復元作業で心にゆとりがなかった。Excelの入力作業もあった。なのに、11時半に「時計を見なさい」という声が聞こえて、気付かせてくれた。
その前日、妻の不注意から、パソコン激しくトラぶってしまい、バックアップソフトから、今年の2月25日に復元できたものの、大量のテータを失ってしまった。どうでもいいデータは諦めるとしても、子どもたちのデータは復元しなくてはならない。
しかも手入力で復元しなくてはならず、あまり望ましくないことだが、子どもたちに教えながら復元作業をしなくてはならなかった。子どもの横とパソコンとをせわしく行き来しなくてはならなかった。前のデータが無いとまずいゆえ、後回しにできない作業でもあるからだ。そのため、ある女児が漢字検定のために11時半になったら帰らせてくださいとの親御さんの伝言をすっかり忘れてしまっていた。
しかし、不思議にも、目に見えない何者かが私に時間を教えてくれたのだった。
私には、こういった助けを得た証が実に多い。実に多いというよりも、日常の生活の中で頻繁に起こっている。もし、この声が聞こえなかったならと思うと、ぞっとすることが実に多いと言うことなのである。私は本番に強い。ホールでの声楽演奏然り、子どもの目の前で書を書くときも、そういう時にこそ一番のパフォーマンスが発揮できる。強力な守りがあるので安心して取り組めるのである。
私は、実に多くの目には見えない存在に守られれていると思う。
そのバランスとして、全く正反対の妻と生きているのかもしれない。妻は、目に見えない守りが弱く、ここぞという時に大きな失敗をするからだ。私と真逆のマイナス思考で、子ども時代に親から愛情を受けられなかった不幸を呪っている。あるいみ最強の相手なのだが、ということは最強のスキルが得られることだろう。
彼女は能力不足のため死にたいと口にした。「死んで虫にでも生まれ変わって、人に潰されてそれで終わりになりたい」と。しかし私は、「残念ながら人間に生まれると思うよ。人間に生まれることこそが、最も厳しい罰だから」と言ったら返答できなくなった。人間に生まれることは、最も素晴らしい祝福でもあるが、もっとも厳しい罰でもあるのだから。
そう自然に言葉が出たものの、何か新しい学びを得たような気がしてならなかった。
私は、現在、人生において最も有益な学びの時を得ている。シュタイナー教育もそうだが、まさに奇跡の書ともいえるヘレン・シャックマン著の『奇跡のコース』や世界的な神秘学会の学習システムで学んでもいる。以前には、『聖書』、『コーラン』、仏教の聖典、ヒンズー教の聖典、ユダヤ聖典など世界の聖典を読み漁ったことがあったが、最近になって、その全てに繋がりを感じられるようになった。脳科学をはじめとする医学系のブルーバックスを読み漁ったのも有益な情報となっている。
『聖書』は、キリスト教に批判的な学者の意見を尊重するなら捏造された書物なのかもしれないが、素晴らしいほどに機能している書物であるということは否定できない。学者たちが、歴史の真実に照らし合わせてどんなに批判をしようとも、耐えるだけの力が秘められているのだ。しかも『聖書』の予言は侮れないのである。つまり、どんなに批判的な文献に目を向けても、キリストの信仰を失う理由が全く見つからないのである。同時に、仏陀や、他の宗教の信仰も否定できないことが分かってきたのである。その全てに意味・裏付けが見いだせるようになったからだ。これは大きな収穫であった。
現在、収入的には厳しい生活をしているが、これだけの学びを得ながら、仕事で成功することは虫が良すぎる。
本番の成功は、これからの人生で味わうことになると信じている。まあ、仮に明日死んだとしても後悔はないし、この世に未練を残すこともない。死後、自分がどのような歩みをするかをイメージできているからだ。
神が命を与えてくださっている限り、与えられた使命を果たしていこうと考えている。
これからも、目には見えない存在に守られながら…
感謝を込めて生きていこう。
話は変わるが、マイヤ書道展に取り組んでいる。これは、県書写コンと同様、入選作品がスーパーマーケットに展示されるため、親御さんと書道を鑑賞できる素晴らしいチャンスが得られるのである。
しかも、マイヤ書道展から送られてきたお手本に結構感動をしている。芸術性が感じられるからだ。美しい線でありながら、微妙に強弱が付いていて、細い線と太い線を絶妙の配置で効果的にメリハリを作り出している。「祭」という字などは、今にも躍り出しそうである。子どもたちは、いつものお手本とは一味違う世界を感じられるに違いない。
癒し系の字を書く者。感情を激しく表現する者。子どもたちは、それぞれの個性を持っている。私は、ある程度お手本通りの書けるようになると、「自分が書きたいように書いてみなさい」と言う。すると、子どもたちは凄い書を書きはじめるのである。その子の素晴らしい個性を安易に評価されて良いのだろうかという疑問はあるのだが、教室内では、最高の評価をしてあげている。
子どもたちが、高い芸術性を身に着け、豊かで実りある人生を歩んでいって欲しいものである。