しかし、どの宗教も自分たちの正統性を主張し、他の宗教を非難しているのである。非難どころか他の宗教者を滅びの者たちと決めつけてさえいる。せっかく感動に至っても、そういうところに気が付いてしまうと、急に失望に変わってしまうのだ。
宗教なんてそんなものか。「この世に正しい宗教などあるものか」となってしまうのだ。
そこで、宗教を外して神について考えて見た。というより、宗教を外して神を考えたことがそれまでなかったように思う。
不思議なことだが、どんどんそのことに関するイメージが心に入って来たので驚いた。この視点は、良いのかもしれない。
何で私たちが霊の世界が見えないのか、何で私たちが真理を見出すことが出来ないのかが薄っすらと理解できた。霊の世界が見える人もいるのだが、何も訓練して見えるようになる必要はないようである。低い次元の霊の世界が見えたとしても、心の方向性を過去に向けるようであってはいけないのである。
真理を知りたいと思っても、「真理のようなもの」に関してはいくらでも得られるわけだし、追求する心に燃えているのなら、どんどん高度な知識へと高められていくことだろう。そのことで、魂磨きをすることにもなるだろう。私は、3年ほど前から、そういうことを学ぶための組織に所属して学習を進めている。
しかし残念ながら、真理の幻は以前よりかなり描けるようになっているのだが、真理そのものには至っていないと思えてならないのである。真理とは、死後、高い次元の霊界に入れる者にならなくては得られない知識なのかもしれない。
もちろん、私の場合は経験を通して悪霊や幽霊の存在も知っている。私を導いてくれる霊も知ってはいるが、その方は名を明かしてはくれないのである。自分は、勝手にイエス・キリスト様と思い込んではいる。多分、ある人は、そういう方にお釈迦様と名付け、ある人は、マリア様と名付けるのだろう。もし、はっきり名を明かし、誰も学んだことの無いような真理を語ったというのなら、嘘と言い切って差支えないと思う。この世の役割を考えると、そういうことは有り得ないからだ。
つまり、私の語ることは真理ではなく、完全に正しいものとは言い切れないのである。ただ、私が現在生きている理由とは、死後、高い次元の霊界に入れるようになることで真理を学べる資格を得るためなのである。今、この一瞬、この一瞬を頑張らなくては、決してそこに到達できないからだ。もちろん、死後にその資格を得るに至らなかったとしても失望することはないのである。真理へ至るためのチャンス(人生)は何度でも転生することで与えられるからである。そういったことについては、この世の知識で何となくでも得られるのである。経験的に悪魔や悪霊が存在することは知っているので、地獄の存在はあり得ると考えている。
ここ十数年、私は街の書店で本を買ったことが無い。すべてインターネット書店で買っているからだ。今日は、母を2件病院に連れて行った折、ふらりと、市内の書店で立ち読みを楽しむ予定だった。ところが、興味深いタイトルの本が目に入り、つい買ってしまった。
島田裕巳著『宗教消滅 資本主義は宗教と心中する』(SB新書)
天理教63万人減・立正佼成会324万人減 創価学会でさえ信者激減!? 不安定な労働形態の拡大により、高額な葬式も墓も求められなくなり、家族葬が主流に… そして世界から全ての宗教が消えていく…
宗教消滅 [ 島田裕巳 ] |
人類はどこへ向かって行くのか? 人工知能の問題は? そして、これからの教育はどうあるべきなのか?
私の悩みは、こうして続くのである。
人間ってバカみたい… (通りすがりの野良猫から)
苦しい中で、頑張る…
神が人間に求めていることって、
良くなるために、気力でもって頑張る、「意志力」なのだろうか?
この意志力がなければ、良い習慣も続かないし、今に集中できない。
苦しいけど、頑張ろう!