母のために | 恵翠(けいすい)書道教室

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元日から、母がクリスチャンになりたいと言う要請に答えるために全力で協力をしてきた。私には、複数の顔があり、あらゆる価値観に対応できる自分を築きたいと考えている。

母は、暴力的な父のために、ひたすら耐える人生を歩んできた。その父も多臓器不全に陥り、病院で寝たきり状態を余儀なくされている。そのことで宗教を極端な程に嫌い、キリスト教を目の敵にしていた父の影響が及ぼされることがなくなった。昨年末、ふと母が「クリスチャンになりたい」と言ったのは、ようやく自分の心が自由になれると思ってのことだったのかもしれない。

今日紹介する「クリスチャン宣言」は、クリスチャンとしてベストの人生を送るための手引きにするべきものとして書いてみたものである。内容的に、輪廻転生を支持するシュタイナーの教えとは真逆になってしまった。

それが真理であるかどうかは別として、クリスチャンの生き方も悪くないと私は考えている。一番よくないことは、真面目に生きている相手側の信仰、信条を挫くことであり、そういったエチケット違反はするべきでないと考えている。それゆえ、母と教会に通う限りは、クリスチャンの方々を立てていくべきという思いも込めた。

今週は、父の転院の件もあり忙しくなりそうである。書道塾でも新しい試みがいくつかあり、将来有望な子供たちのためにも全力で取り組もうと思う。






魂はリサイクル(輪廻転生)されているのではない。もし、リサイクルしているものなら、魂の数が足りなくなってしまう筈である。宇宙人の魂で補われているという説もあるが、前世と言っても無自覚なものゆえに、わからない前世によって魂を進化させられるとは考えにくい。また宇宙人は、卓越したテクノロジーを持っているからといって霊性までもずば抜けて優れているというわけでもなさそうである。地球人は教育があまりに遅れているゆえ、彼らより劣っていると思いがちになるのである。

魂は進化するものではない。あくまでテクノロジーが進化したに過ぎない。つまり進化とは、あくまで物質的な道具の進化に過ぎないのだ。どこの時代を取って考えても、人間の本質的な部分に相違を見出すことができないのである。物質の進化とは、新しくなると古いものは価値を失う。そこには永遠の価値観など存在しないのだ。

2000年前の人間でも、優れた信仰者は存在した。2000年経って、多くの人がその信仰者を超えているかというとそうではない。果たして画期的な魂の進化が見られるのだろうか。私たちの周りにいる人たちを見渡してみて、2000年前の賢者を超えている人が何人いるのだろうか。

前世と受け止めるのではなく、あくまで神から与えられた課題と考えるべきなのである。









その課題とは、宝くじに当たったようなもので、容姿と同様に、その人の前世の因果とは無関係である。ただ、神の意図は存在する。容姿に優れているから、才能に優れているからと有頂天になって、そうでない者を見下げてしまうようでは、神意に生きている者とは言えないのである。

潜在意識には、このように神から与えられた課題の部分と、生まれてから経験してきた中での忘れられた記憶が加えられる。夢とは、乱雑する潜在意識を整理しようとする無意識の働きなのである。それゆえ支離滅裂なのだ。眠りは傷ついた身体を修復させるだけではなく、混乱した精神を修復する働きもあるのだ。この身心を修復しようとする無意識の働きとは、神の息吹でもある。「良くしたい」という、ものすごくポジティブな働きなのだ。ただ、夢に神からの啓示が入って来ることもあるが、その人の心掛けによっては悪魔が入り込んで来ることもある。

潜在意識に含まれる神からの課題は、神の力を得ることで奇跡として乗り越えることができる。それが、信仰の証となるのである。ただし個人の力だけでは奇跡は起こらない。愛に基づく良い人間関係を築いた絆の上に奇跡は起こるのだ。そういった信仰の証を積み重ねていくことで、神との絆が深まっていき、神の世界(天国)に生きられる者へと成長していく。

神の他に、悪魔の存在がある。この世の王でもある悪魔はインスタントで成功をもたらせてくれるので、神よりも悪魔に魅力的を感じている人も少なくない。しかし、時代を超えた成功ではないため、消滅してしまう価値観に過ぎないのである。神の成功は、ある意味では地味に見えるが、永遠の輝きを持っている。悪魔は知者でもあるが、嘘つきでもある。悪魔の嘘に騙されてはいけない。あまりに悪魔から力を得ている人が多いので、この世は嘘だらけになっていることを知るべきである。

真の自由とは、神から与えられた課題を乗り越えて、永遠の境地(真理)を切り開くことにある。つまり、永遠の命を得た者こそが、真の自由人なのだ。キリストの言葉「真理はあなたたちを自由にする」とはそういう意味なのである。

とても残念なことに、永遠の境地に至れる人はわずかなのである(そこには、天使の役割として短い生涯を与えられている子供も含まれる)。神と共に歩むのなら、誰もが到達できる境地であるのに、神を拒んでしまうのである。神を求めぬ者の魂は何度リサイクルされようと、やはり神を求めないだろう。その原因はどこにあるかというと、悪魔に心を向ける方がたやすいからなのである。前世の因果など関係ないのである。生きている今、全身全霊で神に心を向けるべきなのである。多くの場合、魂のリサイクルの考え方は魔術から来ているようである。本来の仏教では、輪廻転生を問題視せずに解脱を説いており、キリストの教えに近いものである筈なのだ。

