先週、パソコンが2度死んだ。1度目は、あまりのショックに気が狂いそうになって奇声を上げたりもした。2度目は、さらに深刻なトラブルだったが、聖母マリア様の保護を強く感じられたので、割と冷静に対処した。Windows 8.1に対応しておらず、前回、Windowsが立ち上がらなかった筈のバックアップソフトのブータブルディスクを用いてPCシステムを取り戻した。
目に見えない世界の研究をしている筈なのに、いざとなると幼子信仰に戻ってしまう。正しい歴史認識のつもりでキリスト不在説まで唱えていながら、この有様とは情けない。
20代は、この幼子信仰で、次々と奇跡を体験した。東京で自炊生活をしていた故、親と隔離された環境が得られたことが良かったのか、毎日が冒険のようだった。29歳の時に盛岡に帰ってきてからは、親(特に母親)の目が届くことで行動が限定されて冒険の出来ない状態となったたが、逆に精神世界の冒険を好むようになった。現在、両親が要介護者になったこともあるのだが、数年前から、私の冒険スピリットに火がつき、精神世界の冒険が本のことでは済まなくなっていた。
そして、現在、人生で一番の勉強の時を得ている実感がある。しかし、そんな時、何とパソコンの激しいトラブルで、あっけなくも幼子信仰に戻ってしまったのである。このパソコンが動かなくなったら、いくつかの計画が頓挫してしまう可能性があった。教育事業を続けることにも困難を感じてしまった。それだけパソコンに依存していたのだろう。
Windowsが立ち上がらなくなってしまった時、私の頭の中には「絶望」の二文字がよぎった。しかし、20代の時に助けられた聖母様のあの雰囲気に包まれ、「絶望」を「希望」に変えることができたのは不思議である。
あの時、私はルルドのベルナデッタのようにご出現の聖母様に会いたいと心から願った。そんな私が、いつの間にか、聖母様を遠ざけていた。自分はより正しい知識を得ており、幼子信仰には戻ることは決してないと思っていた。
ということで、自分は弱き人間であることを自覚して、長らくご無沙汰していた聖母様へのロザリオの祈りに取り組むようになった。つまり、基本に戻ったことになる。
これからは聖母様のご保護を得ながら、困難の伴う冒険を続けていこうと思う。