのは全出演者の中で私だけでした。

2曲目のルッツィ―のアヴェ・マリアは、ソプラノのオリジナルのままで歌ったので、高音を酷使します。冒頭と前半、後半にも二度、問題の高音が出てきます。それが、全て問題なくクリアできました。ただ、最後に低音で「アーメン」と歌うところがついに声がかすれてしまい声になりませんでした。最後は、声ではなく顔で歌った感じになりました。その日の私は、オペラ・アリアもそうでしたが、いつも以上に感情移入をしたように思います。しかも全力で歌ったこともあって、お客さんにビシビシ届いたようでした。これまでのステージで、一番大きな拍手を得ることが出来たと思います。

今回、自負していることは、その日の声帯のコンディションで、諦めずに歌える人は、多分いなかったのではないかと思うことです。そういう意味で、今回の歌唱は、私らしいというか、私ならではの歌唱だったと思います。医者に見捨てられた身体障害を克服し、水泳、陸上競技では、どん尻からトップになり、声楽においては、教師に「深海魚」とあだ名を付けられる最低で能力の無い状態からスタートし、卒業時には学校でトップになったそういった経験が、全て生かされた演奏ができたように思います。とにかく、「諦めないこと」が私の持ち味なのです。そう考えると、今回の歌唱は、私の人生で一番の演奏だったと思えるのです。


男子楽屋では、出演者の澤村楽人君(武蔵野音大研究員)と、伴奏者の佐々木駿君(岩手大学教育学部3年)と、同じく超ベテラン伴奏者の生平祐二先生(元二期会ピアニスト)と楽しく語り合いました。澤村君は、二曲目にプッチーニのオペラ〈トゥーランドット〉より「誰も寝てはならぬ」を歌い、会場を盛り上げました。彼は、これから大いに伸びる歌手だと思い応援していきたいと思います。何と言っても生平先生のお話は貴重なもので、本人が係るものを含む数々の伝説の名演奏について教えてもらったばかりか、先生は名オペラ歌手、勝部太さん(バリトン)が日本音楽コンクールで優勝した時の伴奏者だったとのことを知り驚きました。私の師匠、栗林義信先生の伴奏もされた方なのだそうです。生平先生の方から、「次回は僕に弾かせてくれないか」と言ってくださりとても光栄というか恐縮しました。

今回、私の伴奏者を務めてくれた関 久子さんは、カトリック四ツ家教会の聖歌隊のオルガにストで、全く畑違いの伴奏を務めてくださいました。ジョルダーノのオペラアリアは、特にイタリア語が読めないと伴奏が弾けないため、随分苦労をされたようです。私としては、オペラアリアの含まれる演目の時は、生平先生のようなオペラの専門家に、日本歌曲とキリスト教音楽の演目の時は、関さんにお願いしようと考えています。キリスト教音楽に関しては、信仰者として尊敬している関さんが私にとって一番なのです。


今回は、滝沢教室の子供たちに絵を描いてもらった募金箱が大いに活躍しました。ほぼ四万円募金が集まりました。半分を東日本大震災に、残りの半分を熊本地震の方に送るのだそうです。

今回も、東日本大震災の直後に癌で亡くなた女性3人組のアイドルグループ、キャンディーのスーちゃんが、子供たちが描いた絵として復活して活躍しました。スーちゃんは、熊本のためにも頑張りましたよ。

本当は、写メを交えて記事を書けたなら、もっと感動的にお伝えできるのでしょう。しかし、現在の私にはそういったゆとりが全くないことが残念に思います。そうであったとしても、今回のことは、私にとって生涯忘れることの無い、感動的な演奏会だったと思います。




今日は、高円宮杯の最終審査をします。つまり子供たちの出品作品を決める予定です。今回は、千枚書きに挑んだ子もいました。全国展で特別賞を取ったような子たちは卒業していませんが、今年のメンバーが一番練習をしたのは確かです。



母の状態が安定するまで、しばらくブログの更新はお休みいたします。






(小論文)「芸術性とインスピレーション」





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