宇宙人の存在を認めないかと問われたなら、私は宇宙人の存在を認めていると答えるだろう。彼らにも神の側と悪魔の側が存在していて、私たちと似ている存在なのだと受け止めている。彼らは、ものすごくテクノロジーが発達しているが、魂がそれだけ進化しているというわけではないようである。つまり、神の意図により、テクノロジーの発達した条件のもとに生まれただけであって、魂の輪廻転生の積み重ねでそこに至ったわけではないのである。神の意図により、それにふさわしい課題(役割)としての潜在意識が与えられていると考えるべきなのだ。とはいえ、多くの地球人よりは上であると認識している。ただ神のもとには、すべての生命に上もなければ下も無く、特別視されるものも、差別されるものも有り得ない。全てが平等なのである(特別視や差別は悪魔が作り出したものに過ぎない)。ただ、そこに神の意図は存在しているので、神の意図を読み取れた者は、素晴らしい悟りを得たことになるのである。

私たちの本当の成功とは、物質的な成功ではない。進化とは無縁の、しかも時代に左右されることのない永遠の価値観を得ることなのである。そのためには、「許し」がとても重要になってくる。「許し」が無ければ魂は浄化されないからである。そして、「安心」を得る必要がある。不安が諸悪の根源であると知るべきである。「安心」とは神から来るものであり、安心は「愛」を生み出すのである。「愛」に満たされた世界こそが、神の世界なのである。

私たちは、たった一度の人生を精一杯生きる必要がある。人生の成功者とは、物質的な成功を得ることではない。ひたすら神を求め、神の側の者になることなのである。その成功とは、人間に評価されるものではなく、あくまで神から評価されるものでなくてはならない。

とても残念なことは、教育の遅れから、人々が平和的に神への信仰を持てないでいることである。間違った正義感から、自分と異なる信仰者を傷つけることに矛盾を感じない人が何と多いことだろう。人は一生学ばなくてはならない。学ぶことと祈ることにより、神意の理解が深まっていくのである。

キリストの「十字架の贖い」により、私たちは命の限り何度でも「悔い改め」によるやり直しができるのである。つまり私たちは、命ある限り、神から招かれている存在なのである。

(この原理は、キリスト教の兄弟宗教ともいえるイスラム教にも当てはまると思う。キリスト教徒とイスラム教徒が互いを認め合い高め合い、世界に平和を創り出していけると私は信じている。)







ノンデュアリティの考え方と輪廻転生との類似点 2016.1.7

潜在意識という考え方が実に難しい。宇宙の集合的魂(全体)と考える人もいる。しかし、そういった考え方だと個の魂の存在を失うことになる。全体が存在しても、個は全体に溶け込んでいるゆえ存在しないということになるからだ(ノンデュアリティの考え方)。偶然が生命を生み出し、偶然によって人間は発達した脳を持ったに過ぎない。つまり発達した脳が勝手に幻想を突き進めているに過ぎない。私たちの世界そのものは単なる幻想なのだ。人間ほどに脳が発達していない動物たちは、痛みが存在しても苦しみは存在しないのである。人間のような幻想を生きていないからだ。この世は偶然によって出来たもので、さらに偶然によりできた高度に発達した人間の脳で幻想として描かれている世界ゆえに、本来、「わたし」も「あなた」も存在していないのだ。つまり、偶然の起こる前の状態の無が、本来の状態なのだ。だから死ねば、すべてが全体に溶け込んでいき無に帰すのだ。全体とは、愛といえるような世界である。個が無くなれば、愛が残るのだ。「あなたは本来存在しないのだから、悩む心配なんかないよ」と言われても、人生は幻想に過ぎない(無意味なもの)と割り切ることが出来る人はどれほどいるのだろうか。自殺は自意識(存在意識)の過剰からくるもので、自然な行為ではない。そこでの心の痛みなど何の意味もないからだ。自分は存在していないと流して生きる方がより自然なのだと考えるようである。こういう考えでは、隣人を愛そうという発想は出てこないのではないだろうか。隣人を愛すると、その隣人も影響を受けて隣人を愛するようになる。そういう連鎖が世界を平和へと導いていく。世界平和とは究極の神の奇跡なのだ。これはキリストの教えだが、果たして無意味なものなのだろうか。

輪廻転生は、魔術にルーツがあると考えられるが、宇宙の集合的魂(全体)があり、人間の魂は、何度も生まれ変わりながら、より進化した時代(物質的進化)を生き続けていくというものである。しかし、この考え方だと、因果律だけは残っても、その人の心(個)は消えてしまう。つまり心の部分は失われてしまうのである。物質的進化は有り得ても、個としての魂の進化は有り得ないことになる。つまり、因果律を司っている大宇宙の法則(全体)が永遠に存在するだけで、個(心)は無意味な存在なのである。つまり、輪廻転生は、ノンデュアリティの考え方とよく似ていると考えられるのである。

とはいえ、こう書くことも「決めつけ」といえるものであり、真理を探究する際には、常にニュートラルな状態に自分を置くべきではないだろうか。つまり、多様な考え方を羅列させることが、考えるための一つの方法なのであって、組み合わせを変えて考えるなどすると、また違った結果が引き出せるものなのである。こういった作業を私は黙想を通して毎日楽しんでいるのである。そしてこういった練習を普段していると、あらゆる価値観の人と同調することが出来るので、その人の良心を引き出すことができるように思うのだ。実は輪廻転生を肯定的に論ずることもできるのだが、今回は、あくまでクリスチャン視点で書いてみた。






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1月 3日(日) -3.0㎏(目標-17㎏)、+0.3% ×夜食
1月 4日(月) -2.1㎏(目標-17㎏)、-0.7% ジョイフィット:100日チャレンジ ×夜食
1月 5日(火) -1.4㎏(目標-17㎏)、+0.7% ×夜食
1月 6日(水) -2.5㎏(目標-17㎏)、+0.1% ジョイフィット:リラックスヨガ ×夜食
1月 7日(木) -2.2㎏(目標-17㎏)、+0.5%